ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

堰のある川,ない川での魚の生活

【研究ノート】

高村 健二

 川に流れる水を使うために,川がせき止められ,一部の流れは用水路に分けられますが,そのような妨げがなく水の流れ下る川というのは,今では珍しくなっています。数十kmにわたってせき止めのない川もなかなか見られません。そのような貴重な川の一つが,関東北部を流れる那珂川です。那須山系に端を発し,関東平野の北部を流れ下り,水戸市の東で太平洋に流れ込む川ですが,那須野原あたりでは数十kmにわたって目立った堰がなく,そのおかげでカヌーによる川下りの名所として知られています。

 川に堰があると,せき止めの上下では落差ができるため,川にすむ魚の移動が妨げられます。その結果,川と海との間を行き来する魚は堰の上手にはすまないとか,また堰のために短く区切られた流れでは魚が絶滅しやすいということが知られています。それでは,堰があっても,それがない場所と同じようにすんでいる魚では,せき止めの影響が起きていないのでしょうか。その疑問を那珂川とその近くの鬼怒川とを比べながら調べました(図1)。

図1 調査地域図
調査地点の位置を●で示してあります。

 調べたのはオイカワという,東北地方から九州・四国地方のほとんどの川で普通に見られる魚です。ヤマベ・ハエなどとも呼ばれて釣魚として親しまれています。この研究の場合,どこにでもいる点が大切です。せき止めによっていなくならない,しかしなんらかの影響を受けているかもしれない,ということを確かめるためです。

 那珂川とともに比較の対象とした鬼怒川は,やはり関東平野の北部を流れる利根川の支流です。水量や流れ幅,周囲の環境などは那珂川と似ていますが,一つちがうのは,調査を行った約60kmの区間に堰が2ヵ所ある点です。これらの堰は頭首工(とうしゅこう)といって主には農業用水路に水を分けるために設けられています(図2)。このせき止めは冬の農閑期には行われないため,上流域にあるダムのような完全なものではありませんが,せき止めの影響を調べるために2河川の間でオイカワの生態を比べました。そのために用いた方法が,遺伝子分析と安定同位体比分析です。

図2 鬼怒川の堰(岡本頭首工)とオイカワ成魚

 遺伝子分析の目的は,1本の川の中で地点によってオイカワの遺伝子組成がちがうかどうかを調べることです。つまり,魚が自由に行き来できる川の中では1尾ごとのオイカワが持つ遺伝子組成に大きなちがいがあるとは考えられないのですが,堰が川の中のオイカワの移動を妨げているなら,地点によって遺伝子組成にちがいが生じると期待されます。実は,世界中を見回すと,堰によってその上下で生じた遺伝子組成のちがいがいくつかの川魚について報告されています。分析した遺伝子は,マイクロサテイライトマーカーというDNA塩基配列の長さが変異するもので,元々集団内にある変異の幅が広いために,組成が数十年単位で変化することがわかっています。生息場所が分割された時に生物集団も分かれているかどうかの研究などで使われます。

 安定同位体比分析の目的は,オイカワが何を食べているかを調べることです。生態系の中で,植物が草食動物に食べられ,草食動物が肉食動物に食べられるといった,食う‐食われるの関係は,全体として食物連鎖と呼ばれますが,川の食物連鎖の中のどの位置にオイカワがいるのかを測ってやろうということです。自然界の元素の中には同じ元素であっても,少しずつ質量の異なるものがありますが,それを同位体と呼びます。同位体の中には,徐々に軽い同位体に変化して,その時に放射線を出す放射性同位体がありますが,安定同位体というのは,まさに安定していて,取扱に注意を要することはありません。

 実際には,窒素と炭素の安定同位体比を調べるのですが,窒素の15Nという同位体は14N(これが普通の窒素)に比べて中性子一個分だけ重いため,食物連鎖の中で濃縮されていきます。つまり,食物として動物の体内に取り込まれた15Nは同時に取り込まれた14Nほどには排泄されず,体内に残りやすいのです。この性質を利用することによって,ある動物が食う‐食われる関係を何回繰り返した食物連鎖の端にいるか,つまり食物連鎖のどのあたりにいるかが,数値として表せます。この数値をここでは栄養的地位と呼びます。出発点は光合成をする植物です。川では,多くの場合,底に生える藻類とします。窒素が炭素より濃縮の程度が大きいので栄養的地位を求めるには窒素を使い,炭素は,例えば,水底に生える藻類か水辺に生える樹木かといった植物の種類によって変化するため,食物連鎖の出発点の植物を知るために使われます。

 以上の二つの方法を使って確かめようとしたのは,次のような仮説です。せき止めによって魚の移動が限られるなら,魚が餌をとる場所も限られます。川の中では上流から下流,本流から支流まで多様な環境があり,各環境にはちがう餌があるはずです。つまり,餌をとる場所が限られるなら,魚のとれる餌の種類や質も限られます。とれる餌が限られることによって,栄養的地位も低下するのではないでしょうか。

 それでは,研究の結果,オイカワの遺伝的距離と栄養的地位はせき止めのあるなしによって変化することがわかったのでしょうか。答えはイエスです。図3をご覧ください。図は二つに分かれていますが,上図のタテ軸は遺伝的距離,下図のそれは栄養的地位です。遺伝的距離は同じ河川の2地点の間の値ですが,栄養的地位は同じ河川の2地点の間で各地点の栄養的地位を差し引きしたものです。ここでは,上流の地点から下流の地点を引いています。栄養的地位は上流に行くほど低下する傾向があったため,全体としてはマイナスの値が多くなっています。

 横軸は川の流れにそった距離ですが,上図では距離が長くなるほど遺伝的距離が大きくなる傾向が鬼怒川で読み取れます(図中の黒点)。一方で那珂川にはその傾向がありません。次に,下図ですが,地点間の距離が長くなるほど,地点間の栄養的地位の差が大きくなる傾向がやはり鬼怒川で認められます。那珂川ではその傾向がずっと弱くなっています。つまり,鬼怒川では那珂川に比べて,オイカワの遺伝的距離が地点間で大きくなり,栄養的地位の差も大きくなっていることがわかりました。この結果は,河川のせき止めがそこにすむ魚の移動を制限して,遺伝的なちがいをひろげるとともに,食物連鎖における地位も抑えているのではないかという先の仮説を裏づけています。

図3 川の流れる距離とオイカワの遺伝的距離および栄養的地位との関係
 図中の実線・破線はそれぞれ鬼怒川と那珂川のデータ点を直線回帰したものです。

 実際には,移動の制限が栄養的地位の低下につながる,この研究結果では上流に行くほど低下が著しくなるということですが,それにいたる生態的な仕組みは調べられていません。一つの可能性としては,下流に行くほど河川生態系に対する栄養源が河川内外から豊富になるため,食物連鎖もより複雑に長くなると考えられます。移動が制限されない限り,上流にいる魚も下流の生態系にアクセスする機会を得られますが,せき止めがあるとそれができずに栄養的地位が低下するとも考えられます。

 2河川の比較で得られた今回の結果は,調査する河川数を増やしてさらに確かめる必要があります。しかし,平野部を流れ,かつ堰が目立たない河川は那珂川以外になかなか見つけられません。それだけ日本の川魚はせき止めの影響を受けているはずですが,実際にはそれを研究することさえ難しいのが実情です。

 

(たかむら けんじ,生物圏環境研究領域 
個体群生態研究室長)

執筆者プロフィール

 アユ釣りの頃を除くと,川は人影が少なくひっそりしているので,水辺の生き物が観察できます。ブラックバスにがっかりすることもありますが,モグラの川渡りを見たときは興奮しました。調査に追われながらも,その合間のひとときの憩いを愛しています。