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富栄養化による内湾生態系への影響評価に関する研究

プロジェクト研究の紹介

竹下 俊二

 内湾の多くは大都市圏に隣接し、経済価値、環境価値を考慮した湾岸価値は計り知れないほど大きい。しかし、内湾では大都市圏が大きな汚濁源ともなり、流入する汚濁負荷が大きいうえに汚濁物質が蓄積しやすいため、他の水域に比較して環境基準の達成率は依然として低い状況にある。内湾は、構造的に外海水との交換・混合の物理的作用が抑制されるという、いわゆる閉鎖性の特徴を持つ。このため流入した有機物や窒素、リン等が累積し、富栄養化状態を呈している所が多い。しかし、富栄養化が進行し、藻類など水生生物が大量に増殖すると赤潮発生など漁業への被害が問題となってくる。一方、内湾海域は生物生産の最も著しい水域でもあり、諸漁業に活発に利用されている。富栄養化が生物生産の増大に寄与していることを評価すると、豊富な栄養塩類の存在は魚類の生育にとって不可欠な要素でもある。このため、生物生産の増大と海洋環境の保全が調和して確保されるには内湾海域はいかにあるべきかを明らかにすることが強く求められている。

 内湾の複雑な海洋構造に起因した種々の汚濁物質の質的、量的変化とそれに伴う生態系への影響を明らかにするため、1986年度から特別研究「富栄養化による内湾生態系への影響評価に関する研究」が始まり、今年度が最終年度に当たる。ここでは、フィールド(現場)と室内における実験的研究について現在までに得られた成果の概要を紹介する。

 海域の富栄養化が顕著に進み、実際に赤潮が発生するのはどのような条件であるかを明らかにするためには現場での詳細な観測データの収集が極めて重要である。当研究所では、1984年から毎年夏期の1か月間播磨灘家島において化学的環境因子(窒素、リン、ケイ素、炭素、色素成分、金属類、pH及び溶存酸素等)、物理的環境因子(水温、塩分、光強度及び透明度)、微生物を中心とした生物相(植物プランクトン、動物プランクトン及びバクテリアの現存量と種組成)の現場観測を行っている。とりわけ、海水中に存在する物質のうち何が赤潮藻類(シャットネラ)の増殖速度を規定しているか、換言すると海水中の各物質はシャットネラの速やかな増殖を維持するのに十分な量が存在するかということを明らかにしなければならない。

 一連の観測データの解析結果から、(1)表層海水の窒素やリンの濃度はシャットネラの速やかな増殖の維持には不足している、(2)栄養塩濃度が水深方向に急変する層(躍層)より深い所(下層)では、窒素やリンは十分量存在する、(3)シャットネラの増殖に必須なビタミンB12は上層及び下層とも十分に存在することなどが明らかになった。このことから現場の窒素やリンが赤潮の発生に重要なかかわりを持つことが考えられ、フラスコレベルの室内実験を行って、増殖速度を測定し、その窒素やリン栄養塩濃度依存性を明らかにした。この結果、現場海水の窒素やリンの濃度を赤潮発生と関連付けて評価することも可能となった。

 次に、赤潮発生年と非発生年の栄養塩濃度を比較すると、両者とも表層(0〜5m)での栄養塩は枯渇しているが、発生年は非発生年に比べて浅い層(5〜10m)まで高栄養塩の海水が存在していることが分かった。このことから、赤潮の発生にシャットネラの持つ鉛直移動の効果が重要な役割を果たしているのではないかと考えられた。そこで、海水マイクロコズム装置を用いた室内実験によってシャットネラが明暗に対して敏感に応答して鉛直移動を行うことを再現するとともに、鉛直運動のメカニズムを表す生物拡散モデルの妥当性を検証した。一方、これまでの現場観測と1986年から開始した現場実験(海洋メゾコズム装置)の結果から日周鉛直移動距離は7〜8mであることが分かった。したがって、水深10mより浅い層に栄養塩躍層が存在するときはシャットネラは栄養塩の豊富な層に到達でき、そこで窒素やリンを摂取することで個体群を拡大することが可能となるが、躍層が深い位置に存在するときにはシャットネラは栄養塩の豊富な海水に触れることができず、赤潮を形成し得ない。このことから栄養塩躍層とこれを強く規制している水温躍層の位置(深さ)が赤潮発生の重要な因子であることが明らかになった。さらに、富栄養化の度合いを人為的に変えることによって藻類組成をけい藻類−べん毛藻類−シャットネラ赤潮のいずれへも遷移させ得ることが明らかになった。

 こうして、赤潮発生機構に関する多くの部分が解明されたが、赤潮を形成する藻類の生活史はいまだ不明である。現在、赤潮の発生は底泥中に存在する休眠胞子(シスト)の発芽によって開始されると考えられているが、今後はどれだけの量のシストがいつ、どのような刺激によって発芽するのかを知ることが重要である。この課題が明らかにされれば、赤潮の発生予測も可能になってくるものと思われる。

 内湾の有機汚濁には、陸域から流入する汚濁負荷のほかに同程度の湾内で生産される汚濁負荷があるとされており、今後はこの内部生産の評価と抑制が主要な研究テーマになると考えられる。我が国では、内湾域は今後ますます利用度が高まり、水質汚濁が及ぼす影響は漁業被害などの水界生態系破壊にとどまらない。悪臭の発生、景観の悪化、海水浴などレクリエーションへの利用障害など広範囲にわたる生活環境へのインパクトが問題となる。内湾海域の環境保全に当たっては、湾岸域価値に対する社会的、経済的な影響評価をも含めた総合的なアプローチが必要と考えている。

(たけした しゅんじ、地域環境研究グループ海域保全研究チーム総合研究官)