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化学物質の生態リスクを耐性の進化から探る

【シリーズ重点研究プログラム: 「環境リスク研究プログラム」 から】

田中 嘉成

はじめに

 人為的な撹乱要因が,自然生態系におよぼす潜在的な悪影響のことを生態リスクと言います。特に,化学物質の生態リスクを評価する場合,製造されているものだけで何千も種類があるので,リスクの推定は簡便で公平でなければなりません。そのため,実際の法的規制の場面では,藻類(植物プランクトン),ミジンコ,メダカなどの標準的試験生物を使った毒性値(急性もしくは慢性毒性値)と,環境中に存在すると予測される化学物質濃度との比率(「ハザード比」もしくは「生態リスク指数」)として評価されます(「化学物質の毒性試験と生態リスク評価」参照)。

 しかし,この指標には二つの点で研究の余地があります。その一つは,生態リスク指数が,実際に生態系への影響をどの程度代表しているかわからないという点です。実際の生態系では,多くの種が食うものと食われるもの,資源をめぐる競争など,様々な種間の関係によって結ばれています。試験生物種の毒性値から,生態系への影響をどうやって推定するのか,その方法を生態学的な枠組みから研究する必要が生じます。もう一つは,生態毒性試験から推定された毒性データから,生態リスクを計算する良い方法が考え出されたとしても,実験室の試験生物を使って得られた毒性データから間接的に推測したものであって,実際に現場に生息している生物が化学物質の悪影響を被っているかどうか直接にはわからないという点です。

 「環境リスク研究プログラム」における関連研究課題8「化学物質の定量的環境リスク評価と費用便益分析」では,これらの課題に向けた研究を実施しています。二つ目の点を克服する方法として,野外生物を直接調べる生物モニタリングという考え方があります。本稿では,特に,生物が適応進化によって化学物質への耐性を獲得することを利用して,化学物質の生態リスクを推定する集団遺伝学的なモニタリングを紹介いたします。

耐性の進化と生態リスク

 生物のあらゆる性質(形質)は,遺伝的背景があり,遺伝子の変化に伴って変わることができます。殺虫剤に対する昆虫の耐性の獲得は,半世紀も前から殺虫剤抵抗性獲得の問題として,農薬化学や応用昆虫学の大きなテーマでした。また,生物の環境への適応進化の証拠として,進化生物学者や進化生態学者の関心も集めてきました。

 生物進化の原動力は,集団内の遺伝子の多様性(遺伝変異)ですから,突然変異によって耐性遺伝子が生じることが,耐性獲得の条件となります。この条件が満たされている限り,生物のある集団がある化学物質への耐性を獲得していることは,その集団がその化学物質に暴露されてきたことの強い証拠となります。

ミジンコの耐性変異

 淡水生態系の重要な一次消費者(植食者)であり,かつ化学物質への感受性が高いDaphnia 属のミジンコ(カブトミジンコD.galeata )をモデル生物,フェンバレレート(殺虫剤)を対象化学物質として,霞ヶ浦における集団遺伝モニタリングを試みました。そのためにはまず,化学物質による汚染がほとんど無いと見なされる集団(レファレンス集団)を見つけなくてはなりません。幸い,霞ヶ浦(北浦)湖畔に,自然公園として管理され周囲に汚染源が見当たらない大膳池というため池があり,そこでカブトミジンコを採集できました。これで,霞ヶ浦の高浜入り(恋瀬川河口)および湖心でサンプリングした集団をレファレンス集団(大膳池)と比較ができます(図1)。10km足らずしか離れていない集団間で遺伝的な差が測定できるか半信半疑でしたが,マイクロサテライトDNAという遺伝マーカーで集団間の遺伝的な違いを検定すると,祖先集団が2つ(クラスター数)という仮定が,観測されたDNAデータを最もよく説明するという結果が得られました(図2)。つまり,同じ湖に生息する同種のミジンコでも遺伝的には分化していたのです。さらに,急性毒性試験(遊泳阻害試験)をおこなったところ,毒性値(半数致死濃度LC50)で数倍から十倍近くも,レファレンス集団に比べて霞ヶ浦集団の方が高い(つまり耐性が高い)ことがわかりました(図3;表1)。これをクローン(同メス由来の集団:ミジンコは単為生殖する)ごとに飼育して,クローンごとに耐性を測定すると,同じ集団でもクローン間にバラツキがあり,進化の条件である遺伝的な変異が十分に保有されていたことも確かめることができました。

図1 カブトミジンコ(Daphnia galeata)の採集地点
 茨城県霞ヶ浦(西浦)の湖心および恋瀬川河口(高浜入り)。濃紺は,表層水のpHが高いことを示す。
図2 中立遺伝マーカーによるカブトミジンコ集団のクラスタリング
 マイクロサテライトDNA変異を使って,ミジンコの各個体(横軸に1本ずつの線として示した)の遺伝子が,2つの祖先集団(緑および赤)に分類される確率を推定した。湖心と恋瀬川は,同じ霞ヶ浦個体群でありながら,遺伝的に分化していた。
図3 各クローン(同メス集団)のフェンバレレート暴露に対する短期死亡率
(48時間後)(拡大表示)
 棒は標準誤差を表す。死亡率は,ばらつきをなめらかな一山型に近づける目的でアークサイン変換してある。
表1 カブトミジンコ(Daphnia galeata)のフェンバレレート半数致死濃度(LC50)

生物の最適戦略と耐性のコスト

 このような耐性の集団間変異のデータから,化学物質の生態リスクについてもう少し定量的な情報を引き出すために,進化生態学で使われてきた「適応度最大化法」という近似を利用します。生物の形質の進化は十分長い時間がたてば,近似的に最適な状態に達しているという考え方です。「適応度」とは,個体が繁殖によって次世代に残す遺伝子の量を表す指標で,生物が環境によりよく適応するほど大きな値になります。化学耐性は,化学物質による汚染がある条件では個体の生存や繁殖を維持できるようにするベネフィット(利得)があるのですが,化学物質に対して強い体質にするためには,化学物質が透過できないように皮膚を強くしたり,化学物質を早く解毒できるよう代謝能力を必要以上に高めたりするなど,汚染が無ければ耐性にはかえってコストがあるのが一般的です。定常状態では,耐性はこれらのベネフィットとコストの両方を考慮した中で適応度を最大にする程度に留まっていると考えられます。なぜなら,耐性がこの最適点を越えてしまっては,コストが高すぎてかえって損であり,逆に最適点以下では,ベネフィットの方が大きくなる結果,耐性の高いクローンが選抜されて,集団の耐性値は増加するはずだからです(図4)。

 化学物質耐性のコストは多くの生物で報告されていますが,本研究では,できるだけ適応度(個体群の潜在的な増殖率)の尺度で定量的に測定しました。このためには膨大な数の長期間の飼育実験が必要でした。その結果,クローンの耐性値は,化学物質の暴露が無い条件では,適応度と負の相関があり,耐性のコストがあることがわかりました(図5)。

図4 耐性遺伝子のベネフィットとコストを表す模式図
 化学物質の暴露濃度の増加に伴って,生物の適応度(個体群の潜在的な増殖率)は2次関数的に減少する(左図)。耐性の高い集団は,適応度の減少分が少なく,反応曲線が右側に移動する。暴露が無い条件では,耐性の高い集団ほど適応度が低くなる傾向があり,耐性にコストがあることを示す(右図)。
図5 カブトミジンコの適応度(個体群増殖)とフェンバレレート耐性値との関係
 黒丸: 各クローン(同じ遺伝子を持つ個体の集団)の耐性値(T)(常用対数スケール)と飼育実験から得られた適応度の推定値。
 *: 耐性の最も高い系統と低い系統から得られた適応度の推定値。
点線は標準誤差。

暴露レベルと生態リスクの推定

 これまでに発表された様々な生態毒性データを統合して,広いデータに基づいて解析した結果,動植物プランクトンの適応度(個体群の潜在的な増殖率)は,化学物質の暴露濃度が増えるに従って,ほぼ2次関数的に減少する,つまり化学物質濃度が2倍,3倍になると適応度の減少分は4倍,9倍になることがわかっています(図4)。また図5に示したように,耐性のコストは,耐性が高くなるに従って増加する傾向があります。

 ミジンコの最大適応度は,このような耐性のコストとベネフィットを加味した上で,適応度の極大点として求めることができ,暴露濃度x もそこから計算することができます。その結果,定常的な暴露濃度は,恋瀬川(高浜入り)で15μg/L,湖心で14μg/Lと推定され,適応度の減少分として換算した生態リスクの大きさは,それぞれ,0.071,0.070となりました。暴露の濃度は,これらの集団の急性毒性値の100分の1のオーダーであることがわかります(表1)。ミジンコの適応度は,せいぜい0.3なので,耐性のコストを含め,化学汚染によって23%も減少した計算になります。これは,生物集団への生態リスクとしては無視できない大きさであることを示唆しています。

おわりに

 集団遺伝学的なモニタリングの利点は,野生生物を現場から採集し,飼育と毒性試験さえできれば,その生物が被ってきた環境中暴露濃度や生態リスクを推定できることです。ただし,耐性の適応度コストを定量的に測定しておく必要があります。また,集団が他の集団から十分に隔離されていること,耐性遺伝子の変異が十分に保有されていること,耐性のコストが他の環境要因に影響されないことなど,いくつかの検証が難しい仮定に基づいていることに注意しなくてはなりません。今後の研究によって,これらの要因によってもたらされる問題を克服できれば,特定の場所に生息しているミジンコ,また一緒に生息している他の生物に対する生態リスクを,より詳細に評価することが可能になると期待されます。

 

(たなか よしなり,環境リスク研究センター 
生態リスク評価研究室長)

執筆者プロフィール

田中 嘉成 の写真

 つくばに移転して4年近くになりました。このまま,フレッシュな気持ちでいたいと思います。趣味は写真撮影と音楽(クラシックギター,合唱)です。音楽は中断していますが,最近娘がピアノを弾き始め,触発されてポロンポロンとまたギターをいじり始めました。研究の上では,生態学の基礎的研究と環境科学への応用研究とのバランスに心がけています。