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国立環境研究所に広い視野での研究を望む

論評

(社)日本水質汚濁研究協会会長 昭和大学薬学部教授 濱田 昭

 現在の環境・公害問題は、その様相が大きく変わり、環境汚染がますます複雑、かつ多様化、広域化している。従って環境問題の解決にはより広い視点に立って、長期的に対処することがますます必要になっている。この度、国立公害研究所が国立環境研究所と改称して、研究組織も大幅に改組し、新たな研究体制で出発したことは、まことに時機を得たものであると言えよう。

 我々の学会「日本水質汚濁研究協会」も、かねがね時代のすう勢に即して会の名称を変えようと検討を加えてきたが、ようやく近いうちに結論を出す運びになった。その一つの案が「水環境学会」である。水資源の確保と水質の改善は、今後ますます要求されるようになると思われるが、そのためには水環境の保全が最重要課題である。本学会員は多様化する水環境保全問題に関して広く研究を進める必要性を感じており、学会としてもこれに積極的に取り組み、社会に貢献することを強くアッピールしたいと思っている。

 近年、オゾン層破壊、地球温暖化など地球規模の環境問題が大きくクローズアップされ、ややもすると水に対する人々の関心が薄らぎ勝ちである。確かに最近では、ひところの悲惨な公害を引き起こすような水の汚濁問題は少なくなっているが、農薬や溶剤など、化学物質による水の汚染が次々と明るみに出され、新たな水質汚染問題として注目されている。一方、酸性雨や湖沼水の酸性化など、水質問題も大気汚染と密接に関係していることが明らかになるなど、水質汚濁一つ取り上げても単純な問題でなく、多様化し、複雑になってきている。

 公害の発生は、我が国では明治以後、いわゆる近代文明、工業化の進展によって始まったものと理解されている。最新号の学士会報に載っていた「江戸時代の公害」という記事が目に止まった。著者の安藤精一氏によれば、公害を人為的に生態系を破壊し、直接・間接に人間社会に被害を及ぼすものとするならば、どのような政治・経済体制でも起こり得ることであり、日本の歴史においても、すでに古代から史料に表れているとのこと。特に江戸時代は農業中心から工業重視への転換期にあって、江戸時代の公害は多種類で広範な地域の及ぶようになり、かなり一般化されたようである。環境汚染の種類や被害の程度は産業技術の進歩や社会・経済の発展に伴って変化していくものであり、その頃と現代の公害の質と規模を比較しても意味ないが、ただ江戸時代の公害は主に新田開発、塩田開発に伴う開発公害と、砂鉄採取や鉱山などにみられる産業公害であり、その大部分が水利あるいは水質汚染など水に関係した問題であったことは興味深い。
 
 現在、環境水には数百種以上の有機物質が存在していると言われている。これは分析法の目覚ましい進歩により、かつては検出不可能だったごく微量のものが検出されるようになったこともあろうが、近年、次々に新たな汚染が明らかになることからも、その大部分が汚染物であることは想像に難くない。それらの多くはppb、pptレベルと微量のものであるが、その中には突然変異原性や発ガン性を示すものがあることは多くの研究者の指摘するところである。

 将来、水資源の確保のため水を繰り返し使用することが余儀なくされるであろうし、これら有機物が水道原水に含まれる可能性は高く、また処理過程で十分除去されずに飲料水に混入してくることも考えられよう。今後、飲料水の安全性を確保するために、水質の保全はその必要性を増し、これら有機微量汚染物質に対する対策がますます重要になるであろう。しかし、多くの微量汚染物質を個々に同定し、その有害性を調べることは必要であることは言うまでもないが、そのためには膨大な費用と時間を要する。そこで、個々の汚染物質の毒性でなく、汚染物質を含め水全体をマスとして捕らえ、マスとしての毒性の評価、安全性の判定などを行う必要性を痛感している。

 現在までのいわゆる公害と言われる環境問題は社会問題として提起されたものが多い。今後は、水質汚濁に限らず環境に関する問題は、危害を予知し、排除するという方向でありたいと願っている。しかし残念ながら、ただ危険々々と警鐘を鳴らしているだけでは容易に一般社会に理解してもらうことは難しいと言わざるを得ない。それは社会・経済問題等が複雑に絡んでくるからであり、地球規模の国際的な環境問題となると一層難しくなる。

 今後、産業技術や社会・経済の発展に伴って環境破壊に関する新たな環境問題が起こると思われる。大抵の問題は、多くの人々の英知を結集し対処すれば解決することは不可能ではないと思う。しかし、問題の解決に当たって、新たな問題が起こることがあってはならない。「木を見て、森を見ず」のたとえにならないよう、大局的かつ総合的な対策が強く要望されるところである。

 国立環境研究所では従来の公害問題だけでなく自然環境全般について、その時々の重要課題ごとにプロジェクトチームを組んで、多角的、総合的に研究を行うと聞いている。今後、我が国の環境改善に向けて正しい方向を示されるよう心から期待している。

(はまだ あきら)