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大気汚染研究の新たな展開

論評

(社)大気汚染研究協会会長 元埼玉大学教授 八巻 直臣

 近年、地球環境の大気汚染は、人類の生存環境を脅かすまでに発展しつつある問題として、国際的にも国内的にも重要な課題となってきた。一方、我が国の地域環境における大気汚染は、かつての高度経済成長に伴う危機的な状況は克服されたが、大都市地域の二酸化窒素汚染は憂慮される状況にあり、光化学オキシダント、浮遊粒子状物質による汚染も満足できる状況にはなく、いわゆる未規制物質としての化学物質による汚染の未然防止、また酸性雨問題の解明と対応も今後の課題となっている。正に、大気汚染研究は新たな展開を求められている。この小稿では、地球環境と地域環境の大気汚染のかかわり合いの一断面を考えてみたい。

 地球大気汚染として現在の中心的な課題は、ハロカーボンによる成層圏オゾン層の破壊、及び二酸化炭素などの温室効果ガスによる地球温暖化である。ハロカーボンについては、すでに国際的に予見的な合意を基にその生産と消費の段階的な規制が進んでいることは幸いである。温室効果ガスとして重要なものは、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、ハロカーボンであり、これらの対流圏大気中濃度に増加傾向の認められることが、はぼ人間活動によるものとして問題になっている。これら物質の大気中の寿命は、メタン7〜10年のほかは、数10〜200年と長く、そのこともあって、地球上のどの地域から排出されてもついには全地球大気中に分布することになる。対流圏オゾンや水蒸気もまた温室効果ガスである。対流圏大気中に共存する微量ガスは、それらの化学的相互作用により、気候変化に対して間接的な影響を及ぼす。例えば、温室効果ガスであるメタンは、それら自身は温暖化に寄与しない窒素酸化物、非メタン炭化水素及び一酸化炭素とともに、よく知られた光化学反応によって温室効果ガスであるオゾン濃度を増加させる。また、これら微量ガスとの反応によって、対流圏化学で重要な役割を果たすヒドロキシルラジカルの濃度が変化すれば、メタンなどの長寿命ガスの成層圏への到達に影響を及ぼす。成層圏でのメタンの増加は、その酸化により水蒸気濃度を増して温暖化を強めるはずである。温暖化による対流圏の水蒸気濃度の増加もまた対流圏化学を通じ、気候変化に影響を及ぼす。このように地球温暖化に関係のある微量ガス濃度の推移には、大気中の化学反応も重要な役割を受け持っているが、予見される気候変化との相互作用については、なお今後の研究に待つことが多い。

 現在の地球大気汚染は、主として長寿命の微量ガス濃度の増加による地球規模の大気組成の変化を通じて、長期間にわたる気候変化を引き起こし、それによって人類の生存環境を脅かす問題と言えよう。対流圏オゾンを除けば、従来は大気汚染物質とは見なされていなかったものである。これらの点で、地域レベルの大気汚染が、発生源を中心とした地域での汚染物質そのものによる人間の健康や生活環境への影響を問題にしてきたことと異なっている。

 我が国の地域大気汚染の残された課題の中で、二酸化窒素、光化学オキシダント(主成分オゾン)、浮遊粒子状物質及び酸性雨による汚染は、大気中の化学反応が関係する問題で、いずれにも窒素酸化物が関与していることに注目したい。大都市地域での二酸化窒素汚染への対策は1973年以来、重要な課題となっている。この原因物質は、燃焼源から排出される窒素酸化物であり、その主成分は一酸化窒素で、大気中の化学反応によって二酸化窒素に変換される。現在も改善の傾向が見られないのは、直接的には自動車交通量の増大によるものと考えられ、最近の自動車単体規制の長期目標を達成したとしても、その規制効果が現われる2010年においてすら、環境基準を十分には達成できないとされている。他の理由は、一酸化窒素から二酸化窒素への変換が、周辺大気(バックグラウンド)オゾン及び光化学オキシダント生成反応によって進み、二酸化窒素濃度と窒素酸化物濃度の関係は非線形で、窒素酸化物排出の削減による二酸化窒素濃度低下への効果は少ないと考えられることである。この傾向は自動車道路沿いで著しく、この場合の二酸化窒素濃度は現状ではバックグラウンドオゾン濃度によって決まると言ってもよいであろう。

 このため、大都市地域では、さらに低公害車の開発と普及を進めるとともに、地域全体の自動車排出窒素酸化物総量の抑制などの抜本的な対策の検討が進められている。これらの発展に期待するが、要は社会的な合意を基に自動車排出窒素酸化物総量をどれだけ削減できるかということと、それによる二酸化窒素汚染への改善効果の見積もりであろう。この後者との関係では、我が国及び欧米の対流圏中層以下でこの約20年間に年率1%を超えるオゾン濃度の増加が観測されていること、また今後も産業開発が北半球の中緯度から低緯度にまで広がり、原因物質の排出増加の結果として北半球全体を通じて高くなると予想されていることに配慮する必要がある。地球規模の気候変化は、この傾向を強めるかも知れない。対流圏オゾンの増加は地球環境問題でもあるが、地域的な光化学オキシダント汚染に関係する問題でもある。二酸化窒素汚染以外に、浮遊粒子状物質や酸性雨への影響も考えられることに留意したい。

 人間活動の拡大による大気汚染は、局地的、地域的から、主として欧米で問題視されてきた越境汚染(酸性雨)を生じ、いまや地球環境に変化を及ぼしつつある。そして、地球環境の変化は、その気候、気象への影響を通じて、地域環境の大気汚染に影響を及ぼし、悪化させる恐れもある。いずれにも効果のある対応を考えたいと思う。

 しかし、地球環境問題を予見し予測したのも人間活動である。成層圏オゾン層の破壊はすでに予測以上の速度で現実化し、地球温暖化になお不確定な多くの課題は残るものの、現状のまま推移すれば次世紀での温暖化は避け得ないことで、大方の科学者の意見は一致している。世界は、いま温暖化への対応に向けて歩みを早めている。

 産業革命以来、化石燃料に大きく依存し発展してきたこれまでの人間活動の在り方に変革が求められている。しばしば引用される“持続可能な開発”、それは“節度ある人間活動”とも言えるであろう。目標は、人類が、それぞれに特色のある地域の中で、多様な生物と共生し、その健康と福祉が良好な環境の中で護られることであろう。大気環境だけの問題ではない。そのような未来社会への途を、切り開いて行かねばと思う。

 最後に、国立環境研究所が新しい組織の下で、過去およそ20年にわたる貴重な業績を基に、さらに発展的な活動を進められることに敬意を表し、立派な成果を挙げられるよう願っている。

(やまき なおおみ)