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2022年6月30日

気候変動対策による共便益効果
—水銀排出削減と水俣条約への貢献—

特集 脱炭素社会に向けて大きく舵を切った世界
【研究ノート】

花岡 達也

はじめに

 私たちが経済活動する上で、鉱物資源や化石燃料資源などの様々な資源の利用は欠かせません。しかし、十分に環境保全への対処をしないまま経済活動を続けると、資源利用に伴って大気汚染、水質汚濁、土壌汚染などの様々な環境問題が生じます。例えば、化石燃料の燃焼に伴って大気汚染物質である硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)、ブラックカーボン(BC)や、温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)などが排出されますが、これらの課題は長距離越境大気汚染条約や気候変動枠組条約などで国際的に議論されてきました。このほか、国際的に近年注目されている環境問題として水銀汚染があり、国際条約として「水銀に関する水俣条約」が新たに発効されました。この水銀汚染問題は、気候変動や大気汚染の問題と一見関連がないように思えますが、実は排出削減対策の観点でつながりがあります。そこで、我々の研究チームでは、気候変動対策に伴って水銀排出へどのような影響があるのか、水銀排出量はどの程度削減可能なのか、といった気候変動対策の共便益効果を分析する研究を進めています。

水銀排出・放出の発生源と気候変動対策との関係

 大気汚染、水質汚濁、土壌汚染などの環境問題が世界各国で生じていますが、国際的な環境問題の一つとして水銀による汚染があります。資源利用の過程で、水銀の大気排出、川や海への放出、およびそれらの自然環境中の蓄積が、自然環境および人間の健康へ様々な被害をもたらしてきました。例えば1950年代の日本における水俣病、1970年代のイラクでの水銀中毒禍、また近年では小規模な金の採掘・製錬(ASGM: Artisanal Small-Scale Gold Mining)に伴う南米・アフリカ諸国等における水銀汚染が深刻化しています。このような世界各国における水銀汚染の顕在化を背景に、人為起源の水銀の排出・放出および海洋や土壌への水銀蓄積に関する問題に対して国際的な関心が集まり、2017年に水銀に関する水俣条約が発効されました。水銀に関する代表的な報告書として、国連環境計画による水銀に関する評価報告書(2019)があります。この報告書では、2015年における世界221ヵ国の発電部門、産業部門、家庭部門、運輸部門など複数部門からの水銀排出量がまとめられています。また、地域別・部門別・エネルギー種別に異なる水銀排出係数(補足:エネルギーを1単位消費する際に、どれだけ水銀を排出するかを示す数値)や、国別・部門別に異なる水銀除去対策の普及状況など、排出および対策に関する情報がまとめられています。この報告書によると、水銀排出・放出の主要な人為起源の発生源は、金採掘、化石燃料の燃焼および産業プロセスであることが示されています。そこで対策としては、製品の脱水銀化、製造プロセスの転換による水銀削減、および水銀の大気排出や川や水への放出時における水銀除去技術の適用などを促進していく必要があります。

 気候変動も経済成長に伴って国際的に大きな注目を集めている環境問題です。気候変動および気候変動リスクに伴う経済影響を回避するために、2015年に気候変動枠組条約パリ協定において「産業革命前と比較して、世界の平均気温上昇を2℃未満に抑える(いわゆる“2℃目標”)とともに1.5℃に抑える(いわゆる“1.5℃目標”)努力を追求する」ことが合意されました。2℃目標の実現には、今世紀後半には温室効果ガス(GHGs: Greenhouse gases)の排出量を正味ゼロにする必要があり、特にCO2排出量を大幅に削減する必要があります。また2021年に開催された気候変動枠組条約第26回締約国会議では、1.5℃目標の実現に向かって努力を追求するために、気候変動枠組条約の締約国における排出削減目標を引き上げるためのメカニズムや石炭火力発電の段階的な削減などが議論され、グラスゴー気候合意が定められました。この1.5℃目標の実現には、2050年頃までに正味CO2排出量をゼロ(いわゆるカーボン・ニュートラル)にする必要があり、2℃目標よりもさらにCO2の大幅削減が急務となっています。

 ここで注目するべき重要な点は、化石燃料の燃焼および産業プロセスは、人為起源CO2や大気汚染物質の主な排出源であるだけでなく、水銀の主な排出源でもある点です。特に、途上国では過去数十年の経済成長に伴い、CO2や大気汚染物質だけでなく、化石燃料の燃焼および産業プロセスに由来する水銀の排出量も大幅に増えてきました。途上国では、これらの深刻な環境問題に直面しているため、環境保全に向けた規制の強化や対策の普及が急務とされています。

気候変動対策による水銀削減の共便益効果は?

 上述の背景を踏まえて、化石燃料の燃焼および産業プロセスに由来する人為起源のCO2ならびに水銀の排出に注目し、世界多地域多部門の技術積み上げ型モデル(AIM/Enduse)を用いて排出削減対策とその効果について分析しました。このとき、水銀排出量推計の不確実性に影響を与える要因として、主要な排出源における水銀の排出係数の設定方法が重要なポイントになります。そこで、国連環境計画による水銀に関する評価報告書(2019)に記載されている水銀排出係数および水銀除去対策の普及レベルの情報を元に、エネルギー・資源別、部門別、国別の排出係数を設定しました。将来シナリオについては、気候変動対策によるCO2排出削減と同時に期待される水銀排出削減効果を分析するために、3つのシナリオ分析を実施しました。まず、レファレンスシナリオでは、現状の気候変動対策の傾向がなりゆきで続いていくと想定しました。次に、2℃目標シナリオでは、パリ協定で合意した2℃目標の実現に向けて、世界のCO2排出量を2050年までに2010年比で半減するシナリオとしました。最後に、カーボン・ニュートラル目標シナリオでは、グラスゴー気候合意で注目された1.5℃目標に向けて脱炭素対策を強化し、先進国諸国では2050年頃、途上国では2060年頃までにカーボン・ニュートラル(すなわちCO2の正味排出量をゼロに近づける)を目指すシナリオとしました。

 図1は、2℃目標および1.5℃目標に向けた世界のCO2および水銀の排出経路(補足:人間活動に伴う年間排出量の道筋)の結果を示しています。

世界のCO2および水銀の排出経路の分析例の図
図1 世界のCO2および水銀の排出経路の分析例

 まず、図1aは2℃目標シナリオの結果を表していますが、発電、産業および運輸部門におけるCO2削減ポテンシャルが大きいことが分かります(図1aの左図)。特に発電部門と産業部門は水銀の主要な排出源でもあるため、2℃目標の実現に向けて気候変動対策を導入することによって、その共便益効果として大幅な水銀排出量の削減も期待されます(図1aの右図)。ただし、世界全体の水銀排出量はレファレンスシナリオにおいて2050年には2010年比で約2倍増加しています。そのため、気候変動対策によって大幅な水銀排出量の共便益削減効果が期待されたとしても、2050年の水銀排出量は2010年と同等レベルにまで削減される程度にとどまります。図1bは、グラスゴー気候合意で注目された1.5℃目標に向けたカーボン・ニュートラルの実現を目指したCO2排出経路とそのときの水銀排出経路を示しています。先進国諸国は2050年頃、途上国が2060年頃にカーボン・ニュートラルの実現を目指した結果、世界のCO2排出量は2010年比で約85%削減となっています(図1bの左図)。しかし、2℃目標シナリオと比較してさらに脱炭素対策を導入しても、追加的なCO2排出削減量と比べて追加的な水銀排出削減量は小さく、2050年に2010年比15%減程度までしか削減されません(図1bの右図)。そこで、世界全体における共便益削減効果を図1cに示しています。2025年頃までは、2℃目標シナリオとカーボン・ニュートラル目標シナリオで同程度の共便益削減効果が見られていますが(すなわち、図1cの45度線上に近い)、その後、徐々に乖離していき、レファレンスシナリオに対して、2℃目標シナリオにおける水銀削減率は40%程度、カーボン・ニュートラル目標における水銀削減率は50%程度までとなります。

 水銀は自然環境および人間の健康へ甚大な被害を及ぼすため、理想は“人為起源の水銀ゼロ排出”です。しかし、気候変動対策の共便益として期待される水銀削減効果は、ある一定レベルで下げ止まりとなることが分かりました。そこで、水銀のさらなる大幅削減を目指すには、障壁となる国別・部門別に残存する水銀排出量の特徴を理解する必要があります。人為起源の化石燃料の燃焼および産業プロセスに由来する2015年の水銀排出量は、アジア域が世界全体の約60%、また南米とアフリカで約20%を占めており、途上国が主要な排出源です。そして、これら途上国における2050年水銀排出量は、レファレンスシナリオにおいて例えば2010年比でインドは3.1倍、ASEAN地域は3.5倍、アフリカは3.0倍、南米は2.5倍と急増します。また、カーボン・ニュートラル目標シナリオでも、セメントおよび鉄鋼の生産プロセスに由来する水銀排出量や化石燃料を用いた発電に由来する水銀排出量が残ってしまいます。そのため、水銀排出量をさらに大幅に削減するためには、気候変動対策と組み合わせて、水俣条約の下で水銀除去装置の普及を推進していく必要があります。気候変動対策と水銀除去対策を最適に組み合わせることで、いつ頃までにどの程度まで水銀排出削減が実現可能なのかを示せるように、さらに研究に取り組んでいきたいと思います。

(はなおか たつや、社会システム領域 地球持続性統合評価研究室 室長)

執筆者プロフィール:

筆者の花岡達也の写真

在宅勤務と研究所勤務を組み合わせた新しいライフスタイルが世の中で定着し、私のワーク・ライフ・バランスも大きく変わりました。社会が大きく変化していく中で、数十年後の将来はどのような姿なのだろう、と想像が膨らみます。メンバーと共に、多様な将来シナリオ研究に挑戦していきたいと思います。

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