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2017年12月28日

海外の生物資源は誰のもの?-ABSとは

特集 日本の自然共生とグローバルな視点
【環境問題基礎知識】

竹内 やよい

 地球上には約870万種以上の生物が存在すると言われています。私たちが生物や生態系から受ける恩恵は、食料、医薬品、レクレーションなど直接的なものから、防災、気候の調整など間接的なものまで多岐にわたります。しかし、1960年代ごろから先進国の企業が生物資源の豊富な途上国に進出し、開発による生物の乱獲や生息地の破壊が進み、生物種の減少や絶滅が危惧されるようになりました。この時代には、「遺伝資源は人類の共有財産で、自由に利用できるもの」(FAO、1983)という考え方が根本にあり、遺伝資源の利用や利益分配に関する規制がなかったため、先進国の企業が途上国の生物資源を利用して商品化し、その利益を独占する状況にありました。いわゆる南北問題の要素を含んでいることも相まって、国際的な地球環境問題としても大きく取り上げられました。

 状況が一変したのは、1992年のリオ・サミットです。この会合で、生物の多様性の保全と持続的な利用を目的とした「生物多様性条約」が採択されました。生物多様性条約が画期的だったのは、「生物資源は存在する国のものである」と、国の権利を明確にした点です。さらに、生物多様性条約の目的の一つとして「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分(ABS, Access and benefit sharing)」を掲げました。先進国の企業が途上国の遺伝資源から得た利益を独占することを禁じ、資源提供国と事前の契約をもって平等な利益分配を行うことを定めたのです。また、ABSの対象は、生物資源だけでなく、それに関する先住民の伝統的知識も含まれるとしました。先住民の伝統的知識は、医薬品等の有効成分抽出の手がかりとなる場合が多く、それを利用した場合は先住民の地域社会への利益分配が必要であるとしています。このように、生物多様性条約は生物資源やそれに関する伝統的知識そのものの経済的価値を認め、生物多様性の価値を社会経済システムへ組み込む仕組みを示唆しており、この点は先駆的だったとも言えます。現在では、「生態系サービス」や「自然資本」などの考え方の下、環境に対する経済的な支払いによって保全を行う社会的な仕組みが実際に動いています。

(a) 大航海時代、アンデスで栽培されていたジャガイモ(写真)、トマト、タバコ、トウガラシなどの作物がヨーロッパにもたらされた。(b) 伝統薬として利用されていたマダガスカル原産のニチニチソウ。米国の製薬会社が小児白血病に効果があるアルカロイドを単離し、特許を取得したが、適切なABSが行われず問題となった。

 しかし、ABS問題はそう簡単には決着はつきませんでした。生物多様性条約以後の締約国会議において、先進国(利用国)と途上国(提供国)の間で対立が続きました。特に、遺伝資源の定義(途上国は、生化学的化合物などの派生物を含めると主張)や、条約の遡及がどこまで適用されるか(途上国は、植民地時代などの条約以前まで遡及することを主張)、などが議論の焦点でした。ABS問題が大きく進展したのは、国連の「国際生物多様性年」でもあった2010年、名古屋市で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)においてです。議長国であった日本が各国の主張を最大限に取り入れる形で議定書案をまとめ、交渉を積み重ねた結果、ABS遵守のためのルールを定めた「名古屋議定書」が採択に至りました。これによって、ABSの遵守は法的拘束力をもつことになりました。

 名古屋議定書では、遺伝資源や伝統的知識へのアクセスは商用利用、学術利用ともに資源提供国と利用国の間で定められた事前の手続きが必要であるとしています。また、各国における利用と提供の国内法の策定、ABS遵守の監視と透明性を高める措置と、国際チェックポイント機関へ情報提供も求められています。そして2017年の8月20日、日本でも名古屋議定書の国内担保措置(ABS指針)が施行されました。日本国の利用国としての指針では、海外から持ち込まれた遺伝資源で条件に当てはまるものを、環境大臣に報告することを定めています。また、国内チェックポイントである環境省は、日本国がABSを遵守していることを監視し、国際的なチェックポイントに対して情報提供を行います。ただし、この国内措置は法令ではなく指針であり、違反に対する罰則は定められていません。比較的緩い指針であるため、利用者としての負担はそれほどないと考えられますが、逆を言えば、利用者側が提供国の法令を遵守し、自己責任として対応する必要があるともいえます。

 国際的にみると、名古屋議定書を批准した国は生物多様性条約加盟国の半数(100カ国)を超えました(2017年9月現在)。また、資源提供国の中で、遺伝資源の提供先を名古屋議定書批准国に限定する動きも出てきています。日本における国内措置の施行は、提供国との信頼関係の構築や、遺伝資源の円滑な取得、国際共同研究の推進などにつながることが期待されます。

 生物多様性条約の発効時、ABSに対応するためにいち早く動きだしたのは産業界でした。海外の生物資源を用いて、商用利用し金銭的利益を生み出していた企業にとって、死活問題であったからです。一方、学術界での動きは鈍く、対応が遅れました。ABSの対象である遺伝資源の利用には、商用利用だけでなく、学術利用も含まれるという認識が低かったためです。けれども、利益とは、金銭的利益だけでなく、知識、技術、教育などの非金銭的なものも指します。つまり、ABSは産業界だけでなく学術界にとっても大きな問題なのです。この数年、学会でもABSに関する説明会やシンポジウムなども開催されるようになり、認知度が高まりつつあります。国環研においても、2年前にABSに関するワーキンググループが発足し、所全体でのABS遵守の対応を進めています。

 海外での研究活動は、困難も伴うことが多く、相手国側のカウンターパートによってはなかなか契約が進まない場合も多くあります。また、相手国の国内法が整備されていない場合もありますし、日本の国内措置に罰則がないことから、特にABSの必要性を認識していない研究者もいるかもしれません。しかし、そもそもABS問題の背景には、南北問題と、生物資源利用から得た利益分配の不平等性があり、生物多様性条約はそれを是正するための方策でした。そして、海外で生物資源を用いて行う研究には大きな価値があり、それによって得られた利益は資源国にも配分されるべきだということを定めています。海外の生物資源は、その生物資源が存在する国のものです。海外での研究活動において、どのような状況においてもABSに基づいた利益の分配に留意することは、今後ますます重要になるでしょう。研究者もモラルをもって海外での研究を進める責任があります。

(たけうち やよい、生物・生態系環境研究センター 生物多様性評価・予測研究室 研究員)
 

執筆者プロフィール:

最近、スーパーフードと称される穀物「キヌア」にはまっています。南米の先住民が栽培していた作物で、調べてみると案の定ABS訴訟問題になっていました。現在は解決したようなので、先住民の伝統的知識に感謝して美味しくいただきます。