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加藤 正男

 最近読んだ本に,大学の哲学科教授であるロバート・P・クリース氏の書いた「世界でもっとも美しい10の科学実験」があります。これは,雑誌,フィジックス・ワールドの読者があげた一番美しいと思う実験について考察したもので,10の実験が選ばれています。ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解の実験,地球の自転を見るフーコーの振り子の実験,電子を見るミリカンの油滴実験,電子が波の性質を持つことを示した一個の電子による二重スリット実験など,皆様もどこかで目にしたことのあるような著名な実験が選ばれています。著者によれば美しい実験の持つべき要素として,自然について深い事柄を明らかにすること,実験を構成する個々の要素は効率的に組み合わされていること,そして結果ははっきりと示されることの三つをあげています。

 選ばれた実験は,シンプルなあるいは精緻な実験によって背後に潜む自然の法則を明らかにしています。これらは今でこそ「決定的」ですが,当時はどうだったのでしょうか,すんなりと受け入れられたのでしょうか?我々は,リンゴが落ちるのを見ても当たり前と思うだけでなかなか万有引力までには思い至りません。その意味では,積み上げられた知識の上に立って,観察(実験)の結果とその背後にある原理なり法則との間に橋を架ける科学者の透徹した思考の過程の中に美しさがあるのかも知れません。

 環境研究の中にもシンプルで美しい実験があるのでしょうか?環境研究は自然だけではなく,人間も対象としていることから,美しさについてもクリース氏のいう三つ以外の要素もありうると思いますが,ここでは,筆者の独断で一つ感心した実験(観測)の例を紹介します。

 森林における二酸化炭素の収支を明らかにする研究を当研究所では行っていますが,その方法の一つとして微気象学的方法を用いた森林炭素収支の推定があります。この方法では,森林のすぐ上層の大気中の二酸化炭素濃度を測定します。上昇風が吹いているときと下降風が吹いているときの二酸化炭素の濃度を比較すると,光合成が活発に行われる昼間には,上昇風時の濃度が下降風時の濃度に比べ低くなります。このような微妙な違いをみることによって,森林の二酸化炭素吸収量を算出するもので,この原理は渦相関法というようです。とても直観的かつシンプルでなるほどと思う反面,風向も変化するし,そんなに簡単なのかという気もしますが,高頻度で精度よい計測ができるようになったことから可能となったようです。では,森林1ヘクタール当たりの二酸化炭素の吸収量はどのくらいでしょうか?国立環境研究所で観測した苫小牧のカラマツ林では,炭素換算で約2.5~3.5トンC/ha/年という結果が得られています。実際の観測では観測する高度などの条件の設定や膨大なデータの処理,誤差要因の検討などが欠かせないようです。現在は富士北麓のカラマツ林で観測を行っていますが,他の観測方法も組み合わせて,森林生態系の炭素収支機能の定量的評価手法の確立を目指しています。

 研究者を研究に駆りたてる原動力とは何でしょうか?環境問題の解決に研究の面から貢献したいという使命感やあるいは研究の達成感などがあると思いますが,研究の美しさへの感動や憧れが結構大きな原動力になっているのではないかと想像する次第です。

 研究所に着任して1年余が過ぎました。春の桜から始まって,新緑,ツツジ,紫陽花,アザミ,秋は紅葉と緑溢れる研究所の四季を感じながら,企画部門として今後とも環境研究の推進に取り組んでいきたいと思っています。

(かとう まさお,
企画部長)

執筆者プロフィール

 昨年4月に国立環境研究所に赴任,昨年9月より現職。環境庁(当時)に入庁,直近は,科学技術振興機構で研究の推進・支援を担当していました。町並みの散策が好きですが,最近はなかなか機会がありません。