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炭酸ガスの湖、ニオス湖

その他の報告

野尻 幸宏

 1986年8月21日夜、カメルーン北西部の火口湖、ニオス湖から有毒ガスが噴出し、約1700人の死者が出た、と報道された。犠牲者、死んだ家畜、赤茶色に濁った湖などの衝撃的な映像を記憶されている方も多いであろう。事故直後から1987年前半にかけて、各国から調査団が派遣され、原因の解析が行なわれた。その結果、噴出ガスがほとんど純粋な炭酸ガスであったと明らかにされた。その後は本格的な科学調査がなく、私の参加した昨年12月の日本隊(代表・日下部実・岡山大学教授)の調査は、その間の湖の変化を知る上で、興味深い調査であった。
 北西カメルーンの山岳地帯は乾期で、連日晴天の爽やかな気候であった。ウムという人口約1万人の町の宿を早朝出発し、熱帯特有の赤土の道を1時間半余り全身マッサージのごとく車に揺られ、1200人の村人が全滅したニオス部落の廃虚に着く。湖畔に達するには、山裾を1時間余り徒歩で登る。路傍には牛の骨が散乱していて、災害の痕が残されている。

 火口壁にたって見たニオス湖の青い水面は波静かで、白い鳥が群となってはばたく、楽園の光景であった。しかし、湖にボートを出して湖水の採水をすると、全く奇妙な体験をすることになるのである。水深50m以深では、炭酸ガスの溶解量が1気圧の純炭酸ガスの溶解度を上回る。発生したガスがバッグにたまる特別な仕掛けを採水器に取り付けてあるので、それが膨らんだ状態で水面に回収される。瓶に水を取ると、サイダーのごとくに発泡する。水深200mの湖底に近い水はガスの溶存量が多く、発生したガスの浮力が採水器の重量に打ち勝ち、自動的に浮上してきた(写真)。

 サイダー水の湖が世の中にあるとは、カメルーンの災害(1984年に同国内のマヌーン湖で小規模ながら同じようなガス噴出災害があった。)まで誰も知らなかったのである。改めて、この地球の自然の不思議な営みに驚嘆し、人間の知識の限界を思い知らされた。

 測定データからは、災害直後に比べ、湖底附近の水温、溶存成分、炭酸ガス濃度などが増大していることがわかった。ニオス湖湖底には、炭酸ガスを含む温泉が湧出していて、そのガス成分が蓄積しつつあるのである。湖底温泉は塩分が高く湖水とあまり混合しないので、このような蓄積現象が起こる。先のガス災害の前には、湖水が炭酸ガスで飽和していたと推定する考えもあり得る。湖水の全層がガスで飽和していると、どのような小さな外力であれ、ガス噴出の引金になる。飽和までは達しなくとも、高濃度のガスが溶解していれば、湖水の鉛直運動を起こす力(例えば、強い風、地震、地滑り、低温の水の流入など)が働くと、自走的にガスが噴出する。今回の調査データと災害直後のデータの比較から湖底からの炭酸ガスの放出量を求め、次にガス噴出が発生し得る状態になるのに要する時間の推定ができると考えている。

(のじりゆきひろ、計測技術部水質計測研究室)

野焼きの煙にかすむニオス湖の全景
発生した炭酸ガスで浮上してきたガスバック付き採水器