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分子会合体の光化学

経常研究の紹介

井上 元

 気体状の原子や分子は激しく運動しており、分子間の引力は弱いので分子が2つ以上固まっていることはない。しかしながら、強い分子間力のある物質は室温で、また、分子間力が弱い場合でも低温では、かなり多数の分子が塊をつくる。これを分子会合体という。大気中では、水、窒素、酸素などの分子が付加した分子会合体が一定割合で存在し、これの光化学反応は単体のそれと異なっていると予想される。

 分子会合体の分子間結合距離は一般の化学結合より長く、結合も弱いが、化学結合と同様にある配置がもっとも安定で、低温ではほとんどその安定な構造をとる。いまこの分子を光分解するとどのような事が起こるかを考えてみよう。会合体を形成してもそれぞれの分子の化学的な性質は変わっていないので、会合体の光吸収スペクトルは、分子間の結合に伴う遠赤外の吸収が新たに生じるだけで、元々の分子の吸収とほとんど違わない。そして光分解も単独の分子と同様に起こる。一般に、分子が吸収する光分解のエネルギーは、分子を構成する結合エネルギーよりはるかに大きく、その剰余エネルギーが分解生成物の並進や振動、回転エネルギーになることはよく知られている。では、分子が会合していることによってどのような違いが生じるであろうか。

 その前に、分子の光分解の力学について説明しておく必要がある。この20年間に光分解のメカニズムが精力的に研究された。分子の結合を担う電子が励起され反結合の状態になると、その結合の間に大きな反発力が生じる。その力は今まで結合していた原子を反対方向に強く押すので、最初は原子間の運動となる。単純化すれば図1に示すように、直線3原子分子ならば、原子の並進エネルギーと2原子分子の振動エネルギーに多くのエネルギーが分配される。折れ曲がった3原子分子の場合は、2原子分子は強く回転を始める。このような力学的な素描が直線分子の光分解の機構をよく説明する。力学的な世界なら、質量の違いによる差異が大きいはずであり、実際、同位体による振動回転分布の違いが検証されている。

 では、会合体分子の場合はどうであろうか。一つは力学的違いである。つまり、会合体の相手が錨のような役割を果たし、並進や回転振動にブレーキをかけたり、これらの運動に分配されるエネルギーの割合を変えたりする。もう一つは、光分解してできた原子やラジカルと、会合体の相手が化学反応するケースである(図2)。前者はそれ自体が興味のある問題であるが、本質的には力学問題を複雑にするにすぎない。これに比べ後者は化学反応にとって本質的な問題をはらんでいる。

 一般に化学反応は分子の自由な衝突運動の中から、ある条件(相対速度、衝突の角度など)が満たされて進行するものであるが、この場合は衝突の条件がかなり限定されている。光分解で生成した原子は反応するまでに何度も衝突を繰り返し、室温程度の並進エネルギーとなって反応するが、いまの場合は高い並進エネルギーのままで衝突する。これが第一の相違点である。第二に、衝突の角度は元の分子会合体の構造と光分解の方向によってかなり狭い範囲に限定される。

 世界ではすでに(CO2・HBr)などわずかではあるが会合体の光分解の実験例があり、その結果は上記のモデルを支持していた。私たちは亜酸化窒素の二分子会合体(N2O)2の光分解から生成するNOの振動回転分布を求めた(図3)。実験前の予想では会合体の非直線的構造と光分解で生じる酸素原子の高い並進エネルギーから、生成するNOは高く回転励起すると思われたが、実験結果は逆に80K程度の冷えた分布となった。このような予想と結果の違いがまた新たな研究の出発点になるのであり、極めて興味深い。

(いのうえ げん、大気圏環境部大気動態研究室長)

図1  振動励起  回転励起
図2 会合分子内反応
図3  (N2O)2の光分解反応で生成したNOの回転分布