ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

樹皮を利用して過去の環境をみる

研究ノート

田中 敦

 国立環境研究所には,環境試料を長期的に保存する試料バンキングのシステムがあり,採取時期や履歴のわかっている試料が冷凍保存されている。このシステムが発足する以前の環境について調べようとしたら,堆積物の柱状試料や樹木の年輪のように,過去の環境変化を記録している試料を分析することになる。堆積物や年輪のほかに,何か過去の環境について調べられる材料はないかと,植物の樹皮の利用を検討してみた。

 年輪が形成層の内側に毎年つくられてゆくのに対し,樹皮は形成層の外側にむかってつくられゆく。木の外側をおおっている樹皮が,時には木の内部にも見つかることがある。木の内部に見られる樹皮は入皮と呼ばれ,傷つけられた幹がその傷をなおしていく途中でできたものである。入皮が作られる時は外気にさらされているが,いったん木の中に閉じこめられると,外界から遮断されてしまい,はげ落ちることもない。そのため,入皮は生成時の大気の影響を受け,かつ,その状態を保存した材料だといえる。

図  屋久島スギの樹皮に含まれる鉛の深さ方向分布

 200年前の樹皮は,木部に閉じこめられていたもの。樹皮の表面に生えていたコケ中の鉛濃度も合わせて示してある。

 ここで紹介する結果は,人為汚染の少ない地域にある屋久島で採取したスギの樹皮を用いたものである。図は,現在の樹皮と200年前の年輪層に閉じこめられた入皮を薄く剥いでいって,その中に含まれる成分を分析したもので,鉛の深さ方向分布を示している。現在の樹皮も200年前の樹皮も,樹皮の表面で鉛濃度が高く,深くなるにしたがって濃度が減少している。深さ方向に濃度勾配があるのが樹皮試料の特徴で,大気粉じんが付着したり,雨水が浸透した結果生じたものである。ただし,ある深さのデータが,その樹皮が作られた年代に対応するのではなく,樹皮層が外界と接していた期間の積分的な影響が現れていることに注意する必要がある。それでは,どれくらいの期間の影響が残っているのであろうか。樹皮には寿命があり,はげ落ちつつある樹皮を見かけることも多い。幸いにも,この入皮試料の場合,樹皮の表面には枯死したコケが付着しており,最表層が失われていないことは明らかであった。したがって,この入皮が作られた期間から,年間当たりの鉛蓄積量が計算できた。その値は,現在の日光杉並木で求めた蓄積量の50分の1以下であった。

 また,この鉛が何に由来するものかが興味のあるところである。植物が本来もっていた成分に,大気粉じん,土壌粒子という2種類の外来性の粒子の影響がつけ加わったとして,各成分の寄与率を計算してみた。その結果,カリウムやマグネシウムなどの元素は,植物由来の寄与率が高いのに対し,鉛の場合は大気粉じんの寄与率がきわめて高い特異的な元素であった。日本でもかつて,有鉛ガソリンが使用されており,大気粉じん中の鉛の起源として大きな位置を占めていた。有鉛ガソリン中の鉛の同位体組成は,日本の土壌中の鉛の同位体組成と異なっている。鉛の同位体組成から,樹皮中の鉛の起源の時代ごとの変化についても調べられるだろう。

(たなか あつし,化学環境部動態化学研究室)

執筆者プロフィール:

東京大学理学部化学科卒業
<趣味>名所図会をながめる