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環境(特に廃棄物)問題と企業

論評

日本廃棄物学会会長、千葉工業大学教授 平山 直道

 企業(事業者)といえば他の二者、すなわち行政、住民とともに環境問題、特に廃棄物の問題の解決に責任を持つ重要なグループであることは疑いないが、私の印象では必ずしも万人に評価されるような心構えで動いては貰えなかったとの思いが強い。激しい相互競争の中で採算という企業の使命を追求しながらのことであるから、われわれと環境に対する考えの方向は同じでも実現目標に程度の差があるというのならやむを得ない。しかし、永い間実際に行われてきた処理困難物(正確に表現しにくいが、自治体が採用している通常の処理技術では対応しにくい廃棄物)や有害産業廃棄物の処理などへの企業の対応を見守ってきて、今後を危ぶむ気持ちが強くなってしまったのである。

 ところがこのことに関して最近私も以前との違いに驚く経験をしたのである。その一つは平成2年度の後半に国の審議会の専門委員会を担当したときの経験である。この委員会は当時の大臣の挨拶でもらされた「法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)改正まで踏み込んでもよい」という意向を踏まえてスタートしたものであった。

 余談であるが、過去十何年か法改正が必要という意見はでても役所ではこれに踏み切る気配もなかったのに、この委員会で突然前向きに取り組んでよいというのである。世論が大きく動いていたこともあったが、この時ほど大臣の決断の重要さを痛感したことはない。

 話をもとに戻すと、この委員会には各界の代表、特に全産業界を代表する団体からの委員も勿論含まれていた。過去、私も国や東京都の諸委員会の場で産業界の方々と接触した経験は多い。しかし少なくとも例えば処理困難物や新製品の自己評価(使用後廃棄される場合の問題点を検討するもの)に関する委員会などでは立場の違う意見を聞くことが多かった。在来法のもとではやむを得なかったかも知れないが、一旦住民の手に渡った製品の廃棄物についてはほぼ全面的に自治体の責任を主張する意見であった。業界としては自由意志で処理に手を貸すあるいは知恵を貸すことはあっても、義務を伴う事業者の対応には反対という立場の意見が多く聞かれた。一方、新製品の自己評価については業界の意見も入った評価法マニュアルまで作ってあるのに、3年間実施例が一例もない状況であった。ご承知のとおり、最近のごみの問題は質的に言っても量的に言っても事業者にある程度義務を感じて協力してもらわなければどうにもならないところに来ているのに、困ったものだと痛感したものである。もっとも従来の法律では自治体の責任は具体的に確定しているが、住民や事業者の責任はどちらかと言えば道徳的な表現であり、この点は改正の要点と考えられた。しかしこれが業界の従来の姿勢のより所になっていたとすれば、当然この委員会で出される業界の見解に注目せざるを得なかった。

 いざ委員会での議論が進行すると、減量、再利用や処理困難物対策を通じて事業者の協力の必要性はいろいろの局面で話題となった。しかも処理困難物については、もし正式に設定された論議の場でしかも所管の省庁も含めて結論がだされる場合は事業者による何らかの具体的協力が必要とされた。これらの論議を通じて業界の意見はほぼ肯定的でわれわれにも完全に理解できるものであった。お陰で専門委員会はすでにご承知のとおり自治体も消費者団体の代表もその他の学識経験者もご同意頂き報告書をまとめることができたのである。もっともこの時点ではすでにもっとも広範な事業者の団体である経団連では企業として今後の廃棄物問題にいかに取り組むべきかについて討議を終え、独自の報告書の原案をまとめる段階であったそうで、短期間になされた変身にも頷けた次第であった。

 もう一つの経験はさる大電気メーカーのトップの一人になっている友人と意見を交換する機会があったことである。技術から経営まで責任を持った人が企業における環境問題の重要さを骨身にしみて感じているだけでなく、これなしには社会の理解も協力も得られないとし、企業存立の基本条件と考えていることが印象的であった。これを反映して環境関連の研究所を拡大し、社員に環境問題への取り組みの重大さのキャンペーンを行う行動計画が確立している状況であった。

 このような点に注目すると、企業は環境にとって信頼できる方向に成長することはいかにも疑いないように見える。ところがこれと逆の要素もあって、大安心とは参らないのである。事実、私にとってこの逆の要素を裏付けするような経験も残念ながら未だに後を断たないのである。

 それらを総合すると、企業のトップの環境に対する意見が妥当になったのは、現在環境に優しい商品でなくては売れなくなり、しかも企業自体が公害を引き起こすようでは求人もおぼつかないのが最大の理由と考えられるケースがある。例外も多いかもしれないが、本質的にまず環境保護を第一条件にして、その前提で主体的にすべての生産活動の方向を決める企業は少ないように見える。なぜなれば、もし企業の環境問題への取り組みが本質的なものであったら、わずか数年前の私の苦い経験はなかったであろうし、また急激な変身も考えにくいからである。

 企業のカラーは結局は社員の考え方によって決まるが、日常の事業活動で企業が自由な競争をバランスよく続けることができている間は、企業の中で研究、設計、生産や販売に従事している通常の社員にとってはあまり国の行政にも地球環境にも直接の関わりを感じないものである。たえず外部と接触する経営者よりも刻々進化して行く世論の動きに対応しにくい。最近具体的な産業廃棄物対策などで企業の人々と接触していると、一般論について聞いたトップの意見と大きな格差を感ずる。困ったものであるが、ある社員の意見によると環境の重大さを説くトップも具体論になると逆に社員に採算性を強く迫るというのである。

 以上、要するに幸いにして総論についてはすべての企業が環境論者になってもらったようである。今後具体的生産活動の中で環境論者になってもらわなければならない。そのためには企業の中で上下の社員を問わず考え方の上でもう一枚脱皮してもらうことと共に、今後もやはり最初に述べた企業以外の二要素、行政の施策、住民の世論のエネルギーに期待せざるをえないのである。

(ひらやま なおみち)