ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

化学物質環境リスクの理解を助ける

中杉 修身

 化学物質汚染は身近な環境問題として地球温暖化以上に住民の関心が高い環境問題である。化学物質汚染が社会的な関心を集めたのはPCBによる底質等の汚染が全国的に見いだされたことがきっかけであるが,次々と新たなタイプの汚染が顕在化してきた。その度に汚染の特性に合わせた新たな対応が図られてきたが,その後を追うように環境ホルモンのように新たな問題が指摘され,化学物質汚染に対する住民の不安は解消されないばかりか,ますます強くなっているように思われる。

 環境問題,とくに化学物質汚染に対しては予防的な対応の重要性が指摘されている。しかし,そのためには情報が十分に整わない段階でそれがもたらすリスクを評価し,それに基づいて対策を考えていかなければならない。このため,情報不足に伴う不確実性に対して一定程度の安全率を見込んで対策を考えていくことになるが,過度な安全率を見込むと社会に過大なコスト負担をかけることになる。

 環境基準は望ましい環境の状態を示すものであり,環境汚染の状況を評価する目安となる。その設定にあたって十分な安全率を見込むことができれば,環境基準を達成するだけで住民の健康を守ることが可能である。しかし,最近の各種基準の設定では,一定の安全率は見込んでいるものの,無条件で住民の健康を十分に保証するレベルの安全率を見込むことが難しい場合が多くなっている。

 我が国では主に魚介類を通じてダイオキシン類を摂取しているが,水質や底質の環境基準を満していれば,どこの水域の魚介類を食べてもダイオキシン類の摂取量が許容量を超えないわけではない。環境基準を超える水域がなくなった状態で全国で獲れる魚介類を万遍なく食べれば,許容量を超えるダイオキシン類を摂取しないレベルに基準値が設定されている。どこの魚を食べても安全な状態を作り出すには,広い範囲で浄化対策が必要となり,社会に過大なコスト負担をかけるため,実現不可能と判断されたためである。

 化学物質汚染がもたらすリスクが全くない状態を作り出すことは,現実的には難しくなっており,一定のリスクを受け入れざるを得ない状況にある。どこまでリスクを受け入れるかは,個人個人の生き方によって異なると考えられ,個人の判断を総合した社会的合意の下に決定されるべき問題である。

 住民が意思決定を行う上では化学物質汚染がもたらすリスクに対する正しい理解が必要となる。国環研の化学物質環境リスク研究センターの役割は,化学物質汚染のリスクを的確に評価する方法を考えるとともに,それらを用いて分かりやすい形で情報を伝えることにより,住民の理解と意思決定を助けることにあると考える。行政や住民により近い立場で,問題解決に直ちに役に立つ情報の提供を心がけていきたいと考えている。

 国立環境研究所では,ダイオキシン類や環境ホルモンを始め,化学物質汚染のリスクに係る多くの情報を産み出す研究が進められている。また,国内の多くの研究機関でも,また国際的な協力の下でも化学物質に係る情報の整備が進められている。それらを的確に評価・加工し,何がどこまで分かっているのか,まだ分かっていないことは何なのかを伝えていきたいと考えている。

 我々研究者も自らの生き方に基づく化学物質汚染のリスクに対する評価はそれぞれに持っているが,自らの生き方を押しつけることは避け,情報の提供にあたっては自らの生き方に係る個人的な見解と科学的知見に基づく情報とを明確に区別して,客観的な情報の提供に努めていきたい。

(なかすぎ おさみ,化学物質環境リスク研究センター長)

執筆者プロフィール

国環研創設時から残っている数少ないメンバー。国環研における最後の仕事として,化学物質環境リスク研究センターの立ち上げと体制強化に全力投球していきたい。