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広島大学工学部教授 福島 武彦

 世の中,どちらを向いても不景気のご時世である。1997年度に引き続き,1999年度も就職担当を引き受けざるを得なくなった立場のものとしては,心が晴れない今日この頃となっている。

 さて,私の所属している広島大学工学部土木工学科(正式には第4類土木グループ;大学院は工学研究科環境工学専攻)は,各学年で学部生が60名,修士課程の学生が30名,博士課程の学生が若干名といった,こじんまりとした集団である。卒業生の1/3は公務員(国は少なく,県上級職が多い),1/3はゼネコンと鉄工・橋梁メーカー,1/3は建設・環境コンサルタントへ進む。開発事業が減れば,ゼネコン,建設・環境コンサルタントの仕事がなくなり,そうして税収不足から公務員のポストも少なくなる。そんなわけで学生の,ひいては就職担当の大いなる苦戦が予想されている。

 ところで,土木の学生にも環境指向の学生の割合が確実に増加している。高校生までの,あるいは教養的教育(現在,広島大学では総合科学部が中心となり行っているが,他の学部も一部を担当)のおかげか,環境問題に関する知識も豊富であるし,将来の進路に“環境産業”への希望者も多くなっている。しかし,土木の市場では,“開発があってこその環境保全”であり,不景気な昨今,“開発がなくなれば環境の仕事がなくなる”のが現状である。そうした学生の進路を意識してか,我々の学科で行っている環境がらみの講義は,高校までの環境教育を若干詳しくしたものと,上下水道,ごみ施設等の設計,管理を目的としたものとなっている。つまり,後述する“新たなる環境産業”の技術者を育てる体制にはなっていない。

 世の中では,環境が依然もてはやされている。緊縮財政の中でも,環境関連の研究費は減っていない。また,市民団体による環境保全のボランティア活動も盛んである。

 しかし,“職業人としての環境技術者や管理者のいる環境産業”は育っているのだろうか。そうした“環境技術者”は,どのような教育を受け,どのような知識を有し,どのような考え方をして,どのような仕事をするのだろうか。これに対して,“環境への熱い思いをもった技術者”を育てるのであれば,環境教育だけで必要,十分なのではないか。

 山田厚史は朝日新聞の主張・解説の欄で,経済の再生,地球環境の改善のために,“環境産業”を社会が育てることを提案している(1999年1月6日「環境産業」育てよう)。そこでは,新たなる“環境産業”が目指すものとして,ゴミの中から資源を再抽出する技術,バイオプラスチックなど環境への負荷が少ない素材や石油に代わる新エネルギーの開発,エンジン,モーターなどの新動力装置,汚染を出さない焼却炉,土壌や河川から有害物質を除く技術,廃棄物を出さず資源を循環利用するゼロエミッション工場などを,例として挙げている。こうした産業には,“職業人としての環境技術者”と“環境への熱い思いをもった技術者”のどちらが必要なのであろうか。

 たまたま,環境工学専攻という名前の所に籍をおいて,教育を行っているためか,“環境教育”—“環境技術者養成の専門教育”,“職業人としての環境技術者”—“環境への熱い思いをもった技術者”,“環境産業”—“非環境産業”,といったものの考え方で悩んでいる。国際的に通用する技術者教育制度,つまり技術者教育のアクレディテーションの問題とともに,しばらくの間,考え続けなくてはならない。

 国立環境研究所の外に出たものとしては,研究ではもちろん,日本一,世界一を目指して頑張って欲しい。また,日本や世界の環境が悪くならないよう,踏ん張って欲しい。と同時に,真の“環境産業”の方向を示すとともに,その足がかりをつくって欲しいと考えている。

(ふくしま たけひこ)

執筆者プロフィール:

3年前まで国立環境研究所地域環境研究グループ湖沼保全研究チーム。霞ヶ浦の研究を19年間も行い,その間浄化されなかったことを妻に責められると同時に,心の内では恥じている。1998年度は土木教室主任のため,大いに気が滅入っていた。1999年度は就職担当のため,少し滅入っている。