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シベリア凍土地帯における温暖化フィードバックの研究

プロジェクト研究の紹介

井上 元

二酸化炭素のシンクとしてのシベリア

 二酸化炭素やメタンなど地球温暖化を引き起こす大気微量成分の発生と吸収については,分かっていない部分が多い。IPCCレポートなどでもっともらしく発生源別の数字が並んでいるが,これは研究者の定説になっている結論を述べているのではなく,政策決定に役立つよう,不確かな部分も多いが,とりあえず現在までの知見から最も確からしい数字をレポートしているに過ぎないのである。

 世界地図を広げてみると,緑や水色で塗られた部分,つまり平地や湖沼河川が多い場所は一般には農業や工業が盛んな人口密度の高い地域であるが,開発の進んでいない地域としてはシベリア,アマゾン流域,カナダ北部などが目立つ。ここは森林や湿原という大気圏と生物圏の相互作用の強い場であり地球温暖化の研究の視点から注目を浴びている。

 化石燃料の消費によって大気中に放出された二酸化炭素(5.5Gt)に森林減少に伴う放出量を加えると6.5〜7.5Gtになる。そのうち,2.9Gt(39〜44%)が大気中に蓄積されている。様々な観測や計算から30〜40%が海洋に吸収されると見積もられており,残りは陸域の植物により吸収されているに違いないという推論になっている。熱帯域では光合成が盛んであると同時に分解も早く,全体としては(森林減少分を除けば)収支がバランスしている。炭素を蓄積しつつあるとすれば中高緯度の森林であろうと推定される。したがって世界のこの分野の研究者は,最近,陸域の炭素収支の問題を最重要視しており,この問題にどう切り込むかという戦略を競っている。

 シベリアの膨大な面積が亜寒帯の針葉樹で被われており,二酸化炭素の大きなシンクとなっている可能性は大きい。しかしながら,ロシアの政治的経済的混乱から自ら研究を展開する力がないのが現状である。わたしたちは地球環境問題という人類的課題の前には国境はないという考えから,この問題に正面から取り組むこととした。

シベリアでのメタン発生

 もう一つの課題は自然の湿地からのメタンの発生量をどう推定するかという問題である。メタンは二酸化炭素の次に大きな温室効果を持っており,年間0.8%程度の割合(なぜか最近は少し鈍化している)で増加している。人為的な発生や密度の高い発生源については評価は比較的正確であるが,自然湿地からのメタン発生量の推定値には不確定さが大きい。湿原からのメタン発生は,単位面積当たりの発生量は少ないけれども全面積が膨大であるという特徴を持っている。調査すべき場所は人の住んでいない,人が入ることすらも困難であり現地調査が難しい。さらに,季節はもちろんのこと,数m離れた測定点で発生量が数倍異なるなど,個々の測定から全体量を推定することが難しい状況にある。そこで大気中濃度を測定することにより,平均的な発生量を求める手法が有効ではないかと考えられる。

 西シベリアには1000kmのスケールにわたる世界最大規模の湿地がある。ここからのメタン発生量を測定することが,われわれのもう一つの研究ターゲットである。

温暖化のフィードバック

 さらに,二酸化炭素の吸収やメタンの発生量が将来どう変動するかを予測するという,長期的な課題がある。シベリアのほとんどが凍土地帯である。地下数百mから数mの厚さで一年中土地が凍っている。純粋な氷の部分もあれば,土壌と水が一緒に凍った部分もある。地表面は夏には融けてしまう0.1〜3m程度の活動層と呼ばれる部分があり,ここに樹木,灌木,草が生えている。地球温暖化が現実のものになると,凍土が融け始めることが予想される。もし気温上昇が急であれば凍土が融けて湿地になる可能性が強い。地盤が緩み樹木が倒れる。樹木がなくなると日光で地面が直接温められ更に融ける。湿地になればこれまで土壌有機物として蓄積されてきた炭素がメタンとなって大気中に放出される。この地帯は年間降雨量は少なく現在の森林は凍土から徐々に水分を補給されて生存している。したがって,凍土が一気に融けて湿地化しても,最終的にはシベリアは乾燥化すると推定される。このとき蓄積されている炭素は二酸化炭素となって大気中に放出されるし,乾燥化して樹木が少なくなれば炭素の固定能力は当然衰える。

 凍土の氷の中には,過去のメタン細菌の働きによると推定されている(成因を探るのもこのプロジェクトの目的の一つである)メタンを多く(1%程度)含んでいる空気の気泡がある。また,低温高圧の地下にはメタンハイドレートと呼ばれる膨大なメタン貯蔵源もある。凍土の融解に伴うこれらの直接放出も無視できない。

 このように凍土が融けるとメタンや二酸化炭素の放出が増え,温室効果を加速する。これは温室効果の正のフィードバックと呼ばれる最悪のシナリオである。将来を予測するには例えば凍土の熱伝導率を測ったり,大気だけではなく生物的なサイクルがどのようになっているかなど,基礎的なデータを蓄積する必要があり,多くの分野の研究者が腰を据えて参加する基礎的研究が必要である。

 このような課題を背負ってシベリアのプロジェクトが始まった。航空機モニタリングの仕事も兼ね,1992年夏には航空機による大規模な大気中の二酸化炭素やメタン濃度の測定を行い,また,地上での様々な観測が開始された。次回はその紹介をさせていただく。

(いのうえ げん,地球環境研究グループ温暖化現象解明研究チーム総合研究官)