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河口域に発達したヨシ原に生息するベントスの餌利用について

【研究ノート】

金谷 弦

はじめに

 河口域では、陸域から流入する栄養塩を利用してプランクトンや底生微細藻類が活発に増殖します。彼らは非常に小さいので目立ちませんが、河口域に暮らすゴカイやカニ、魚などの生物生産(二次生産)を支える「縁の下の力持ち」とも言うべき存在です。また、干潟やヨシ原に運ばれてきた有機物は底土中で微生物によって無機化され、栄養塩となってヨシなどの塩性植物に利用されます。秋が深まるとヨシは枯れ、底土上に堆積して微生物により分解されます。このように、河口域では炭素や窒素、リン等の生元素が、あるときは土の中、あるときは水の中へと存在形態を変えながら循環しています。

 干潟やヨシ原には多くの底生動物(ベントス)が暮らしています(図1)。彼らは海水と河川水が混じり合う汽水域の物質循環過程で重要な役割を果たしているため、多くの研究者が「ベントスの二次生産を支える餌資源は何か?」を調べてきました。しかし、彼らが餌とする懸濁物や底泥は様々な起源を持つ微細有機物の混合体であるため、実際にその中の何が消化・吸収されているのかについて多くの議論がなされてきました。1980年代になると、ベントスの炭素安定同位体比(δ13C)と窒素安定同位体比(δ15N)を測定することで彼らの餌資源を推定出来るようになり、干潟の物質循環研究は大きく進展しました。ここでδ13C(デルタ13シーと読むことが多い)とは、生物体にごく微量に含まれる「重い」13C同位体原子と多数を占める「軽い」12C原子との存在比率を示し、基準物質の値とどれだけ異なっているかを千分率偏差(単位;‰パーミル)で表します。同様に、δ15Nはごく微量に含まれる15N原子と多数を占める14N原子の存在比率を示しています。

図1 三重県津市田中川河口に発達した干潟とヨシ原(a)およびそこに生息する底生動物(b~d)
 干潟の砂を篩って採取した数種のゴカイ類と巻き貝(b)、ヨシ原に生息する有肺類であるオカミミガイ(c)とキヌカツギハマシイノミガイ(d)。2種ともに、2007年版環境省レッドリストでは絶滅危惧II類。バーは1cmを示す。

研究の背景

 私はこれまで、δ13C・δ15Nを指標として汽水域におけるベントスの餌利用を調べてきました。その結果、彼らは基本的に干潟に繁茂する底生微細藻類や、汽水性の植物プランクトンを餌としており、干潟辺縁部に群生するヨシや、川の水に含まれる陸上植物起源の有機物(生物やバクテリアにより分解されて微細粒子化したものはデトリタスと呼ばれます)はあまり利用していないことがわかってきました。しかし、これらの研究は植生のない裸地干潟を対象としていたため、ヨシ原内でどうなのか・・・?が気になってきます。河口域のヨシ原には多くのベントス種が暮らしていますが、ヨシなどの高等植物遺体を栄養源とするためには、細胞壁を構成するセルロースを分解する必要があります。最近になって、汽水域に暮らすベントスのヤマトシジミ(しじみ汁にするシジミです)が自前のセルロース分解酵素を持っていることが報告されるなど、ベントスが高等植物遺体を直接餌として利用している可能性が示されて来ています。私は、「ヨシ原に暮らすベントスの中にヨシの枯れ葉を主な餌とするものがいるのではないか」と予想して、研究を始めました。

ヨシ原と干潟の間でベントスの餌を比較する

 調査地は、三重県津市にある田中川の河口部に発達した小さな潟湖干潟です(図2)。田中川は住宅地や水田地帯の中を流れて伊勢湾に注ぐ小さな河川で、河口の南側には南北370m、東西150mほどの潟湖が袋状に発達し、干潟とヨシ原が自然に近い状態で残されています。満潮時には河口から海水が流れ込むため、多くの汽水性ベントス種が生息しています。ヨシ原内にはオカミミガイ類、ヘナタリ類、ベンケイガニ類などが生息し、潟奥部には淡水流入により局所的な低塩分環境が形成されています。私は、裸地干潟とヨシ原内をそれぞれ調査対象とし、生息するベントス種の安定同位体比を測定するとともに、底土有機物組成や底生のクロロフィル量を地点間で比較しました。餌資源候補としてはヨシの葉、底生微細藻類、海水中の植物プランクトン、淡水中の植物プランクトン、干潟上の海藻などを年に何度か採取し、安定同位体比を測定しました。

図2 三重県津市の田中川河口干潟とヨシ原
 ベントスの採取は裸地干潟内に設定した2地点と、隣接したヨシ原内の2地点で行った。

 図3は田中川河口域で採取した餌資源とベントス(2009年5月の値)のδ13C・δ15Nマップです。餌資源のδ13Cは紅藻のオゴノリや底生微細藻類で最も高く、海水中の植物プランクトンがそれに次ぎ、ヨシや淡水中の植物プランクトンは低い値を示しました。本調査地における淡水中の植物プランクトンが、一年を通じて非常に低いδ15N(年間平均値:0.9‰)を示したことは、大変興味深い結果です。この値は、大気中のN2の値(δ15N≒0‰)に近く、(1)植物プランクトンによる大気N2の固定や、(2)化学肥料など工業的に固定された大気N2の寄与を示唆しています。田中川河口域の植物プランクトンの窒素源については、調べていくとさらに色々と面白いことが見つかりそうです。

図3 田中川河口干潟で採取されたベントスのδ13C・δ15Nマップ
 緑菱形は餌資源、他のシンボルはベントス種を示す。青四角、すみれ色三角、赤四角はそれぞれベントスの採取地点を示す。1:フトヘナタリ、2:キヌカツギハマシイノミガイ、3:ユビアカベンケイガニ、4:クリイロカワザンショウガイ。バーは標準偏差。サンプル数が2以下のものに関してはエラーバーを示していない。

 ベントスのδ13Cは、干潟部で高くヨシ原内で低い傾向がみられました。一般に、ベントスのδ13C・δ15Nは一定期間に消化・吸収した餌の値を反映しており、δ13Cは餌とほぼ同じか1‰程度上昇し、δ15Nは3~4‰上昇することが知られています。干潟で採取されたベントスのδ13Cは-19‰よりも高いことから、底生微細藻類や海水中の植物プランクトンが彼らの主要な餌であり、δ13Cが低いヨシや淡水性植物プランクトンの寄与は小さいことがわかります。一方、ヨシ原内では光が遮られるため底生微細藻類の増殖が制限され、さらに枯れたヨシが底土上に蓄積しているため。餌としてのヨシの寄与が高まると考えられました。ヨシ原内のベントスが示したδ13Cは、それでもヨシと比べて5‰以上高い値でした。このことは、ヨシがあくまで「補助的な餌」として彼らに利用されていることを示唆しています。ヨシ原に暮らすベントスの中には高いδ13C(>-15‰)を示す種も幾つかみられましたが、これらの種は干潟部から運ばれてきた底生微細藻類を食べている可能性があります。また、淡水流入口に近い干潟で採取したベントスでは、δ13C・δ15Nともに低下する傾向がみられました。同一種内で比較してみても(図3;例えば巻き貝のフトヘナタリ)、同様の結果が得られています。この結果は、隣接した水路から流入する淡水性プランクトンが、潟奥部に暮らすベントスの二次生産に寄与していることを示しています。

 ヨシ原に暮らすベントスの中には、他種と明瞭に異なる安定同位体比を示した種もいました。例えば、殻高数mmの小さな巻き貝であるクリイロカワザンショウガイは他種より10‰以上低いδ13Cを示し、ユビアカベンケイガニやキヌカツギハマシイノミガイは他種と比較して4‰以上低いδ15Nを示しました。この結果は、ヨシ原という一見均一な生息環境下でも、ベントス種が異なる餌資源を利用していることを示しています。彼らは、ヨシ原に流入する淡水性植物プランクトンや、今回測定していない他の餌資源-例えば緑藻類や、イネ科やカヤツリグサ科に属する陸上のC4植物、菌類、バクテリアといった餌を利用している可能性があります。彼らの餌を推定するためには、脂肪酸組成や硫黄安定同位体比(δ34S)といった他のバイオマーカーが有効な手段となりそうで、現在作戦を練っているところです。

おわりに

 研究を始めるにあたって私が立てた予想-ヨシ原に暮らすベントスにはヨシの枯れ葉を主な餌とするものがいる-は若干外れてしまいました。しかし、ヨシ原に生きるベントスの二次生産に対して「ヨシに由来する有機物」が確実に寄与していることが確認されました。今回の研究で、干潟とヨシ原というごく近接した生息場所間でもベントスの餌利用が大きく異なっていることが示され、同じ生息場所に暮らすベントスの中にも満ち潮で干潟部から運ばれてきた底生微細藻類や、海由来の植物プランクトン、さらに流入淡水中の植物プランクトンを食べていると推定される種がいました。このことは、ヨシ原や干潟に暮らすベントスにとって、流入河川や隣接する沿岸海域とのつながりが重要であることを示唆しています。ヨシ原に暮らす希少種の中には特異的な餌利用を示す種もいたことから、餌資源の供給源となりうる隣接生息域までを含めた形での生息環境保全が重要であると考えられます。

 

(かなや げん、水土壌圏環境研究領域 海洋環境研究室)

執筆者プロフィール

金谷 弦 の写真

 昨年4月につくばに移住してきましたが、意外と田舎でほっとしています。職業的特技として「アサリの住み処がわかる」「干潟高速歩行」「味覚での塩分推定」などがあります(潮干狩り時に(だけ)とても役立ちます)。スーパーの食品売り場巡りとキノコ探しが趣味です。