ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

環境問題と将来シナリオ

【環境問題基礎知識】

増井 利彦

 環境問題の解決に向けた対策の実施など,様々な意思決定において将来を見通すことは必要不可欠です。しかしながら,将来を正確に見通すことは容易ではありません。特に,地球環境問題では,世界中の一般市民や企業,政府など多くの人々が影響を被り,また対策の実施に関わるため,将来を見通す際に必要な要素を取り上げたり,その動向を把握することが複雑となり,さらに不確実性が極めて高い場合には,将来の見通しそのものが困難なことがあります。このような不確実な将来を対象に意思決定を行う際に,シナリオ分析やシナリオ・プランニングと呼ばれる手法が活用されています。

 シナリオとは,「将来を対象とした様々な描写」とここでは定義しておきます。将来を予測しても当たらないという批判が常にあります。シナリオ・プランニングでは,将来を「予言」するためにシナリオを作成しているのではなく,将来,どのようなことが起こっても適切に対応できるように,今から将来を擬似的に経験しておくために,シナリオを作成する過程そのものに重要な意味があるとしています。たとえ想定外のできごとが起こったとしてもあらかじめ将来のことを考えている場合と,全く検討していなかった場合では,対応は大きく異なるからです。

 環境問題を取り扱ったシナリオとして初期の代表的なものは,1972年に『成長の限界1)』という報告書で紹介されました。世界を1つの地域とみなすなど,現在の環境シナリオと比べると簡素な構造ではありますが,はじめてコンピュータを使用したことや当時の社会状況から,日本でも大きな注目を集めました。現在は,コンピュータ技術が発展し,より詳細なシナリオが様々な分野で作成されています。

 現在のシナリオでは,叙述的なストーリーラインと定量的なモデル分析を併用して行うアプローチが主流となっています。叙述的にシナリオを描くことは,将来をイメージしやすくするねらいがあります。一方,言葉によるシナリオの表現では,その内容が整合性のとれたものであるという保証はありません。そこで,定量的なモデルをあわせて用いることで社会や環境の要因間の整合性を確認し,シナリオに説得力を持たせるようにしています。つまり,シナリオによって描かれた将来像が全くの空想ではなく,現実に起こりうるものであることを,モデルを使ってチェックしているのです。

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が2000年に報告したSRES( Special Report on Emissions Scenarios)2)と呼ばれる2100年までの世界を描いたシナリオが,地球温暖化に関する代表的なシナリオの例です。SRESでは,図に示すように,2100年までの社会像として,A:経済発展重視かB:環境と経済の調和か,1:グローバル化の進展か2:地域主義化の進展かという2つの切り口から,人口や経済成長,技術などを描いた4つの将来像を示し,それぞれの社会での二酸化炭素排出量を計算しています。このほかにも,生態系が人間にもたらすサービスの変化に焦点をあてたMA(ミレニアム・エコシステム・アセスメント)のシナリオ3)や,UNEP(国連環境計画)のGEO(世界の環境見通し)4),OECD(経済協力開発機構)の環境見通し5)などで示されているような環境問題を幅広く取り扱ったシナリオがあります。

図 SRESで示された将来の4つの社会像(左)と各社会から排出される二酸化炭素の量(右)
図 SRESで示された将来の4つの社会像(左)と各社会から排出される二酸化炭素の量(右)(拡大表示)
 注:左図のA1からB2までの4つの社会像の違いは,木の根本に描かれている人口などで表現されています。また,A1の社会(グローバル化が進む経済発展重視の社会)では,それを支えるエネルギー供給の形態から,さらに3つの社会像(化石燃料に依存して経済発展を実現する社会[A1FI],新しいエネルギー技術の開発によって経済発展を実現する社会[A1T],化石燃料と新しい技術がバランスよく融合している社会[A1B])が描かれています。

 シナリオを作成する方法として,フォアキャストとバックキャストという2つの方法があります。フォアキャストとは,シナリオを作成する際に,なりゆき的に将来の道筋を探索する方法といえます。これに対して,バックキャストでは,将来における目標(達成したい状況や避けたい状況など)を明確に定め,それを実現するような対策や社会のあり方そのものを検討するというものです。先に示したSRESはフォアキャストで作成されたシナリオの代表例です。バックキャストで作成されたシナリオの例としては,国立環境研究所が中心となって作成した低炭素社会(2050年の日本の二酸化炭素排出量を1990年比で70%削減する社会)を実現する2つの社会像6)や,環境省の超長期ビジョンで示された2050年の社会像7)があります。フォアキャストで描かれる将来像は,現状の行動の積み重ねとして説明することができますが,将来の環境に関する目標が与えられていないために,描かれた社会や環境が望ましいかどうかは検討する必要があります。一方,バックキャストで描かれた社会像は,設定された目標に至る道筋を示すことができますが,そのチェックにとどまる危険性があり,シナリオが持つ多様な将来像を描くという特性を狭めている可能性があります。このことから,フォアキャストとバックキャストは,どちらが優れているというものではなく,相互に補完的な役割があると言えます。

 将来のシナリオは専門家だけが作成できるというものではありません。皆さんも,今のまま社会が変わらなければ,世界や日本はどうなるかといったフォアキャストの手法や,どのような日本にしたいのか,どのような世界にしたいのかという将来像を明確にしたバックキャストの手法を用いて,様々な将来の姿をシナリオという形で表現されてはいかがでしょうか。

(ますい としひこ,社会環境システム研究領域
総合評価研究室長)

   
 参考文献
 1) D. メドウズ他(大来佐武郎監訳) :成長の限界,ダイヤモンド社,1972
 2) IPCC: Emissions scenarios, Cambridge, 2000
 3) Millennium Ecosystem Assessment: Ecosystems and human well-being, Vol.2 Scenarios, Island press, 2005
 4) UNEP: Global environment outlook 4, Progress Press, 2007
 5) OECD: OECD environmental outlook to 2030, OECD, 2008
 6) http://2050.nies.go.jp/index_j.html
 7) http://www.env.go.jp/policy/info/ult_vision/

執筆者プロフィール

増井 利彦氏

 環境研に勤務して10年あまり。いろいろな出会いがありました。一番の出会いは娘と息子の誕生。今まで研究対象でしかなかった2050年の地球が身近なものに感じられ,研究と家事にも一層力が入るようになりました。