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見逃さない,放置しない,あわてない

巻頭言

副所長 合志 陽一

 研究においては見逃さない,放置しない,そしてあわてないことが大切である。環境問題ではとりわけこの三つのことは重要である。

 見逃さない:環境ホルモンの一つビスフェノールAの作用はたまたま実験に用いられたポリカーボネイト製容器で乳ガン細胞が異常に増殖したことがきっかけで発見されたという。何につけても注意深いことはよいことである。解決すべき課題を抱えていれば,その注意力はさらに研ぎすまされる。しかしもう一つ大事なことがある。それは想像力である。環境問題では対象が地球規模,全人類規模,生態系全般に及ぶことも稀ではない。問題が顕在化してからでは遅い。出来ることなら顕在化する前に予測し予防的措置をとりたい。その時要求されるのは,注意深さとともに豊かな想像力である。実験室の中で出会った予期せぬ現象,自然の中での不思議な出来事,社会の中での新しい風潮など様々なことがあろうが,それに気付くだけでなく,それが将来何を引きおこすかを予見もしなければならない。モデルに基づく正確あるいは大規模なシミュレーションは不可欠であろうが,それにもまして想像力が大事である。

 放置しない:P .H .ミューラーがDDTの発明でノーベル賞を受賞してから2年後にはその生殖毒性が報告されているという。カーソンのサイレントスプリングを待つまでもなく問題の本質はわかっていたといえよう。しかし安価にして優れた殺虫効果からその後長期間大量に散布され,今なお世界の一部では使用されている。これが,周知のように深刻な環境問題となった。世の中に警告を発することを怠れば,DDTの悲劇を繰り返すことになる。しかし,実は,世の中に警告を発することは容易ではない。無視されるだけでなく迫害を受けることさえある。非常なエネルギーと根気を要する。タフでなければならない。

 あわてない:このことも重要である。水俣病の原因解明の過程で多くの説が出され,その一つ一つは当時それなりの根拠があるとされた。もし,研究の努力を一つの方向に集中してしまうと効率はよいように見えるが,全く違った方向に迷い込んだ可能性がある。また,誤った判断でおこされた風評被害や差別問題などを考えれば,慎重さがどれほど重要かは言うまでもない。

 しかしこの三つのことは,単に個別の研究者だけに責任を負わせるべきではない。社会全体として行動をとりやすいよう,システムをつくるべきであろう。保険の考え方も取り入れたセーフティネットが必要ではないか。

(ごうし よういち)

執筆者プロフィール:

東京大学名誉教授,日本学術会議4部会員,東京大学工学部卒。応用化学,X線分光分析,工学博士。