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2020年5月1日

農業と環境保全

特集 持続可能社会のためのまちとしくみの評価
【環境問題基礎知識】

岡川 梓

はじめに

 東京オリンピック・パラリンピックの選手村で提供される食事に使う食材は、GAP(ギャップ)認証を得た農業経営体しか提供できないというニュースを耳にしたことがあるでしょうか。GAPとはGood Agricultural Practiceの頭文字をとったもので、適正農業規範、または農業生産工程管理と訳されます。GAPはISO(国際標準規格)のようなものであり、農薬が正しく使われているか、安全な肥料が使われているか、きれいな水で洗われているかといった生産工程管理・衛生管理の規範を指します。また、第三者機関の審査により、これらの規範をクリアしたと認められた農業経営体がGAP認証を取得することができます。GAP認証にはたくさんの種類がありますが、例えばヨーロッパを中心に世界的に広く利用されている“グローバルGAP”の認証を取得するためには、200以上のチェック項目をクリアする必要があります。GAPは工程管理の規範であるため、従来の結果管理に比べると、問題を未然に防ぐ効果や、原因の究明を容易にする効果が期待されます。

 GAPは、食の安全やブランド化、輸出拡大、農畜産物の競争力強化といった話題の中で取り上げられる印象が強いのですが、農林水産省によれば「GAPとは、農業において、食品安全、環境保全、労働安全等の持続可能性を確保するための生産工程管理の取組のこと」とされており、GAPのチェック項目の中には環境保全に関するものが多数含まれています。というのも、GAPはもともと環境保全を目的としてEUで進められてきた取り組みなのです。EUでは、共通農業政策の下で価格支持や輸出補助により域内の農畜産物の増産をした結果、化学肥料の多投、家畜の排せつ物の増加によって、硝酸塩による水質汚染が深刻化しました。そこで1991年にEU硝酸塩指令が出され、その実現のため国ごとの事情に合わせてGAP規範を整備するよう加盟国に義務付けられました。現在では、GAPはEUにおける環境直接支払制度(後述)への参加要件とされています。日本でも同様に、環境直接支払制度への参加にはGAPを実践していることが要件となっており、GAPと環境保全には深い関わりがあります。

日本の農業分野における環境保全

 日本の農業分野における環境政策についてご紹介しましょう。まず、誰もが最低限守るべきものとして「農用地土壌汚染防止法」「水質汚濁防止法」「家畜排せつ物法」「農薬取締法」といった法律による規制があります。これらは、人間や環境に及ぼす深刻な悪影響をなくすためのものであり、安全な農畜産物を生産できる農地にすること、農畜産業による環境汚染を防止することを目的としています。そこからさらに進んだ環境保全、すなわち適正な施肥や農薬使用、エネルギー削減などの取り組みを普及するため「環境と調和のとれた農業生産活動規範(農業環境規範)」の順守や、もっと進んだ「エコファーマー認定」の取得があり、これらは各種支援策の受給要件とされています。また、近年注目されているのが経済的手法である「環境直接支払(環境保全型農業直接支払交付金)」です。これは、環境保全型農業を選択する農業経営体に対して、その取り組み内容に応じた交付金が支払われる制度です(表1)。2018年度までは、エコファーマーの認定を受けていることが制度参加の要件でしたが、2019年度からは前述のグローバルGAPも含む「国際水準GAP」の実践が要件となりました(認証取得までは求められません)。日本政府としては、競争力強化を念頭に日本の農家のGAP認証取得を拡大し、さらにアジア諸国への普及を目指すことを前面に打ち出している印象がありますが、環境改善に対する基本的な取り組みをGAPという規範で確保し、さらに進んだ取り組みを環境直接支払で促進すると整理することができます。

表1 環境直接支払制度の対象となる取り組み
対象取組 交付単位

全国共通取組

カバークロップ(緑肥)の作付け
5割低減の取組(*)の前後のいずれかに
カバークロップ(緑肥)を作付けする取組
8,000円/10a
堆肥の施用
5割低減の取組の前後いずれかに炭素貯留効果の
高い堆肥を施用する取組
4,400円/10a
有機農業
化学肥料及び化学合成農薬を使用しない取組
8,000円/10a
地域特認取組
地域の環境や農業の実態等を勘案したうえで、地域を
限定して支援の対象とする、5割低減の取組とセットで
行う取組(例 冬期湛水管理、江の設置、総合的病害虫・
雑草管理(フェロモントラップなど)など)
3,000-8,000円/10a

*化学肥料及び化学合成農薬の使用を地域の慣行から原則として5割以上低減する取組。
農林水産省Webサイトを参考に筆者作成
(https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/kakyou_chokubarai/mainp.html)

日本以外の事例と日本が抱える課題

 次に、日本以外の事例として、EUとアメリカの農業環境政策を見てみましょう。と言ってもEUとその加盟国やアメリカでは、日本と同様に農業分野における環境保全に関連する法制度は複数あり、導入の経緯や政策目標、政府と生産者の費用負担の考え方が多種多様であることから比較は簡単ではありません。2008年にEcological Economicsという学術雑誌に発表されたBaylis氏らの研究によれば、EUとアメリカでは農業分野において重視している「環境保全」の内容が異なります。EUでは、農業が作り出す風景や、人の手が入ることで維持されている生態系を保全することが重視されています。日本でいう農業の多面的機能の維持が近い考え方と言えるでしょう。保全への取り組みのうち、GAPの項目を超える取り組みに対して助成金が支払われる「環境直接支払」が政策の柱となっており、農業による正の効果を維持または増やすことが目的です。一方、アメリカでは農業による負の影響を減らすことがより重視されています。よく知られているのが、保全休耕地プログラム(Conservation Reserve Program: CRP)です。CRPでは、土壌侵食を受けやすい耕地での農業生産を完全にやめて牧草地や林地に転換するために、地主が保全計画・休耕地・地代を政府に提出し、CRP登録選定オークションに参加します。政府が保全計画と土地を一緒に借り上げるイメージです。CRPは日本で実施されてきた減反政策に似ています。CRPもまた生産調整と農家への所得補償のために出てきた政策です。EUとアメリカいずれの農業環境政策も、農畜産物の貿易戦争、輸出補助金や価格支持政策による過剰生産、生産調整、農家への所得補償と絡んで登場したものですが、自然条件や農業生産の特徴によって解決すべき問題が異なりますし、国・地域によって政策形成のプロセスも異なるため、それぞれの事情に応じた政策が実施されています。

 OECDによれば、日本の農業環境政策は先進国の中で進んでいるとは評価されていません。OECDが2018年に公表したレポート「Innovation, Agricultural Productivity and Sustainability in Japan」によれば、日本の農業環境政策は、政策のターゲットが明確にされておらず、定量的な目標が設定されていないことなどが問題点として指摘されています。農業環境政策の世界的な潮流は、政府から生産者へ支払われている補助金の総額(支持額)に対する環境保全行動への補助金の割合を増やしていくことです。しかし、その割合は、EUでは9%、アメリカでは13%であるのに対して、日本では0.2%と圧倒的に低い水準にあります(2015年から2017年の3年間)。また、環境直接支払制度については、取り組み1件あたりの交付金額が小さく、制度開始前から取り組みをしていた経営体が参加するケースも多いと考えられ、取り組み主体を拡大する効果は限定的と言われています。効率性の低い交付金の支払い方が採用されている点も問題です。交付金の支払い方には行為支払いと結果支払いの2種類があります。日本が採用している行為支払いは、制度への参加を表明した時点で交付金が支払われる方式です。一方、結果支払いとは、取り組んだ成果に応じて交付金が支払われる方式です。行為支払いでは、農業経営体の意欲を評価することができること、成果が出なかった場合にも交付金を受け取れることから農業経営体の負うリスクが小さく、参加しやすい制度と言えます。しかし、行為支払いよりも結果支払いの方が少ない予算で高い政策効果を期待することができます。その他に、交付対象となる取り組みの種類が限定的でコメ農家に偏っていること、申請手続きの煩雑さなどが問題点として指摘されています。

おわりに

 日本の有機農産物の生産者は、農家戸数全体の1%未満です。生産者からすれば、味の良さや安全であることに価値を感じる消費者は多くても、環境保全への貢献に価値を感じる消費者は少ないため、環境配慮型農産物と謳っても売り先がない、栽培管理の手間に見合う価格で売れないという状況にあるでしょう。一方、消費者や流通業者からすれば、環境配慮型農産物の生産者が限定されているため、安定的に供給されないことやバラエティの少なさにより、慣行栽培された農産物の方が選びやすいという状況にあると考えられます。こうした両者のバランスから抜け出すためのきっかけを作るのが環境政策の役割です。しかし、これまでの農業保護政策の結果である収益性の低さ、それに起因する労働力不足、高齢化の進展といった構造的な問題が山積する中で、環境政策は進めにくく予算規模の拡大には時間がかかりそうです。オリンピック・パラリンピックをきっかけとしてGAPが消費者にも生産者にも認知され、良い取り組みをしている農家の作ったものが優先的に取引される世の中に変わっていけばと思います。

(おかがわ あずさ、社会環境システム研究センター統合環境経済研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

「食べ物を無駄にしちゃいけないよ。なぜなら、、、」と子どもたちに説明する中で、自身の食生活が環境負荷、劣悪な労働環境、低い生活水準等に支えられている現実、そして自分自身も共犯者であることを突き付けられ、ドキっとします。

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