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2018年2月28日

サンプリングの理想と現実

特集 化学物質曝露の包括的・網羅的把握に向けて
【調査研究日誌】

橋本 俊次

 筆者が専門とする環境化学の分野で「調査日誌」といえば、フィールドでの試料採取(サンプリングといいます)の顛末を書くことになるのでしょうが、最近はめっきり現場調査に出かける機会が減ってしまっているので(環境研究者として大いに反省すべきところです)、研究仲間から聞いた話も交えて紹介することにします。

 10年くらい前まで、筆者はダイオキシンによる環境汚染の調査研究をしていました。ダイオキシンというのは一群の化学物質の通称で、その中でも2,3,7,8‐テトラクロロジベンゾ‐p‐ジオキシンの毒性が最も高く、催奇形性や発がん性があり、ごく微量でも様々な生物に悪影響を及ぼすということで、環境基準や排出基準が設定されました。例えば河川や湖沼で1pg/L(pgはピコグラムと読み、ピコとは1兆分の一という意味)、つまり、ダイオキシンは、1Lの水の中に1兆分の1gを超えていてはならないということを意味しています。これは、オリンピック用プール(長さ50m 幅25m 深さ3m )100万杯分の水に角砂糖1個分のダイオキシンが入っているイメージです(イメージしにくいですね)。ちなみに、ヒ素の水質環境基準は0.01mg/Lで、同じような例えをすると、小学校のプール(長さ25m 幅12m 深さ1.25m)1杯分の水に角砂糖1個分のヒ素が溶けている感じです(少しイメージできましたか?)。他の物質に比べても格段に基準値が低いのですが、その超低濃度を測らなければなりません。感度の高い測定装置を使っても、十分ではありません。そういう場合には、サンプリングする試料の量を増やすことで対応します。試料量を増やすというと簡単に思えるかもしれませんが、それが、環境分析を大変にしている原因の一つでもあります。例えば、河川水中の農薬類を測る場合には、普通、数百mLか1 L程度の量を採水すれば充分ですが、ダイオキシンのような微量汚染物質だと、普通の河川水や地下水で20-50L、海水で100L、場合によっては1,000Lくらいの量が必要になります。試料の量が増えれば、採るのも大変、運ぶのも大変、置いておく場所にも困るのです。川の水はどこで取ると思いますか?基本は、川の流れの真ん中です。そこまで毎回、船を出したり、人が水に入って行ったりすることは大変で、しかも危険だったりするので、普通は橋の上から採水します(写真1、2)。

サンプリングの様子の写真
写真1 河川水のサンプリング風景1
浅くて安全ならば、直接採水します
サンプリングの様子の写真
写真2 河川水のサンプリング風景2
高さ30mの橋の上からの採水します

 調査地点がよく「○○橋」となっているのはそのためです。橋の上からロープを結んだバケツを下して水を汲み上げるのです(実は、川の流れにバケツを持っていかれたりするので、これも危険だったりします)が、橋というのは存外に高さがあります。小さな橋でも5、6m、大きな橋なら10mを超えることも珍しくありません。さて、そこからの採水。10Lの水は一度にはとても重くて汲み上げられないので、3、4回に分けて採水をします。バケツを下して上げる。これを人力で繰り返します。同じ地点で、予備の試料も採水しますので、作業量は2倍になります。必要な水の量が倍なら、さらに倍。一日に10地点も回ればヘトヘトですね。

 大気の環境調査の場合も、窒素酸化物や硫黄酸化物、PM2.5など自動連続測定が可能なものもありますが、ダイオキシンのような超低濃度の物質については、水と同じように大量の試料が必要になります。通常、1,000m3もの大気をサンプリングする必要があります。具体的には、ハイボリュームエアサンプラー(HVASと略します)という装置を使って、空気を毎分100Lの速さで1週間連続吸引し(空気中の濃度は日々変化するので、1週間の平均を求めるため)、空気中の汚染物質を石英繊維ろ紙とウレタンフォーム製の捕集材で捕集します。このHVASが、結構大きくて重さもあります。高さ約150cm、幅と奥行き約50cm、重さ30kgくらいが一般的です。空気を吸引するのに掃除機のようなファンを使うので電源も必要です。このため、大気のサンプリングができる場所は自ずと限られてしまいます。ついでに書くと、HVASの値段も安くはないので、一度に何台も揃えることもできません。大気のモニタリングは、ひらけていて邪魔にならない場所で行いますが、街の中ではビルの屋上でサンプリングをすることが多く、そのビルに不幸にもエレベーターが無い場合には、階段をひたすらHVASを担いで登ることになります。HVASを設置したままで良ければ、苦労は最初だけですが、大抵はこれを調査地点(ビル)の数だけ繰り返すことになります。こうしてみると、環境調査は体力勝負といえますね。同業者にマラソン好きが多いのもうなずけます(単なる偶然だとは思います)。

 環境モニタリングとは、決められた地点で継続的に環境中の化学物質濃度を監視することですが、このようなサンプリングを毎日するのはとても無理だということもあり、多くの場合、年に1回とか季節毎に1回といった調査頻度になっています。実際には大気や河川水中の化学物質の種類や量は、日々、時々刻々と変化している筈なので、これでは正しく環境監視ができているとはいえません。匂いがある、川の水の色が変わる、大量の魚が死ぬといった明らかな変化があれば、その後に急いで対応することもある程度可能かもしれませんが、外見的な変化がない場合には、基準超過があっても気付けません。できれば、被害が出る前に気づきたいところです。そのためには、もっときめの細かいモニタリングをする必要があります。

 そこで、筆者のグループでは、簡単に高頻度にサンプリングができるような方法の開発もしています。これまでの分析法では、サンプリングした試料のうち1/20~1/100の程度しか測定に利用できませんでしたが、ほぼ全量を測定することにより、水の場合には100 mL程度、大気の場合には数m3のサンプリングで済むような方法を目指しています。例えば、大気の場合は、HVASの代わりにバッテリー駆動が可能な手のひらサイズのミニポンプサンプラーが使えます(写真3)。運ぶのも楽で、設置場所の制限も少なく、値段もHVASの1/10以下ですので、モニタリング地点と頻度を増やしやすくなるはずです。今は、この新しいサンプリング法の実証試験を日本各地のいろいろな場所ですすめています。先の方法に比べれば、夢のようですね。しかし、現実は甘くありません。何事も新しいことには特にトラブルがつきものです。新しい大気サンプリング法では、ミニポンプで吸着材の入ったガラス製の吸着管に空気を通しますが、この吸着管が詰まることがあります。使うミニポンプは静かで、室内でも使えることが売りなのですが、吸着管が詰まってくると、ミニポンプが無理をしてけたたましい音が出ます。そのことに気づく前、学校の屋内環境調査でこのミニポンプサンプラーを使用したことがありました。設置から2週間後、この装置を回収に行くと、原付自転車のエンジンのような音(ちょっと大げさ)が廊下中に響いているではありませんか。まさか、校舎内で暴走?などと思っていたら、音の元凶が筆者の据え付けていったミニポンプサンプラーだったのです。2週間もの間、生徒さんたちはこの音に耐えていたのかと思うと、顔が青ざめました。学校の皆さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。このほかにも、吸着管がいつの間にか外れていた、山の上に持って行ったら使用中にミニポンプが壊れた、ミニポンプサンプラーを乗せた三脚ごと倒れていたということを経験しながら、その都度、対策を検討しています。

サンプリング機器の写真(クリックすると拡大表示)
写真3 大気サンプリング風景
(奥:HVAS、手前の2台:ミニポンプサンプラー)

 結局、方法が変わっても、現場調査ではいろいろな問題に遭遇します。万全を期して準備をするのですが、現場で起きることは時に想像を超えます。最後に、研究仲間から頂いたサンプリングの日常風景を少しだけ紹介しておきます。

 海のない内陸でも海に近いところでは満潮時に川の水が逆流するため、正しい採水をするためには、潮見表での確認が必要だったりする。

 晴れの続いた時期に川に採水に行ったら、水が無かった。

 採水バケツを釣り竿とリールで引き上げることを試みたが、重くて持ち上げられなかった。

 川底に自転車などがあるため、ゴムボートの底に穴が開いてびしょ濡れになった。

 HVASを開けたら中がカメムシで一杯になっていた。

 等々、もちろん、何事もなくサンプリングできる日もありますが、現場は発見の毎日ですね。

(はしもと しゅんじ、環境計測研究センター 応用計測化学研究室 室長)
 

執筆者プロフィール:

筆者の橋本俊次の顔写真

分析法開発では新しいソフトウェアも作っていますが、ソフトウェア開発を外注するほどお金がないので、仕方なく自前でコードを書いていたりします。おかげで昼夜の区別がなくなり、日中でもぼんやり・・・。

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