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2014年12月31日

陸域からの汚濁負荷と東シナ海の環境・生態系変動の関係を探る

特集 東シナ海環境の将来予測に向けて
【シリーズ重点研究プログラムの紹介:「東アジア広域環境研究プログラム」から】

東博紀

1.はじめに

 地方や国を越えるような広域スケールの環境問題を考える際には、対象とする国・地方のみならず、その地域に影響を及ぼす「上流」で何が起きているかを明らかにすることが重要になります。東シナ海は、日本の多くの沿岸域にとって上流に位置する海域であり、古より高い生物生産性と生物多様性を有する海として世界的に知られています。東シナ海の豊かな生態系は、海洋生物の繁殖・生息の場として適した広大な大陸棚と、それらの餌となる植物プランクトンに栄養塩を常時供給している長江および黒潮によって主に支えられています。中でも長江は、陸域から東シナ海に注ぐ淡水量の80%以上を占めており、陸域起源の栄養塩を大陸棚に大量供給する役割を担っています。

 近年の中国の急速な経済発展により、長江から東シナ海に供給される栄養塩の量・質に変化が生じ、長江河口を中心として赤潮(植物プランクトンの異常増殖)や貧酸素水塊の頻発化などの富栄養化問題が発生しています。また、赤潮を形成する植物プランクトンの種類にも変化が見られ、1990年代中半までは珪藻という種類が目立っていましたが、近年では渦鞭毛藻類が優占する傾向が見られます。渦鞭毛藻の一部(例えばアレキサンドリウム属)は、麻痺性貝毒を引き起こす原因プランクトンであり、私たちに健康被害をもたらすことが知られています。

 我々の最大の関心・問題は主に「中国沿岸域の富栄養化は中国国内の環境問題で本当に留まるのか?」「どのように環境・生態系を保全・改善すればよいのか?」の2つです。前述のように東シナ海は日本の多くの沿岸域にとって「上流」に当たるため、地球温暖化や大気汚染と同様、この海域における富栄養化は日本を含む越境汚染問題として深刻化する可能性があります。現に図1に示してあるように、我々が独立行政法人水産総合研究センター西海区水産研究所と共同で実施した航海調査では、長江河口から約500km東に離れた東シナ海の大陸棚においてプロロセントラム属の渦鞭毛藻ブルーム(異常増殖)が国内では赤潮と判定される濃度レベルで2007年以降複数回観測されています(詳しくは国立環境研究所特別研究報告 SR-99-2011をご参照ください)。現在のところ、大気汚染のように越境して日本の沿岸域にまで影響が及んでいると確実に断定できる事象は数少ないですが、それは海が大気よりも物質の移動・拡散速度が遅いこと、汚濁物質の多くは生物体内や海底にて蓄積されていることが原因だと考えられます。逆にいえば、海は一度汚染されると回復までに大気とは比較にならないくらい非常に長い年月を要することに留意しなくてはならず、環境・生態系に変調がないか定期的に調査・確認し、深刻な事態になる前に有効な対策を行うことが必要であると考えられます。

図
図1 2007年6月下旬の東シナ海における表層塩分・流速の計算値(左)と測点Aの観測結果(右)

 国立環境研究所ニュース30巻6号で紹介されている第3期中期計画の「東アジア広域環境研究プログラム」のプロジェクト2「広域人為インパクトによる東シナ海・日本近海の生態系変調の解明」 では、前述の2つの問題に対する答えを見つけるための研究に取り組んでいます。本稿ではその中の数値モデルによる東シナ海の環境・低次水界生態系(主に、 食物連鎖の最も下位に位置する植物プランクトンを対象とします)の変動予測研究についてご紹介します。

2.東シナ海の環境・生態系モデリングの概要

 我々の研究グループは先に述べたプロロセントラム属の渦鞭毛藻ブルームが「東シナ海環境・生態系の変調の兆しではないか?」と懸念し、航海調査とモデリングの研究に取り組んできました。その中でモデリング研究については、「東シナ海陸棚域の渦鞭毛藻ブルームを再現する」数理モデルの開発を第1の目標、そのモデルを用いたシミュレーションにより、陸域からの汚濁負荷流入量が変化したときの海洋環境・生態系の応答や日本への越境輸送の可能性を評価することを第2の目標として実施しています。

 赤潮、すなわち植物プランクトンの異常増殖は、植物プランクトンの栄養となる窒素やリンが陸域から過剰に海域に流入することによって発生します。植物プランクトンの光合成によって生産された有機物は海水中を沈降・海底に堆積し、それが分解されると窒素・リンの一部が栄養塩として海水中に回帰します。有機物の分解の際には海水中の溶存酸素が消費されるため、分解する有機物が多いと貧酸素水塊の発生に繋がります。筆者の海洋環境・生態系モデルは、a.海水の流れを3次元で予測する流動サブモデル、b.植物プランクトンの光合成や有機炭素・窒素・リン・溶存酸素の循環を算定する水質サブモデル、およびc.海底に堆積した有機物の分解および窒素・リンの回帰を予測する底質サブモデルで構成され、上記メカニズムが可能な限り詳細に考慮されています。

 本モデルで海洋環境・生態系を再現・予測するためには、海面の気象場、および外洋境界の海流・潮汐流や長江の流量と水質などを入力条件として与える必要があり、正確な再現・予測にはこれらの入力データについても精度が求められます。これらのうち東シナ海にとって特に重要な長江流域からの淡水・汚濁負荷流出量については、本号の「研究ノート」にて紹介されている長江流域の水・物質循環モデルで精度よく再現された結果を活用していますので、そちらも併せてご参照ください。

3.渦鞭毛藻ブルームの再現の難しさ

 筆者は当初「東京湾・伊勢湾など閉鎖性海域の赤潮が再現できれば東シナ海の渦鞭毛藻ブルームも再現できる」と考えて研究を進めました。何度もモデルの改良を重ねた結果、東京湾・伊勢湾のシミュレーションでは比較的早いうち(といっても5年くらい要しましたが…)に十分な精度で赤潮・貧酸素水塊を再現できるようになりました(最新の東京湾の再現精度については国立環境研究所研究プロジェクト報告 SR-106-2013をご参照ください)が、それを東シナ海に適用してもなかなか思うようには渦鞭毛藻ブルームを再現できませんでした。図2は最新のモデルで東シナ海の流動場・水質場を再現した結果と航海調査で得られた観測値の比較を示していますが、いかがでしょうか? 個人的には数年前のモデルと比べれば、鉛直混合の強さや海水密度・硝酸態窒素濃度の分布など、大分再現性が良くなったと思っていますが、まだまだ十分な状態とは言い難いところです。

図(クリックすると拡大します)
図2 図1の北緯30.5度ラインにおける鉛直断面の観測値(上段)と計算値(下段)の比較

 渦鞭毛藻ブルームがうまく再現できない原因は主に次の2つです。第1の理由は、東シナ海陸棚域の複雑な流動場がモデルで再現できていないことでした。これについては高解像度化、潮汐条件の導入・改良、および国立環境研究所ニュース32巻6号で紹介された鉛直混合スキームの改良を昨年度から今年度にかけて実施しました。第2の理由は、渦鞭毛藻の生態特性に不確実な部分が現在も残されていることで す。我々が対象としている渦鞭毛藻は密度躍層(鉛直方向に海水の密度が急変するところ)付近にて昼間に上昇、夜間に下降といった日周鉛直移動をする特徴が ありますが、この現象がどういうメカニズムで起きているのか、生存戦略とどう関わっているのかが不明のままです。我々のグループでこれまで研究を重ねてき た結果、渦鞭毛藻の特徴について次第に明らかになりつつありますが、全容解明とそのモデル化に向けた研究は現在も続いています。

4.将来予測と対策に向けて

 本プロジェクトでは今後中国からの汚濁負荷流入量はどう変化するのか、社会環境システム研究センターの協力を得て、AIMを活用した将来予測・対策シナリオの研究を開始しています。最新の海洋環境・生態系モデルを使ったシミュレーションはこれからですが、過去のモデルシミュレーション結果では長江流域からの汚濁負荷物質、とくに窒素の流出量を削減すれば渦鞭毛藻の増殖抑制に効果があるとの試算が出たものもありました。

 東シナ海の環境・生態系に影響を及ぼすものは長江からの汚濁負荷流出のみとは限りません。最新の研究では、大気から東シナ海に沈着するアンモニアや窒素酸化物の影響も無視できないことが分かってきました。気候や海流の変動、温暖化など地球規模で起きる現象などもあり、海洋環境・生態系の予測にはまだまだ考えなければならない要素が多く残されています。しかし、我々人間は生態系から多くの恩恵を受けて日々生活しており、今後も持続的に享受し続けていく必要があるため、分からないままでは済まされない問題だと個人的に思っています。生態系機能の理解が進み、効率的に活用される技術が確立するとともに、環境への負荷が少ない自然共生型社会が広域スケールで構築されることを期待しつつ、それに科学面で貢献できるように今後も海洋環境・生態系モデルの研究を進めていきたいと考えています。

(ひがし ひろのり、地域環境研究センター 海洋環境研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

東博紀の顔写真

学生時代の研究は「トウモロコシ」と「地下水」が相手でしたが、国立環境研究所に赴任してからは「植物プランクトン」と「海水」になりました。モデリングに関しては結構応用が利くことに、自分でもビックリしています。日頃はデスクワーク中心ですが、定期的に訪れる現場観測・調査がリフレッシュ(現実逃避?)とモチベーションの向上に繋がっています。

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