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大気汚染による植物被害について —初期の研究から想うこと—

論評

大阪府立大学教授 相賀 一郎

 現在、ヨーロッパ諸国、北米、カナダ及び中国等世界各地で、大規模森林衰退が発生している。

 大気汚染の植物影響に関するわが国の明治末期から大正初期の研究は、示唆に富む内容がある。ここでは、大正3年に発刊された鈴木千代吉著、社会問題煙害論の概略を紹介したい。当時、西ケ原農事試験場の技師であった著者は、明治41年、秋田の山林調査を端緒に、大気汚染による植物被害を重大な国家的社会問題として取り上げ、綿密な被害地調査と植物や土壌の化学分析及びSO2接觸装置によるガス暴露実験を行い、それらの結果を整理し、ドイツ、イギリスの文献を紹介し考察している。

 緒言において、羽後の長木澤國有林は、昔日、森々なる老杉、矗々たる古桧、谷を填め嶺を被い鬱蒼として晝猶ほ暗く、斧斤時を以て入らば、青鬢翠黛、永へに老いぬ森相美随一の森林であったが、今日、長幹繁枝の凋落枯槁、氣息奄々として其態悽又慘、播けども萌えず、植うれど育たず、一雨一來する毎に、沃土は流失、山骨稜々。日月荒廢する所以は、小坂鑛山の東洋一の稱ある高さ二百尺直徑十六尺の煙筒にある。噴煙は春夏秋冬日夜の差別なく濛々として天を燻べ、気界の変化に曲りて、高く中天に舞い、或は遠く奥羽の山野に靆き、或は近く鹿角平を罩め、其態の悽愴。宙宇を支配する自然の大勢力も、一鑛山の煙害を奈何ともすること能はずして、自然界は全く人為の征服に唯々諾々たり、と述べている。この種の例は小坂のみでなく、四国四阪島、日光足尾、茨城日立、上野の杜、飛鳥山の櫻樹及び荒川の五色櫻等にあり、これらはすべて硫煙の害毒がその原因である。硫煙の害毒は、植物被害のみならず土壌を惡変し生産力を減殺する、人の衛生上の惡影響及び社会の風致を破壊する等その影響は甚大である。

 煙害問題は、単に鑛工業と農林業の衝突ではない。工業の発達は益々、鑛石、石炭の消費を増大させている。煙害の変遷増大は、発生源対策等の防止策の進歩よりはるかに優っている。噴煙発散防止のためガス沈澱設備や脱硫設備の考案、燃焼方法の改善を考究せねばならない。また、自然保護の必要は工業保護の必要に劣るものに非ざること何人も是認し得るところなりと述べている。煙害防止の術を実行する際、当事者各個人の努力と奮勵、国家当路の士、立法官と行政官の努力が必要である。科学者の雙肩にかかる職責も愈々重大である。媒煙の生物影響について科学的證明が必須である。科学的研究結果ありて一國一地方の立法、行政に対し、そのとるべき方針と手段を断定すべきであるとしている。科学者の任務は爲政者の任務に劣るものには非ざるして、益々、研究の歩武を進めざるべからずとして研究者の立ち場と位置付けを明確に述べている。媒煙の成分について種々の事情で決して同一でなく、植物、土壌に与える影響についても千差万別。煙害問題の研究は、多方面よりの攻究の要あり。化学者、生理学者、医学者及び社会政策学者等により漸次眞摯なる研究が試みられていること誠に喜ぶべき傾向であるとしている。

 著者の研究は、当時の研究方法論の内、必要なものは総て駆使しているように思われる。植物におこる現象の正確な観察と環境要因の影響調査から始まり、組織解剖学的研究、植物や土壌の分析およびSO2暴露実験等である。現場の観察は、針葉樹、広葉樹の各種別に、季節別に、葉面や幹枝の可視害徴を詳細に分別し、顕微鏡による原形質分離、海綿状及びさく状葉肉組織の葉緑粒(体)の異常について観察している。日射の過不足、気温、湿度、風向風位、地勢、土壌水分と栄養分及び土壌空気等により可視害徴が変化すること、特に、凍霜害、旱害、風害、病菌や害虫および過剰水分による腐根等による可視害徴を偽観察として識別することについて述べている。また、自然落葉と煙害落葉、特に紅葉等の自然現象との区別を指摘している。慢性影響については、樹幹横断面の年輪狹窄の程度での判別法を紹介している。植物葉に蓄積される硫黄や弗素をはじめ、各種酸類、金属塩の分析結果と可視害徴の特徴について論じている。SO2暴露装置を作成し、乾湿計と旋風器を取付けた硝子室に針葉樹、広葉樹、果樹の幼樹および作物の数十種について1〜100ppmのSO2暴露実験を行い、詳細に可視害徴発現の特徴を観察している。多様な結果から現象の統一的整理は困難であると述べているが、特に注目を引くことは、硫酸水(今日で言う酸性雨)の影響よりSO2の被害が顕著であること、SO2は葉面気孔より取り込まれ、原形質の活動機能を低下させ、CO2同化作用、酵素作用に障害をあたえると指摘している点である。

 研究目的を明確に定め、目標遂行に必要な研究手法は専門分野にとらわれず駆使し、使命感に支えられて情熱的に思考し、試行錯誤しながら苦闘した初期の環境研究者の姿が目に浮かぶ著書であった。

(あいが いちろう)