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慶應義塾大学教授 西岡 秀三

「遅れてきた青年」の10 年

 4月をもって研究所を退官した。充実した研究生活を過ごせたことを,あちこちでご一緒した方々にお礼を申し上げたい。

 20年前に化学会社から研究公務員に転職して,経済的には7割生活になって途方にくれたのを今でも覚えている。民間での仕事は,比較的自由に知識を蓄えられる活気ある職場であったので,とくに不満があったわけではない。それなら何でわざわざ研究所に来たのかと尋ねられても困る。多分「できごころ」というものなのだろう。何かの形で公共に奉仕したいと言う気持ちはあった。大学ラグビー部の監督が25年程前の退任時に「税金で学問を収めたものは,自分だけのために学問をつかうな」という趣旨の挨拶をなさったことが,頭に刻まれていたようである。化学コンビナートの建設などに従事し,汚染発生側での対処の限界をみてきたことも,「できごころ」をいざなうものであったらしい。

 入所当時は,「遅れてきた青年」だね,などとひやかされる程に,公害問題は一段落の様相を呈していた。時代は情報産業やサービス産業へ進み,産業公害から,都市・生活型公害へと重点は移りつつあった。遅れてきた青年としては,個別の現象を追ってはひとには追いつけない。環境を規定する動因や人間行動に目をむけることにし,都市交通,エネルギー,廃棄物,ナショナルトラスト,環境情報システムなどあらゆるところに首をつっ込み,多くの方々に協力を得ながら,環境科学ってなんだろうと考え続けた10年だった。

地球の風

 今,遡って調べてみると単なる情報不足であったと言うべきなのだが,「地球の風」は突然吹いてきたように見えた。1987~88年にフルブライトで米国滞在中に,トロントの二酸化炭素20%削減提案や,米国議会証言に興奮する研究者をみて,出発前の国内の無関心さとの落差をひしひしと感じ,やってみるかと考えたのが次の10年である。

 私自身1985年ごろ,科学技術予測で環境の諸項目を選択する作業を担当していたのだが,地球環境関係ではただ一題,「地球的規模での熱汚染,・・・の環境に与える影響が定量的に把握され,地球レベルでの環境水準と,国際的な原因規制の取り決めが成立する」を取り上げたのみである。1990年ごろの次の予測時にその不明を批判されたおぼえがある。因みに,本題に対して専門家の予測した実現時期は2005年である。もし,この項目の後半が,気候変動枠組条約や京都議定書ようのものをイメ-ジしているとしたら,何と10~8年も先に専門家の予測をこえてこの世界は動いている!

 勿論自然科学研究の蓄積があったからだと思いたいが,環境科学の体系化が論議されてきた10年の間に,国際政治の現実が環境の理念や研究を追い越して行き,逆に研究の有り様を規定しはじめたようだ。そしてこれがまた,環境研究の性格をより明確にするものとなってもいる。

 例えば,通常の科学技術は今の成果をベースに新しい世界をForecastして作っていく。環境の科学は,将来の世界像からBackcastしていまの研究方向を定める。国際政策が先行し,科学へ疑問を提示し技術の標準を規定していく。競争とともに協力がベースになる。先進国での先端科学技術だけでなく従来科学技術を活用した途上国のデーター収集と技術協力が不可欠である。トップダウンだから,企画・計画・組織化能力が研究成果を左右する,等々。

「環」の時代はどんな時代?

 21世紀は「環」の時代である。「環」は,磨き上げられた綺麗な中空の玉である。どの一部も欠けることなく集まってはじめて一つの環(ワ)が形成される。循環であり,ネットワークであり,科学技術が磨きをかける。

 「環」の時代では,「環境」はもうキーワードとはなりえない。なぜなら環境という言葉はもはや空気のような存在なのである。今日学生に「ステイオンタブ」なるものを知っているかと聞いたところ,なんとあのジュース缶の空け蓋のことだと知っているものはだれもいなかった。ひと昔まえは,ジュース会社は「蓋を押し込んで飲むなんてことは,清潔好きの日本の国民性に合わない」などと,ステイオンタブにできない理由を100も並べ,海岸では千切られた蓋を拾うのが大変だったというのに。今やどの企業でも,どの研究者でも,どの自治体でも,環境を考えるのが当たり前になっている。

 敬愛する同僚内藤京都大学教授は,環境のソサエティでは技術を語り,技術の社会では環境をとく「環境システム」研究者を自ら称して,「鳥なき里のコウモリ」だね,と良く冗談をいっていた。いまや鳥が全部コウモリになり,元のコウモリはコウモリの中に埋没してしまった。そういえば「システム」という言葉も同じ運命をたどり,コンピュータに,都市構造に,政策にとりこまれ,何の特別の意味ももたなくなっている。小生も「環境システム」が専門です等と名乗るのが二重に気恥ずかしく,ナンセンスな時代である。

福禄寿時代にむけて

 生まれ故郷にもどって産卵し命を終えるサケのように,世の中には自分の存在をなくすことに精をだすことが多々ある。次の環境研究はどう姿をかえるのだろうか。「公害がなくなれば公害研究所もいらなくなる。結構なことだ。そしたら環境研究所に変わればよい。そこで人間と自然の関係を見直そう。環境が素晴らしくなって環境研究所がいらなくなったら,人間の幸せと長寿の福禄寿研究所にすればいい。」これは近藤元所長の言葉である。世の中に尽くせる仕事はまだまだなくならない。

(にしおか しゅうぞう)

執筆者プロフィール:

1939年東京生まれ。慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授。いつまでたっても,なにをやってもデレッタント(素人好事家)の域を出ないのに,いつでもなんでもおもしろがる質(たち)はもう直らない。