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環境と健康の問題について思うこと

論評

小林 隆弘

 人類は,肉眼で見えない細菌を顕微鏡により見えるようにしたように,ヒトとして持つ能力の限界を道具等を用いることにより拡大し続け,現代の技術文明を形成してきたといえる。農耕による食糧の増産,産業革命以降の蒸気機関をはじめとする技術の発達,化石燃料の使用などにより,人類は力やエネルギーの限界を大幅に拡大し,指数関数的に人口を増やし,地球上のあらゆるところを生息地域とするに至っている。

 速く,強く,大量になど,“ヒトの限界を拡大するのが目的”という技術を支えてきた考え方は,無限とも思われる広大な辺境が眼前に広がっていたときには絶対的とも思われる価値があった。しかし,当時でも都市では石炭使用による大気汚染が呼吸器をむしばむといったことが起きていた。すなわち周囲に広大な自然が存在していても拡散の少ない条件下では発生源の周囲は閉鎖系化され,高濃度汚染が生じ健康問題を引き起こしてきた。このことは技術の持つ二面性を明示するとともに,環境汚染にどう対処するかを考えるきっかけを与えたと考えられる。

 また,人口や人間活動の増大は,外的な環境としての自然生態系やこれらを包む有限な地球環境に大きな影響を持ち始めてきた。ヒトは従属栄養動物であり酸素の消費者であるから,基本的には他の自然生態系の恵みを受けなければ存在しえない。自然生態系の減少におぼろげながら危機感を抱くのは本能に近いものがあるのかもしれない。ヒトの能力の限界を単純に拡大するといった考え方が閉鎖系のなかでどのような意味を持つのかが問い直され,共生や循環といった概念が取り入れられ,価値観にも大きな変換がせまられているのはこのためであろう。

 このような流れのなかでの環境と健康の関係を考えてみると二つの大きな問題がある。一つは,人間の活動により生じる汚染物質,騒音などが直接人の健康にどのような影響を与えるかという問題,もう一つは,自然生態系の破壊やオゾン層破壊といった地球環境の平衡状態からの変化が,人の健康にどのような影響を与えるかという問題である。いずれも,人が健康な生活を営むために解明と対策が急がれている。

 第一の問題は,有害汚染物質,騒音,電磁波などをはじめとして多種多様である。有害汚染物質の場合,対象となる物質の数の多さが問題である。ケミカルアブストラクト誌に登録されている化学物質が600万以上,アメリカでは日常使用されている物質は7万,日本でも2万以上といわれ,さらに毎年多数の新規物質が加わっている。このような無数とも思われる物質があるため,迅速に健康影響を予測し,対策に結び付ける方法を確立することが重要である。基本的には低濃度長期暴露の影響を評価する必要性があるが,時間と多額の費用がかかるため利用できるデータは極めて少ない。したがってまずは,各国が分担協力し地道にデータを積み重ねていくことが必要である。データを積み重ね,解析を続けることにより,一見複雑に見える生体反応の法則性を見いだし,短期暴露の結果から長期暴露の影響を予測する方法,動物実験からヒトへの影響を予測する方法,閾値濃度の推定法などを発展させることが重要である。また,多種類の汚染物質の健康影響を総体としてモニターする技術,鋭敏な指標開発のための病態機構の解明や遺伝子細胞レベルの影響評価法の開発なども必要であり課題は多い。

 次に第二の問題であるが,この問題の基本は人口と人間活動の増加にある。例えば,オゾン層破壊による紫外線の増加と皮膚癌や白内障,温暖化による熱射病や免疫機能の低下,温度と死亡率の関係など,地球環境の変化が直接人の健康におよぼす影響については検討がなされてきた。しかし自然生態系の減少あるいは改変が人の健康な生活にどのような影響をおよぼすかについては手がつけられていない。閉鎖系において一定の人口に対してどの位の規模の自然生態系があれば,どの程度の健康な生活が維持できるかを検討する必要がある。食糧,水,空気,温度,住環境などの環境因子群と健康との関係も一つの課題であろう。自然生態系の恵みを受けた健康な生活を送るために,人間圏の限界の定量的評価を健康の視点から行うことは大きな課題と考える。

(こばやし たかひろ,環境健康部上席研究官)

執筆者プロフィール:

横浜国立大学工学部卒,東北大学理学研究科博士 課程修了,理学博士
〈現在の研究テーマ〉大気汚染物質と喘息および 花粉症との関係
〈趣味〉散歩