ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

農薬汚染の水生生物に対する影響調査

環境リスクシリーズ(6)

畠山 成久

 現在,当研究所の特別研究の一つとして,「化学物質の水界生態系に及ぼす影響評価」に関する研究を進めているが,表題の調査もその一環である。農薬の汚染により,かつては身近にいた多くの種類の生物が見られなくなったとか,その数が少なくなったと言われだして既に久しい。更に,現在の河川または湖沼の状況は有機汚濁,農薬以外の化学物質の汚染,護岸や堰など水環境の物理的改変,水生植物や水辺周辺の樹木の減少など水生生物の安定した生息がますます困難なものとなっている。そのため現在,多くの河川や湖沼における水生生物相は,これら諸要因の複合的影響を受け,既にかつての健全な姿からかなり変容し,この先も更に悪化する可能性が高い。

 この様な状況下で,農薬汚染の生態影響のみを区別して評価するには困難を伴い,野外での影響調査のみならず,室内での毒性試験,河川や湖沼のモデルによる生物間の相互関係に依存した影響評価など種々のレベルでの研究が必要とされるが,ここでは研究所の周辺でおこなった農薬の生態影響に関する野外調査例に限って紹介する。

 1)松くい虫防除のため,各地の山林に殺虫剤が空中散布され,その一部は河川に流入する。調査地点(筑波山の渓流)ではフェニトロチオン(MEP)の濃度が散布の直後に約20ppbまで急速に増加し,その後約3時間の半減期で減少した。問題はこのような,比較的短時間,低濃度の暴露でも,散布の数時間後から多くの種類の水生昆虫が薬剤流入のため上流から,続々と流されてくることである。これらの生死は判別していないが,ヒラタカゲロウ類などでは脚の脱離など体の破損が顕著である。この際,普段の正常な流下(多くの水生昆虫は夜間に流下し,下流で成長・羽化し,成虫が川を遡上し,産卵するサイクルを繰り返す)では見られない若齢の水生昆虫(コカゲロウの場合)が殺虫剤散布のため多量に流下させられることや,散布の翌日からは上流での生息密度減少のため夜間の正常な流下がほとんど見られなくなることなどが明らかとなった。調査河川ではこのような空中散布(6月に2回)が10年来繰り返されている。長期的な生態影響については,カゲロウなど夜間に正常に流下する種類(上流に非散布地区がある)やユスリカなどライフサイクルが短く産卵の機会の多い種類はかなりの回復が起こっているが,カワゲラなどそうでない種類には長期的影響が示唆されている。

 2)水田地帯の河川水からは,春から秋にかけて,各種の農薬が検出されている。夏季には,水稲の病害虫防除の目的で,殺虫剤と殺菌剤が空中散布されることがある。筑波山の山麓における中流域河川の調査では,8月に空中散布されたフェニトロチオンは最大濃度が19ppbに達し,濃度の半減期は約0.5日であった。この河川は田園地帯を流下するため家庭廃水等の汚染は少ない。前節の渓流の場合よりも,底生生物の構成種はかなり少なく(農薬の長期汚染もその原因の一つかもしれない),主な構成種はユスリカ類,コカゲロウ類,シマトビケラ類であった。ユスリカ類とコカゲロウ類は一時的に生息密度が激減したが,ユスリカ類は早くも散布6日後から,コカゲロウも散布の13日後から生息密度の回復が認められた。しかし,シマトビケラ類の回復はずっと遅れた。この際に,藻類を摂食するユスリカ類やコカゲロウ類が減少したことによる付着藻類の増殖が認められた。この河川での数カ月にわたる調査によると,ユスリカ類には農薬類の高汚染時期にも生息密度にあまり変化を受けない種類が見られ,これらは農薬汚染に耐性を有している可能性がある。コカゲロウ類は農薬濃度が比較的高い時期には生息密度が低下するが,その生息密度の回復過程は種により異なっていた。上流域にも生息するシロハラコカゲロウは流下により速やかに回復するが,中下流にしか生息しないサホコカゲロでは産卵により回復するため,回復には一ヶ月以上かかった。

 3)更に下流域では鬼怒川,小貝川,桜川などのように近辺では比較的大きい河川も調査の対象とした。これらの河川では単一種の農薬の影響よりも,各種農薬の複合的な生態影響の可能性が予測される。平成元年度は農薬類に感受性が高い淡水産のエビを飼育し,生後4週間のものを,採取した河川水中に導入し,その死亡率を4日間調べることにより,一面的ではあるが河川水の総合的毒性の周年変動を8河川の定点について調べた。その中で,一時期エビに対する毒性が最も増大した小貝川の場合を図に示す。河川水のエビに対する毒性は5月下旬から急速に高まり,その状態がほぼ1ヶ月近く続いた。6月下旬から7月中旬にかけ,一旦低下した毒性は7月下旬から再び増大の傾向を示した。8月初旬に毒性が一時低下しているのは台風による増水で農薬が希釈されたことによる。程度や時期にそれぞれ,差異があるものの,毒性が2度高まる傾向があることは,調査したどの河川でも認められた。前半のエビに対する毒性が高い時期には,数種類の除草剤濃度はかなり高いが,それよりずっと低濃度の1〜数種類の殺虫剤の影響による可能性が高い(除草剤との複合影響等は未試験)。後半の毒性は,散布時期や分析結果などから,この時期に各地で行われる殺虫剤・殺菌剤の空中散布による寄与が殆どであると考えられる。9月中旬以降はエビの死亡は全く起こらなくなった。このエビはかつては各地で水産資源となるほど河川や湖沼に繁殖していたらしいが,現在ではごく限られた所でしかその生息を聞かなくなった。このままでは絶滅に向いつつあると思われるエビの1種が,水界の複合的農薬汚染が生態系に潜在的影響を及ぼしていることを示唆している。

(はたけやま しげひさ,生物環境部水生生物生態研究室)

図  小貝川河川水中でのヌカエビ死亡率(%)の季節変化