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快適な暮らしの代償としてのリスク

環境リスクシリーズ(4)

天野 耕二

 現代人、特に若い世代の間ではこの頃とみに「清潔願望」が強まっていると聞く。毎日のお風呂はあたりまえ、シャンプーは朝晩2回、一度着たシャツはすぐに洗い、コップや皿もいつもきれいに、というのがその典型であろう。労力と時間を惜しみながら清潔で快適な生活を享受するためには、エネルギー、水資源、そしてある種の化学物質を大量に消費することになる。しかし、これらの消費に伴っては必ず幾ばくかのリスクを受け入れなければならない。エネルギーおよび水資源に関わるリスクについては他の機会に譲るとし、ここでは身の回りの清潔さを維持するのに必要不可欠な化学物質である合成洗剤に関するリスクについて考えてみる。

 ある事象に関するリスクを受け入れるかどうかという意志決定を行う際には次のような三つの問題点がある。
(1)リスクの同定や比較のための情報が足りない。
(2)必ずしもリスクどうしの比較や得られる便益との比較から意志決定がなされるわけではない。
(3)受け入れるかどうかという選択の余地がほとんどない場合がある。

 例えば、飛行機旅行のリスクは事故率の分母(距離、時間、移動回数など)を変えることによって自動車旅行のリスクよりも大きくなったり小さくなったりする。また、これから乗る飛行機の老朽化に関する情報の有無によってもリスクの同定結果は変わってくる((1)の例)。さらに、確率では表し得ない情緒的な判断によってわれわれは飛行機を選んだり自動車を選んだりすることが多い((2)の例)。情緒的(主観的)な判断という点では、客観的な期待値で損をすると言われても宝くじを買ってしまう心理もよく似ている。また、飛行機事故のリスクや喫煙による肺ガンのリスクが個人的な判断で避けられるのに対して、原子力発電のような大規模な事業によるリスクは個人による選択の余地が全くといっていいほどない((3)の例)。

 合成洗剤によるリスクは使用時におけるリスクと、使用された後環境中に放出されたときのリスクに分けて考えられる。使用時のリスクに関しては、手あれ、誤用、誤飲など直接的な生体への影響が問題となり情報量も豊富で比較的単純に考えることができる。これに対して、使用後の合成洗剤は複雑な経路を経て環境(特に水界生態系)に影響を与えながら再び人間にとってのリスクに関わってくるため、リスクを同定するのに十分な情報を得るのが難しい。これが先の問題点(1)にあたる。消費者も使用時のリスクには敏感であっても、使ったあとの排水に残っている洗剤のリスクまではなかなか目が行き届きにくいのが現状である。

 合成洗剤の環境リスクの同定に必要な情報は、合成洗剤が環境中にどの程度蓄積し、どのような悪影響を与えるかということである。合成洗剤の主成分である界面活性剤の環境中の濃度については、多くの機関により全国各地で測定されており、水中では分解されやすい界面活性剤も底質中に蓄積する傾向があることがわかってきた。当研究所の総合解析部と水質土壌環境部が共同で行った全国の主要な汚濁湖沼における調査でも、代表的な陰イオン界面活性剤であるLAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩)の湖沼底質への蓄積が観測され、底質深さ30cm前後までLASが検出された湖沼もあった。いくつかの水深の浅い湖沼では水中に検出された量の数倍から数十倍のLASが底質に蓄積しているものと推定された。

 このような界面活性剤の底質への蓄積を合成洗剤の環境リスクの要素のひとつとして考察するにあたっては、環境中の界面活性剤の次のような挙動が重要となる。

1) 底質中の分解:水中に較べて底質中では分解が遅い。
2) 水中への再溶出:水中で検出されなくなっても、底質間隙水中の拡散により、底質から水中へ再溶出する。
3) 他の有害化学物質との共存:底質中には他の数多くの化学物質も蓄積しており、界面活性剤そのものの毒性以外に複合作用という潜在的なリスクがある。
4) 分解後の中間生成物質の存在:一次分解を受けて界面活性を失った後も完全に無機化されるまでは化学物質としてのリスクを残している。

 界面活性剤の生物影響については数多くの研究成果が上がっており、最近は他の有害化学物質との複合作用についても研究が進められているが、これらを総合したリスクの同定は簡単ではない。さらに、合成洗剤全体としては助剤など界面活性剤以外の成分によるリスクも無視できない。

 合成洗剤を使用するかどうかは個人に選択の余地が一応あるようにみえるが、環境影響を含めたリスクに関しては個人の意志では影響力が弱い上、清潔さと時間の両方を求める声にすぐさま応えるような家庭電化製品の開発競争や消費者の購買欲をかきたてるような広告の氾濫が暗黙のうちに社会的な意識の制御につながっている可能性もある。電気洗濯機の大容量化・多機能化・自動化で大量の洗濯物が簡単に処理できるとなれば、一度着たものはすぐに洗いたくなるし汚れ物が少しでもたまるとすぐに片づけたくなるのが人情であろう。共働き世帯を中心に普及しつつある家庭用の自動食器洗い機も同様であり、いずれも自らの手を合成洗剤使用時のリスクにさらすことなく安易に清潔さが得られるために、結果的に洗濯・洗浄の回数が増えてより多くの合成洗剤を消費することになる。はじめに挙げた問題点の(2)と(3)は洗剤に関する社会的な意識についてもあてはまる。

 このような社会的な現象を含めたリスク管理はなおいっそう複雑さを極めるが、さしあたって必要なのはリスクに関する客観的な情報の整備であり、リスク同定の不確かさをいかにして克服するかであろう。合成洗剤について現在巷にあふれている情報のほとんどは「便利で清潔な暮らし」への賛歌であり、使用後環境中に放出された後の合成洗剤の運命と生態系へのリスクに関する情報は少ない。環境へのリスクをどの程度まで受け入れながら清潔さや便利さを追求するかという意志決定を消費者がはっきりできるような研究成果が求められる。

(あまの こうじ、総合解析部資源循環研究室)