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2018年12月27日

野生動物ツーリズム:保全が生み出す経済価値の見える化

特集 自然共生社会の実現をめざして いま私たちが取り組んでいること
【研究ノート】

久保 雄広

1 はじめに

 自然環境の保全は、その担い手である地域社会にとってまさに「言うは易く行うは難し」なテーマの1つだと思います。部外者がその生き物は大事だ、保全しろ、と言ったところで地域社会にとってメリットがなければ、貴重な時間やお金を投じるのは躊躇するのではないでしょうか。逆に言えば、自然環境の保全を充実させるためには、地域社会が保全を通じて持続的に経済的な利益を得られる仕組みを構築することが求められているのです。

 自然環境を活用した観光は自然を直接消費せず、保全成果を直接的な経済収益に繋げることのできる数少ない産業ですが、実際には無秩序な観光の促進によって自然環境が劣化する事例が散見されています。その原因は多岐にわたりますが、関係者がその地域の自然環境の質と観光の経済効果を十分に紐づけて理解していないこと、その地域で環境保全を強化・促進することが地域経済にどれだけ影響をもたらすのか具体化できていないこと等が理由として挙がるのではないでしょうか。本稿では観光を通じて、地域住民が自然環境の保全から直接得られる経済的利益を実感し、その利益を最大にする、その結果として自然環境の保護が進む、そのようなサイクルの構築に寄与することを目的として取り組んだ「アマミノクロウサギ観察ツアー」の研究を紹介します(図1)。

利用と保全の両立を目指す概念図
図1 野生動物の利用と保全の両立に向けた循環サイクルを示した概念図

2 野生動物を見る、見せる:野生動物ツーリズム

 野生動物を見たい!誰もが一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

 我が国でもヒグマやクジラ等、大型哺乳類を中心とした野生動物ツーリズムは老若男女、国籍を問わず、人々を魅了する様子が数多く報告されています(図2)。我が国では野生動物ツーリズムに焦点を当てた統計情報はありませんが、例えばアメリカでは2016年に年間8,600万人もの人々が野生動物観察を楽しみ、約750億ドルの経済効果を生んでいると報告されています。

野生動物観察ツーリズムの写真
図2 日本各地で見られる野生動物観察ツーリズムの風景とその対象動物
(a. 奄美大島でのホエールウォッチング、b-c.大雪山国立公園および知床国立公園でのヒグマ観察、d.知床国立公園におけるヒグマ、e. 奄美大島におけるアマミノクロウサギ)

 一方、野生動物ツーリズムはその人気とは裏腹に各地域で様々な問題を引き起こしています。例えば、知床半島ではヒグマ観察で夢中になりすぎた観光客がヒグマに接近し一触即発の事例が散見されるほか、ツーリズムを通じて人馴れしたヒグマが国立公園に隣接する市街地に現れ、地域住民が危険に直面する事例が報告されています。また、下記で取りあげるように奄美大島・徳之島では観光利用が一因と考えられるアマミノクロウサギの交通事故が多数報告されており、早急な対策が求められています。

 このように野生動物ツーリズムは地域社会に利益をもたらす一方で未だ利用と保全、双方の文脈で解決すべき問題を抱えている可能性があります。その課題を解決し、持続的な利用と保全を実現するためには少なからずルール作りが欠かせません。そしてそのルール作りと運用には、その担い手となる人々にとってのメリットがなければ持続的な仕組みにはなり得ないでしょう。

3 アマミノクロウサギ観察ツアー

 本稿では奄美大島におけるアマミノクロウサギ観察ツアーを事例として取り上げます。

 アマミノクロウサギは世界で奄美大島と徳之島の2島のみに生息する固有種であり、近い将来において野生で絶滅する危険性が高い絶滅危惧IB類に登録されています。その希少性と外見を理由に奄美大島では島の自然を象徴するシンボルとして扱われており、環境省のアマクロくんや奄美市のコクトくん等、マスコットとしても人気を博しています。

 このような背景から野生のアマミノクロウサギを観察するツアーは潜在的に大きな観光需要を有していると考えられますが、筆者らの観光客を対象としたアンケート調査によれば、島を訪れた観光客のうち約6割は上記ツアーに興味があると回答したものの、実際に参加した経験のある人は1割程度に過ぎず、少なくとも観光資源として十分に活用されているとは言えない状態でした。

 一方、奄美大島では過去10年間で環境省の推定生息個体数の1割強にも上る約500羽のアマミノクロウサギの死亡が確認されていますが、そのうち約2割は交通事故が原因であることが明らかになっています。交通事故を引き起こしている車の多くは現時点でアマミノクロウサギ観察を主目的としたものではないと思いますが、昨今の事故事例は格安航空等の就航やメディア露出の増加に伴って生じている観光客の増大と全く無関係とは言えないでしょう。

 市場経済の仕組みを利用しながら絶滅が危惧されるアマミノクロウサギを保全する、その仕組みを構築する一助となることを目指し、本研究ではアマミノクロウサギ観察から得られる保全価値の推定を行いました。

 本研究では、環境評価手法の1つである選択型実験を用いています。選択型実験は、回答者に複数の属性(構成要素)からなる選択肢を提示し、そこから望ましいものを選んでもらうことによって、属性に対する人々の好みを把握することができる手法で、アンケート調査を通じて人々の意見を聴取します。つまり、観光客には奄美大島で提供されているアマミノクロウサギ観察ツアーを基に作成された3属性(ツアーに参加した場合にアマミノクロウサギが見られる確率、ツアー参加費、アマミノクロウサギを観察できなかった時に返金する割合(返金率))から成る仮想的なツアー(図3)を複数提示し、その中から望ましいツアーを選択してもらうことで、観光客のアマミノクロウサギ観察ツアーに対する潜在的な需要を定量的に計測しました。

アンケート項目
図3 アンケート調査で提示した仮想的なツアーとその回答方法の例

 分析の結果、アマミノクロウサギとの遭遇確率があがるにつれて、観光客のツアー参加率およびガイド収入が増加することが示されました。分析結果を用いたシミュレーションによれば、ウサギとの遭遇確率が10%のときはガイド1回あたりに期待される最大収入は223円に過ぎないものの、90%の場合にはその約20倍、4,545円の収入が期待されることが明らかになりました。またここで特筆すべきは、ツアー参加率はツアー代金が安く返金率の高いツアーの方が高い一方、ガイド収入はそのような単純な傾向ではなく、ウサギとの遭遇確率の変化に応じて、望ましいツアー代金と返金率の組み合わせが存在することです(図4)。アマミノクロウサギを保全することは勿論ですが、ガイド収益を最大化する、もしくは観光需要を適切に満たすためには、ツアーを構成する要素を適切に設定することも重要であることを明示しました。このような研究を通じて、観光を媒介とした保全による地域社会の経済的な収益最大化のメカニズムを解明することは、ツーリズムの発展と野生動物保全を両立する足がかりとなることが期待されます。

野生生物に出会える確率とツアー参加率やガイド収入の変化のグラフ
図4 アマミノクロウサギの観察確率に応じた観光客のツアー参加率とガイド収入の変化
(Kubo et al. 2019 Tourism Managementを元に筆者作成)

4 おわりに

 昨今、自然環境の保護を絶対的なものとする生命中心的な考え方は限界を迎え、保護・保全することは最終的に人々の生活や社会を豊かにするという生態系サービス等に代表される人間中心主義的な考え方にシフトしてきました。

 その中においても、今回紹介した野生動物ツーリズムは特殊かつ短期的な事例に映るかもしれません。しかしながら、長期的な自然環境の保全には、その保全に関わる関係者、地域社会からの合意、幅広い支援・参画があってこそ成り立つものです。最初にも述べた通り、観光はうまくデザインすれば自然環境を直接消費せず、経済的利益を生み出せる数少ないツールの1つだと言えます。自然環境の保全から得られる恵みを、ツーリズムを通して経済的な価値として広く共有することは、関係者の議論の足がかりを提供するだけではなく、その価値の最大化という目標に向けてさらに保全を後押しするきっかけにもなることでしょう。

 奇しくも2018年、観光地域における適切な管理や計画の不足を一因として、奄美大島を含む奄美・琉球諸島の世界自然遺産地域への登録は見送られることとなりました。本稿で話題にしたアマミノクロウサギ観察ツアーはもとより、自然環境の保全を通じて、地域社会が持続的に経済的利益を享受できる仕組みを議論する時なのかもしれません。

(くぼ たかひろ、生物・生態系環境研究センター 生物多様性保全計画研究室 研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の久保雄広の写真

学生時代はヒグマと人の関係を研究していましたが、いつの間にか南の島がメインフィールドになり、最近は高山のお花畑や里山にも通うようになりました。気候変動適応の話題が盛り上がる昨今ですが、私自身も適応することが強く求められている気がしてなりません。

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