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化学物質によるリスクと計測

環境リスクシリーズ(1)

相馬 悠子

 化学物質に対するリスクアセスメントを定量的に行う時は,物質の毒性を決める用量—反応(Dose - response)アセスメントと人間がその物質にどの程度さらされているかを決める暴露(Exposure)アセスメントの両方を使って,リスクの判定がなされる。暴露アセスメントは,理想的には実測された値を基にして決められるべきものであり,化学物質による暴露量の計測は化学計測によって得られる。

 現在世界中で報告されている化学物質は930万種を越え,産業的に生産されているものだけでも5万種を越えると言われている。一つの物質のリスクの判定が出来上がるためには長時間の研究が必要なので,リスクアセスメントを効率よく進めるためには,用量—反応アセスメントと暴露アセスメントを平行して進める必要がある。暴露アセスメントでは,暴露される集団の構成や大きさ,暴露の量,頻度,期間,経路を決定するが,そのためには地域的かつ時間的分布を持った暴露量の計測がなされねばならない。従って暴露の経路に入ってくる可能性のある,あらゆる環境媒体(大気,水,土壌等)での計測が必要であり,過去における暴露を生物への蓄積量から求めるために生体資料の計測も必要になる。

 特別研究「先端技術における化学環境の解明に関する研究」で集中的に研究されているPCDDやPCDF(塩化ダイオキシンや塩化ジベンゾフラン),有機スズ化合物,揮発性有機塩素系化合物を例にとって,暴露量を決めるための計測の特徴や難点について述べてみよう。多量かつ多種の有機物質を含む生物や土壌中の化学物質の計測は有機物質に妨害され難く,その計測のためには、高感度かつ高分解能(高選択性)の計測法の開発が必要である。暴露量を決める計測では,測定の検出下限に対する要求は毒性の強さを考慮して定めねばならず,毒性の強い物質は非常に低濃度の検出も必要になる。その代表例がPCDDやPCDFである。PCDDはジベンゾダイオキシン骨格についている塩素の数とそれら塩素がどこについているかにより75種の異性体があり,それぞれの異性体の毒性は大きく異なる。4個の塩素が対照的についている2,3,7,8-四塩化ダイオキシンは一番毒性が強く,他のPCDDの103-105もの毒性がある。そこでppbからppt濃度レベルのPCDDの異性体を区別して分析する必要があり,キャピラリーカラムを使ったガスクロマトグラフで分離し高分解能質量分析計での分析が行われ,2,3,7,8-TCDDでは最小検出量が50fg(10-15g)に達している。その測定値は直接リスクの判定に関与する値であるので,測定値の精度およびその精度管理が非常に大切になる。地域的にも広い範囲の多くの機関,人々が計測に関与する場合は特に重要な問題になる。

 一度環境中に放出された化学物質がどのような経路をたどって,どこに運ばれ,どのように変化するかを見極める事は暴露量の計測地点の配置の最適化をはかるためにも大切である。有機スズ化合物(トリブチルスズ,トリフェニルスズ等)は漁網防汚剤や船底塗料として多く使用され,海水中への放出が考えられるので特に近海での計測が大切であるが,これら有機スズは吸着されやすい物質で海底質や海底生物への濃縮が大きく,海産生物の食品を通しての暴露も考慮しなければならない。またPCDDのように有機塩素化合物の合成の途中で副反応により生成され気付かぬうちに環境に放出していたり,ごみ焼却の過程で塩素を含む物質の燃焼で生成されたりもするような例では,化学物質の移動経路や反応を知ってはじめて汚染源と適切な測定点がわかる事になる。

 揮発性有機塩素化合物は一度環境に放出されると,かなり広範囲の大気,水,土壌に広がる。一般大気中の揮発性有機塩素化合物(フロン,トリクレン,バークレン等)の連続モニタリングを行って見ると,一日の変動や季節変動が大きく,冬の朝の濃度は夏の昼間の濃度の数十倍にもなっているのがわかる。また室内空気と外気では,室内の方が濃度が高い。従ってこのような物質では時間的,職業的暴露量の分布をも求める必要が起こり,代表性のある測定値を得るためには,測定点の選定,測定頻度の考慮が,より重要になってくる。

 このような暴露量の計測値や,現在と過去の暴露量から将来の暴露量の測定などから,暴露アセスメントが出来上がる。そして,これらは常に毒性情報と対応する内容である事が望ましいのは,言うまでもない。さらに用量—反応アセスメントでは,化学物質による生物への影響のメカニズムや,化学物質の体内動態の解明に化学計測が重要な役割を果たすであろう。

(そうま ゆうこ,計測技術部生体化学計測研究室長)

化学式が書かれた図