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超低周波電磁界による健康リスクの評価に関する研究

研究プロジェクトの紹介(平成11年度終了特別研究)

新田 裕史

 1979年にWertheimerとLeeperによって小児白血病発症と送電線との関連に関する疫学研究が報告された。それ以来,世界各国で多くの疫学研究とともに実験研究が実施されてきた。しかしながら,健康影響を示唆する疫学研究に対しても疫学研究自体の方法論上の問題や電磁界への暴露評価の妥当性,信頼性に関する問題点が指摘され,研究結果の解釈について大きな議論を呼んでいる。さらに,これまでのところ実験研究では再現性のある研究結果が乏しく,超低周波電磁界の健康リスク管理の問題は依然として解決されていない状況である。

 世界各国でのこれまでの実験研究において超低周波電磁界の分子・細胞・組織レベルへの影響に関する知見が相当に集積されていること,さらに疫学研究に関する問題点の中で暴露評価が最も重要であることから,本研究は基本的に個体レベルのリスクを評価することに主眼を置き,超低周波電磁界の健康リスク評価に資するための研究として3つの課題を設定して,平成9年度から11年度まで3年間の研究を実施した。

 第1の課題では,交流磁界をほぼ均等に発生させる超低周波電磁界ヒト暴露実験室を新たに作成して,実験を行った。被験者を安静状態ないし夜間睡眠を取らせた状態で,通常の生活環境で暴露されているレベル,もしくはその数十~数百倍のレベルの磁界を暴露時間,パターンあるいはレベルを変化させて暴露して,生理的ならびに内分泌系に対する影響の有無とその大きさ等について検討した。 その結果,大脳機能や自律神経機能,内分泌機能,免疫機能を含めたヒトの各種身体機能に急性影響が現れることは確認できなかった。 特に,電磁界研究に特有の発がんのメカニズムに関する作業仮説であるメラトニン分泌への急性影響はみとめられなかった。我々の今回の実験では人への急性影響に関して否定的な結果であったが,このような人の志願者への暴露実験は倫理上の制約が大きいものの,環境リスク評価における貴重なデータをもたらしてくれるものである。

 第2の課題では培養細胞系を用いた低~高レベル電磁界暴露実験を行った。この課題も基本的に「メラトニン仮説」に関連する実験研究である。本課題で取り上げたものはLiburdyらの実験研究をきっかけに実施されたものである。これはヒト乳がん細胞のMCF-7に関してメラトニンの存在下で認められる細胞増殖の抑制作用が磁界暴露によって消失することを見いだしたものである。 また,これは超低周波電磁界の健康影響に関する実験研究の中では最も低い暴露レベルで影響が報告され,比較的再現性のあるものである。まず本課題では第1段階としてLiburdyらの研究の追試を行い,第2段階として,追試の成功を受けてその作用機序の解明のため分子生物学的検討を行った。 第2段階では,細胞の膜表面に存在する「メラトニン受容体」が電磁界の標的になるという仮説をたて,その受容体分子に焦点をあてた研究を行い,Gタンパクを介したメラトニンのシグナル伝達が関与している可能性を見いだした。ただし,この現象はLiburdyらが用いた特定の細胞株でのみみられることから,そのメカニズムについてはさらに検討を必要とすると考えられる。さらに,人の健康リスクを評価する上でこの知見をどのように位置づけるかについても慎重な議論が必要であると考えられる。

 第3の課題では一般住民ならびに高圧送電線沿線住民の電磁界への暴露レベルを把握し,それを規定する要因を抽出するために,小型モニターを用いた調査を実施した。 その結果をみると,磁界の日内変動はかなり大きいことが示されており,したがって初期の疫学研究で採用されてきたような10分程度のスポット測定では暴露評価として不十分であることが明らかとなった。季節変動もみられたことから,長期にわたる暴露評価が重要であることが示された。送電線周辺家庭内での測定結果をみると,磁界レベルの絶対値は送電線からの距離によるの違いが示されているが,時間変動パターンは分単位の短い時間においても類似しており,送電線を流れる電流の変動を反映していることが示唆された。これまでの重要な疫学研究の中には送電線からの距離を指標とした暴露評価を行っているものもあったが,今回の測定結果からこのような暴露評価は疫学データの解析における相対的な比較には耐えうるものと判断された。

 本研究の成果は超低周波電磁界の健康リスクに対して最終的結論を与えるものではないが,ヒト暴露実験からはこれまで一部影響ありとされてきた知見について否定する結果を得た。疫学研究結果の解釈については依然として明確な結論は得られておらず,リスクの存在やその大きさをどのように人々に伝え,また人々がどのようにそれを受け入れて行くか,いわゆるリスクコミュニケーションやリスク認知などを含む広く環境リスク管理の問題として取り組む必要があると考えられる。

(にった ひろし,地域環境研究グループ都市環境影響評価研究チーム総合研究官)

執筆者プロフィール:

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。学生の頃からほとんど大気汚染の研究ばかりやってきたが,はじめて他のテーマを手がけた。