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2020年10月29日

温室効果ガス収支のマルチスケール監視とモデル高度化に関する統合的研究
~温室効果ガスの吸収・排出源を訪ねて~

特集 温室効果ガスや大気汚染物質の排出実態を迅速に把握する
【研究プログラムの紹介:「気候変動適応研究プログラム」から】

中岡 慎一郎

 国立環境研究所(以下、国環研)では2021年度から第5期中長期計画と呼ばれる5カ年計画がスタートし、地球システム領域を中心として「気候変動・大気質研究プログラム」が戦略的研究プログラムとして立ち上がりました。このプログラムは第4期の課題解決型プログラム「低炭素研究プログラム」の一部を発展させており、社会システム領域や気候変動適応センターが主導する「脱炭素・持続社会研究プログラム」、「気候変動適応研究プログラム」とともに地球の平均気温の上昇を産業革命前と比べて2℃未満(可能な限り1.5℃未満)とするためのパリ協定目標実現に貢献する、いわば“3本の矢”の一つです。この中で「気候変動・大気質研究プログラム」は温室効果ガスや大気質(気候に影響を与えるとされる短寿命大気汚染物質)のインベントリ(排出目録)の評価・提案を目標として、1.自然起源の温室効果ガス循環把握、2.人間活動による温室効果ガスと短寿命大気汚染物質排出把握、3.シミュレーションによる気候・大気質の変動再現と予測、を行います。本稿ではこれらの中から、1と2のテーマに関わる貨物船舶を用いた大気と海洋表層の温室効果ガス観測について紹介します。

 国環研による貨物船舶を用いた大気・海洋温室効果ガス観測は1995年から日本と北米を結ぶ航路(北米航路)で開始され、2001年からはトヨフジ海運(株)の自動車運搬船を用いて実施されています。2006年には日本とオーストラリア、ニュージーランドを結ぶ航路(オセアニア航路)で大気・海洋観測を、2007年には日本と東南アジアを結ぶ航路(東南アジア航路)で大気観測を開始するなどしてこれまで発展してきました。例として2019年の観測航路を図1に示します。船舶観測というと研究調査船による観測がまず思い浮かぶと思いますが、研究調査船は主に単発での観測航海に利用されており長期的な高頻度観測には向いていません。これに対して貨物船舶は広範囲を高頻度(1隻あたり年間8~14往復)で航行するので、その利点を生かした観測が大きな強みです。またコロナ禍により研究調査船での観測が休止を余儀なくされる中、日本から自動車を輸出するこれらの貨物船舶がほとんど滞ることなく往来することで、国環研の温室効果ガス観測は継続することができました。貨物船舶を「地球環境観測船」として活用するアイデア自体は以前から広く知られていますが、多様な観測を長期間継続している例は珍しく、世界的にも評価されています。本プログラムではこれらの船舶プラットフォームを活かした自然起源と人為起源の温室効果ガス排出の把握に取り組んでいます。例えば北米航路とオセアニア航路の船舶2隻で実施している海洋表層のCO2観測のデータは、データの品質評価後すぐに国際的な表層CO2観測データベースSurface Ocean CO2 Atlas(SOCAT)に送られ、Global Carbon Project が毎年発行する報告書「Global Carbon Budget」の全球海洋のCO2交換量(吸収量)評価に貢献しており、近年も海洋のCO2吸収量が増加傾向にあることを明らかにしています(図2。詳しくは2020年12月11日付のプレスリリースhttps://www.nies.go.jp/whatsnew/20201211/20201211.htmlをご覧ください)。

 2019年の各船舶における航路図
図1  2019年の各船舶における航路。船舶の違いを航路の色で示しています(東南アジア航路ではTRANS HARMONY 1の航路変更に伴い、FUJITRANS WORLDによる観測を再開して継続しました)。
海洋観測データに基づいて複数の推定手法により評価された全球海洋によるCO2吸収量の推移の図
図2  海洋観測データに基づいて複数の推定手法により評価された全球海洋によるCO2吸収量の推移。縦軸の値が海洋による年間CO2吸収を示していて、青実線が平均値、影の領域は手法間の推定結果のばらつきを表しています(Global Carbon Budget 2020の公開データを基に作成)。

 また、これまでは外洋域での観測に基づいた解析を行ってきましたが、貨物船舶が港に入るまでに得た沿岸域の観測データを活かした解析にも取り組んでいます。所(ところ)特別研究員らの研究によると、東京湾や伊勢湾、大阪湾の単位面積当たりのCO2吸収量は世界でも有数の大きさを誇り、特に東京湾において海洋生物(光合成)活動によるCO2吸収効果が他の対象海域に比べて数倍~数十倍大きいことが明らかになりました(詳しくは2021年6月24日付のプレスリリーhttps://www.nies.go.jp/whatsnew/20210624/20210624.htmlをご覧ください)。

 さらに、船舶観測では大気観測での成果も期待されています。北米航路やオセアニア航路の船舶観測では、航行中に都市域などの大規模な温室効果ガス排出源の影響を受けないことから、いわゆるバックグラウンド大気と呼ばれる清浄空気中の温室効果ガス濃度の増加傾向を精緻に評価することが可能です。一方、東南アジア航路では当該域の複数の都市間を往来するとともに、森林が広がる島嶼域や洋上ガス井付近を航行することから、バックグラウンド大気中の温室効果ガス濃度と対照してシミュレーションを行うことなどにより、都市や森林火災、ガス井からの大規模な人為起源温室効果ガス排出について評価することが可能です。例えば丹羽主任研究員らの研究では、貨物船舶の観測データと国環研が気象研究所や日本航空株式会社などと共同で実施しているCONTRAILプロジェクトの航空機観測データを合わせて用いることにより、2015年のエルニーニョ期に東南アジア島嶼地域で発生した大規模な泥炭・森林火災によるCO2放出量を高精度で評価し(図3)、わずか2ヶ月の火災で日本の年間放出量に匹敵するCO2が放出されたことを見いだしました(詳しくは2021年7月15日付のプレスリリースhttps://www.nies.go.jp/whatsnew/20210715/20210715.htmlをご覧ください)。

インドネシア島嶼地域におけるCO2放出・吸収量の 2015年9月の分布図
図3  インドネシア島嶼地域におけるCO2放出・吸収量の2015年9月の分布。正の値(暖色)が陸域から大気へのCO2放出を表しています。

 このように貨物船舶による観測は温室効果ガスの吸収・排出源を評価する上で極めて有用なプラットフォームとして確立していますが、さらに近年は日本が世界に先駆けて打ち上げた温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)などの衛星による温室効果ガス観測データの検証にも役立てられています。 今年6月に発表されたMüller特別研究員らの研究では、貨物船舶と上述した航空機の観測データを統合して作成したCO2濃度の気柱量が海洋上の大気の衛星観測温室効果ガス濃度データに存在する特有のバイアスを評価する上で有効であることを見いだしました。この手法を既存の検証手法と組み合わせることで、洋上大気の衛星観測データの品質向上が期待できます(詳しくは2021年6月25日付のプレスリリースhttps://www.nies.go.jp/whatsnew/20210625/20210625.htmlをご覧ください)。

 地球を循環する温室効果ガスを精緻に把握するためには、人工衛星や航空機、船舶といった移動体や地上サイトなど定点での観測を組み合わせた観測網の構築が必要ですが、特に人為起源の温室効果ガス排出を捉えるためには、現状でも観測が不足していると言わざるを得ません。そこで本プログラムを活用して、国内都市圏を結ぶ貨物船舶での観測を新たに開始する予定です。それぞれのプラットフォームには利点と欠点がありますが、互いを組み合わせて補い合うことで、気候と物質循環の相互変化を捉え、将来予測の向上へと繋げていきたいと考えています。

(なかおか しんいちろう、地球システム領域 地球環境研究センター 大気・海洋モニタリング推進室主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の中岡 慎一郎の写真

ステイホーム中に息子たちが将棋にハマり、私も数十年ぶりに対局しています。はじめは手加減して勝たせていたものの、最近は素で負かされることが増えてきました。彼らの成長が嬉しい 反面、負けるのはやはり悔しいので、詰将棋の本をこっそり拝借して修行中です。

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