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研究者に聞く!!

Interview

国際的な協力のもとに「持続可能な開発」の道しるべを築く

研究者の写真
徐 開欽(写真左)
流域圏環境管理研究プロジェクト主任研究員

村上正吾(写真右)
流域圏環境管理研究プロジェクトリーダー

 いま中国では、世界が注目する三峡ダムの築造が進んでいます。その舞台となる長江流域は、人間の持続可能な環境や資源の管理を模索する上で重要な試金石となるエリアです。本プロジェクトは国立環境研究所がイニシアティブをとり、中国科学院や水利部長江水利委員会との緊密な連携によりスタートを切りました。最先端の総合環境モニタリングを含む研究プロジェクトに携わる研究者ふたりに聞きました。

1: なぜ“流域圏環境管理”を研究するのか?

  • Q:この研究は持続可能な開発、つまり人間が「自然環境と折り合うレベル」で続けられる開発を知り、それをコントロールするというテーマのもとに進行しているわけですね。その研究がなぜ東アジア、それも中国を舞台として行われているのでしょうか?
    村上:1990年前後から北西太平洋の海洋環境の保全のために、巨大河川による影響を正確に知ることが急務との認識が広がりました。島国の日本は海を隔てて繋がる諸外国の影響を受けるので、特に東シナ海などの周辺の海にも目を向けなければなりません。その意味からも、経済成長が加速して1993年には三峡ダムの築造も始まった中国の変化は特に注目すべき対象でした。その流れを受けて、当研究所も渡辺正孝前プロジェクトリーダーを中心に1994年からアプローチを続け、中国科学院遥感応用研究所、地理科学与資源研究所や中国水利部長江水利委員会などと研究協定を結び、日中共同の環境モニタリング体制を確立して現在に至っています。たとえば環境基本法(1993)では「健全な環境は人類存続の基盤であり、生態系の微妙な均衡(バランス)の上に成り立つ」とうたっています。実際に人間社会の歴史を振り返ってみると、そこでは水を中心とした物質の循環が行われる“流域圏”が社会の存続を左右する最小単位となってきたことが分かるのです。この観点から私たちは、「生態系の微妙なバランス」は、流域圏が持つ生態系機能と、それを利用する人間との関係を知ることで、保持できると考えました。この両者の関係をしっかりと把握することが、“流域圏環境管理”の第一歩となると判断したのです。
  • Q:ここで言われる生態系機能とは、具体的に何をさすのでしょう。また、その生態系機能に着目された理由もお聞きしたいのですが。
    徐:たとえば食糧や木材、医薬品の材料といった資源(財)を供給してくれる自然界の能力などは分かりやすい例です。植物を通じて水分や熱エネルギー、二酸化炭素などを輸送する能力とか、水と熱を循環させる力もここでいう生態系の機能(サービス)に含まれますね。これらは自然界の微妙なバランスの上に成立しており、人間の開発によっていつ崩れるか分からない状態に置かれています。よって私たちは流域圏が持つこれらの生態系機能と、その機能の恩恵を受ける人間との関係を調べることによって環境管理が可能になると考えています。生態系機能を見きわめることができれば、それを再現できるモデルを作ることもできます。そうすれば人と自然が共存する流域圏に「開発」が与える影響も予測されるし、結果としてそれが持続可能な流域圏の形成にも繋がるでしょう。日本と環境を共有する中国など東アジア諸国と手を携えてこの研究を進めれば、「持続可能な開発」というテーマに対する解答も見えてくるということです。

2:生態系機能をめぐる現状を正確に掴む

  • Q: “流域圏環境管理”の研究で特に生態系機能の研究に重点が置かれているのも、いままでのお話のような理由によるわけですね。
    村上:そうです。この研究は「生態系機能に起こっている問題点の検出(モニタリング)」、「その原因の解明(人間と自然環境の関係性の発見)」、「解決・防止のための予測モデルの開発」、「対策の提案と有効性の検討」という4つの段階から成り立っています。このステップに従って人間と自然環境(生態系)の関わりをつきとめ、両者がバッティングする利害対立の部分を明らかにすることが理想的な環境管理へのアプローチとなります。

    図1をご覧ください。これは人間と自然環境の関わる要素をフローチャート化し、相互関係を分かりやすく図示したものです。主な要素は、人間を支える環境(場)としての生態系、人間の期待や希望(駆動力)及び具体的な活動(圧力)とそれを可能にしてくれる生態系機能(財とサービス)です。これらは互いに結びついていて、基本的な流れはこの図のように示すことができます。実際の人間活動の場(生態系)への働きかけが最初の圧力となり、それに適合した生態系機能が発現しますが、期待した影響だけが出るとは限りません。正の影響とともに負の影響が現れることも多く、期待と実際の結果(影響)の間にギャップが生じるので、人間は生態系への働きかけのあり方を再考することになり、対策を講じます。その結果、水色の矢印で示される最初の圧力は緩和され、黄色の矢印のように小さくなります。対策は極めて人間的な悩み(図中のトレードオフ)から生まれてくる、諸要素の劣化や負の影響を最小限に抑えるための手段といえます。
図1 自然と人間環境の相互関係

3:中国に見る「アジアの環境問題」の縮図

  • Q:では中国、特に今回の研究対象となった長江や、黄河流域の「自然環境」と「開発」の現状についてお聞かせください。
    徐:地理条件が厳しく開発も遅れている西北部では草原が後退し、砂漠化、土壌のアルカリ化など生態環境の悪化が進んでいます。人口の大半が長江、黄河流域などの河川がある東南部に集中していますが、ここでも河川流域を中心に急速な工業化や都市開発が種々の水質悪化を生み、水をめぐる環境は厳しいといわざるを得ません。降雨が不安定な気象状況である上に河川の土砂堆積が進み、「降れば洪水、降らなければ旱魃」という繰り返しが国民生活にも大きな影響を及ぼしています。三峡ダム築造の第一目的はまずはこの洪水対策で、付加的に発電や水上交通、水産資源開発なども期待されています。しかし100万人を超える住民の立ち退きや文化遺産の水没、希少生物種への影響など、他の多くの課題も残されています。また今後、これほどの巨大ダムの完成によって広大な流域圏の自然環境にどのような変化が起こるのかについて、監視して行く必要があるでしょう。

    村上:これは中国ばかりでなく東アジア全体におよぶ問題です。「自然環境」と「開発」双方の変化を並列で追えるという側面も含め、我々が長江を対象として日中共同研究を始めた理由もそこにあります。何しろ流域圏の対象地域は、重慶から三峡ダムを通じて上海から東シナ海、さらには日本にまで至るという東アジア全体に及ぶスケールですから。この規模で観測データを整備し、将来予測の可能なモデルを作ってその有効性の検証ができれば、今後に起こってくるさまざまな環境劣化に対応する貴重な資料となることは間違いありません。
  • Q:しかし日中両国の共通目的があるにしても、観測実施までの過程にはご苦労もあったのでは?
    徐:対象地域が日本国外であるため、このプロジェクトには政策や利害関係など国家間のデリケートな問題に触れる部分も存在します。研究開始までには日中間の協力体制の取り決めなど、政治的な調整にも神経を使いましたね。でも国益を超えた意思統一がなければ、もはや東アジアをカバーする環境管理など望むことはできません。この研究の成果がやがては各国の財産となることを各方面に理解いただき、時間をかけて国際共同研究の体制を整えました。プロジェクトの実施段階に入っても研究資料や成果を日中両国間で取り交わしながら検討を進めなければならず、研究に対する熱意が問われるプロセスでした。

    村上:同様の「開発」の紆余曲折を経験してきた国家として、環境に対する危機管理を中国にも共有してもらい、ゆくゆくはそれを行政にも反映させていただきたいという主旨に沿って研究を進めているということです。「自然環境」と「開発」が相対するこのようなケースは、これから世界各地で次々と生まれてくるのですから。

4:モニタリングとモデルから見えてきたこと

  • Q:さて、いよいよ総合的な“流域圏環境管理”の内容について伺います。モニタリングの中核であるアジア太平洋環境イノベーション戦略(APEIS)と当研究との関連についてご説明ください。
    徐:APEISは環境省主催のもとに、「持続可能な開発」を目ざして2001年よりスタートした国際協調的な環境管理の枠組みです。これによってアジア・太平洋全地域をカバーするMODIS(Moderate Resolution Imaging Spectrometer)衛星データ等の蓄積ができるようになり、太平洋地域における環境関連の統合モデル開発が可能になりました。この枠組みが基盤となって、中国科学院地理科学与資源研究所、国立シンガポール大学、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)などの参加も実現したのです。この時点で広域の環境情報を把握するIEM、すなわち“総合環境モニタリング”の開発が本格的にスタートしたといえるでしょう。このような国際協調が背景になければ、この研究プロジェクトは今日を迎えられなかったと思います。

    村上:モニタリングの対象は土地利用、土壌侵食、水循環など多岐にわたる生態系の機能です。たとえば我々のプロジェクトには中国領域内の代表的な生態系の中心に観測点を設置し、気象、水文、土壌水分、植生等に関する基礎データを集め、衛星からのデータと比較するという調査行程も含まれます。こうした地道な検証によって衛星モニタリングのデータが実体のあるものになってきています(図2参照)。例えばNASAが提供しているデータベースは、必ずしも中国の陸域生態系の本当の姿を現していないことも分かってきました。より広範囲の東アジアに適したプログラムを開発するには、当事者である東アジア各国と手を携えることが必要なのです。こうしたAPEISの取り組みに関する新しい動きは、徐さんが言われたように国際協調の気運や中国の成長などいろいろなファクターが重ならなければ実現しなかった流れでしょう。その意味からも、この研究を国際的な環境政策に反映されるような価値あるものとすることが私たちの課題だと思いますね。
図:MODISデータから作成した2002年の長江流域土地被覆図
図2 総合的な流域管理モデルの概念図
  • Q:モニタリングからモデルを作成するという過程で、特に「持続可能な開発」に繋がる成果としてはどのようなものがありますか?
    徐:具体例として三峡ダムの富栄養化の可能性についてお話しましょう。ダム湖は2003年6月に長江が締め切られて湛水が進み、現在の水位は135mです。日本の多くのダム湖も同じ状況なのですが、この三峡ダム湖でも富栄養化が進行する恐れが濃厚です。確証を得るためには種々のデータが必要ですが、取り返しのつかない事態を避けるためには警報も必要ですからね。価値あるイエローカードとするために現状の保有データをもとに予測を試みました。下の図3をご覧ください。これは「ボーレンワイダーモデル」というモデルをもとに作成した、ダム湖の富栄養化の可能性を示すグラフです。ボーレンワイダーモデルは本来「リン負荷による環境影響」を評価するモデルでOECD(経済協力開発機構)などにも採用され、その有効性は広く認められています。

     ここでは栄養レベルの貧栄養と中栄養の境界をTP(水中の全リン濃度)=0.01mg/ℓ、中栄養と富栄養の境界をTP=0.03mg/ℓとしました。また超富栄養の定義はTP=0.10mg/ℓ以上としていまする三峡ダムは洪水期では正常水位175mより30m低い145mで運用し、渇水期には157mに戻す季節型のダムです。そこで常時175mのケース(比較的過大評価:C1)と145mのケース(比較的安全:C2)の2通りで検討しました。グラフに示されたとおり、貯水池内全層の平均TP濃度はいずれのケースも0.37~0.47mg/ℓの範囲という予測が出ました。現状のTP表面積負荷量レベルでは、三峡ダムに富栄養化の問題が発生する可能性が極めて高いことが示唆されたのです。

    村上:この予測はダムの貯水開始後の長江流域の環境変化を正確に予見して大きな評価を得ました。先ほどの“流域圏環境管理”のフローチャート(図1)にこれを当てはめると、次のような利害対立が起こっていることが分かります。長江流域の経済を支える水力エネルギー、洪水防御、舟運改善等の期待(駆動力)により建設された三峡ダム(圧力)は、新たなダム湖という水界生態系を形成します。ところがこの新たに出現した生態系のために、生態系サービスの一つである水浄化機能は、必ずしも健全に働かない・・・・このトレードオフ、すなわち利害対立の構造を解きほぐし、生態系機能の保持と人間活動への制約との理想的な相関関係を追究することが流域圏管理のテーマであり、現在はその方策を探っている段階です。このほか三峡ダムの洪水制御効果についての検討結果からは、ダムの性能だけに依存せずに流域内の生態系機能(森林の保水機能,湿地の遊水機能)を活用することによって洪水制御効果が高まることも明らかにしました。また華北平原においては、冬小麦の灌漑用に地下水が過剰に汲みあげられた結果、水位低下が持続的な農業への大きな脅威となっています。対策として最小の灌漑揚水量で最大の収穫量を上げられる地下水管理モデルの作成に取りかかり、すでにその有効性の検証段階に入っています。
図3 ボーレンワイダーモデルによる山峡ダムの富栄養化発生可能性の評価
●ダム貯水池や湖沼などの淡水域においては、栄養塩類の中でも「リン」が植物プランクトンや他のプランクトンの増殖を左右することが知られています。ボーレンワイダーモデルはその傾向に着目し、湖沼・ダム湖の面積当たりの全リン濃度および平均水深と滞留時間比の関係を用いて、経験的に富栄養化現象の発生を推定するモデルです。
●予測の対象年は最近15年の状況から、年間流量が上位にある2カ年(豊水相当年:1998、1999年)と中間に位置する1カ年(平水相当年:1987年)を選出しました。それぞれグラフ中に「98-C1」「98-C2」「99-C1」「99-C2」「87-C1」「87-C2」のポイントで表示しています(本文9頁参照)。
  • Q:なるほど、現段階での成果がよく分かりました。最後に、実際に長江流域の現場に立って「自然環境」と「開発」を目にしてきた科学者の立場から“流域圏環境管理”の明日への展望をお願いします。
    村上:現状は診察、病気の特定、手当、予防という一連の流れを経験して、それを蓄積し始めたばかりという段階ですね。「自然環境」と「開発」の共存への道は時間・空間スケールによって変化する難しさもあります。それぞれに応じた研究と観測を地道に行ない、その結果の評価を将来に向けて粛々と続けることが肝心ということです。

    徐:2004年の4月に国連本部で開催された「国連持続可能な開発委員会」(UNCSD)の第12回会議(CSD12)に招かれて、渡辺正孝前プロジェクトリーダーと一緒に議事に参加してきました。「自然環境」を視界に収めて「開発」を持続する気運は世界中で高まっていると思います。しかしテーマの大きさを考えれば、この研究はまだ緒についたばかりです。中国は長江流域ばかりでなく多くの開発を抱えています。世界には手掛けなくてはならないモニタリングと研究の対象がまだ山のように残っています。この研究プロジェクトがそれらの先駆けになればと思います。
写真:長江流域における現地調査・実験
写真:重慶付近での採水
写真:渡辺正孝 前プロジェクトリーダー(中央左)を中心としたAPEIS会議のひとこま。