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2014年12月31日

長江流域における汚濁負荷発生量の空間分布変動に関する研究

特集 東シナ海環境の将来予測に向けて
【研究ノート】

王勤学

1.はじめに

 全長6,300 km、流域面積180万km2に及ぶ長江は、アジア最大の河川です。現在、この流域には約4.5億の人々が生活し、中国の国内総生産の約36%を占める経済活動が営まれています。長江は、中国の東西物流の重要な経路であると同時に、人々の生活を支える重要な水源でもあります。しかし、経済発展に伴う汚濁物質の負荷増大が河川環境を悪化させ、流域の人々の健康被害が懸念されています。また、河川の自然浄化能を上回る負荷は東シナ海に放出され、沿岸の富栄養化や赤潮が顕在化しています。中国の経済規模は今後も拡大することが予想されます。人々の健康や環境保全のために適切な策を講じるためには、長江流域における汚濁発生やその環境影響のメカニズムを正しく理解することが重要です。

 私のこれまでの研究では、長江流域における汚濁物質の流出過程の評価を行うことを目的として、土地利用情報に基づく水物質循環モデルの開発を進めてきました。2000年代の長江から海域への汚濁負荷量の評価については精度良く再現することができるようになっておりますが、汚濁負荷量が著しく増加した1990年代や増加前の1980年代の動態は、詳細な土地利用情報の取得が困難で、その汚濁流出構造には多くの不明な点が残されていました。そこで、現在は、中国の県あるいは省などの行政区分単位で整理されている統計データを物質収支モデルで解析するという手法を用いることで、これまで不明だった1980年代から現在に至るまでの長江流域での汚濁負荷発生量や発生源分布の変化を把握することを試みています。本稿では、汚濁負荷物質のうち、特に窒素の負荷発生量に着目して解析した結果をご紹介します。

2.窒素負荷発生量の評価法

 本稿でご紹介する窒素負荷発生量(以下、負荷発生量と呼びます)の評価は、Howarthらが1996年に公表した物質収支モデルを参考として、長江流域への適用を試みたものです。そのうち、負荷発生量(NINPUT)は式1を用いて推定しました。

NINPUT = NANTHRO + NRECYCLE = f (NFER , NBIO , NDEP , NHUMAN , NANIMAL , NRESI , NSEED )   (式1)

 本式のNINPUTは、新たに投入される人間由来の反応性窒素(NANTHRO)と再生循環する反応性窒素(NRECYCLE)の二つのグループに分類できます。前者のNANTHROには、化学肥料施用による窒素投入(NFER)、大気からの湿性沈着や乾性降下などによる硝酸態窒素沈着(NDEP_NO3)、ならびに作物の生長による窒素固定(NBIO)などが含まれます。後者のNRECYCLEには人間と家畜の糞尿(NHUMANNANIMAL)、作物残渣由来の有機肥料や焼却から排出される窒素(NRESI)、大気からのアンモニア態窒素沈着(NDEP_NH4)、および種苗投入による窒素(NSEED)が含まれます。NDEP_NO3NDEP_NH4のデータは、両方を合わせた沈着量(NDEP)として整理しました。具体的な方法論と解析結果については、これをまとめた論文がEnvironmental Research Lettersという国際誌に公表されています。

3.過去30年間の窒素負荷発生量の変化

 図1は、1980年および2010年の長江流域の窒素肥料の施肥量、人間と家畜の排泄物量、農作物による固定量、農作物残渣および大気からの窒素沈着量などのデータに基づき解析された負荷発生量の両年の空間的分布および両年の差分を表したものです。過去30年の単位面積あたりの負荷発生量は、多くの地域で50kg/ha未満ですが、四川盆地、漢江流域、ハ陽湖流域、洞庭湖流域および長江デルタ地域では、50-300 kg/haに達する大幅な増加が生じていることが示されました。全流域からの負荷発生量は、窒素換算で1980年には810万トン、2010年には1640万トンであり、過去30年間で約2倍に増加していると算定されました。

図
図1 1980年と2010年の窒素負荷発生量およびその変化の分布図

 図2は、青海省、湖南省、江蘇省の3地域を抜き出して、過去30年間の発生源毎の負荷発生量の年々変化を示したものです。青海省は水源地にあって大部分が草地に覆われ放牧・畜産を中心とする地域、湖南省は中流域にあって丘陵地帯が多く抱え畑作を中心とする地域、江蘇省は下流の平野に位置し稲作を中心とする地域であり、それぞれ長江流域の3つの代表的な土地利用類型に属しています。草原地帯である青海省では、現在に至るまで家畜の排泄物が最大の負荷発生源ですが、全体に占める割合は少しずつ減少しています。代わって1980年代には5%程度だった施肥由来の負荷発生量が、2000年代には10%へと上昇しています。(図2a)。畑作地域である湖南省の負荷発生量は、現在に至るまで右肩上がりの増加が続いています(図2b)。その主な増加要因は窒素肥料および家畜排泄物によるもので、また大気沈着量の増加も顕著です。稲作地域である江蘇省では、窒素肥料が負荷発生量の半分以上を占めるという特徴がありますが、その負荷発生量の経年変化は1998年を境として増加からやや減少する傾向に転じています(図2c)。その結果、最近10年間の負荷発生量は、江蘇省ではほとんど変化していません。

図
図2 源流域の青海省(a)、中流域の湖南省(b)および下流域の江蘇省(c)の窒素負荷発生量の変化

 これらの解析から、負荷発生源の分布として、長江源流・上流域では家畜排泄物が最も負荷発生に寄与していること、中~下流域に向かうほど窒素肥料による寄与が大きくなり、下流域では、窒素肥料が最大の負荷発生源であることが明らかになりました。また、過去30年間の負荷発生量の増加は、源流~上流域では僅かであり、中~下流域において著しいこと、ただし中流域では現在も増加傾向が続いていますが、下流域では高止まりの状態に至っていることが明らかになりました。

 このような30年間の空間分布変化は、中国経済の発展過程における地域特性から説明できるでしょう。1980年代の改革開放政策から1990年代にかけて、長江デルタをはじめとする東部地域で経済活動が活発となり、中~下流域域の農業生産等に由来する負荷発生量が急増したと考えられます。2000年代に入ると沿岸地域では、都市化や工業化に伴う農地面積の縮小と窒素肥料の使用量減少によって、負荷発生量が低下したと考えられます。代わって、負荷の大きい農畜産業が下流域から中・上流域に移され、それらの地域における負荷発生量の増大を招いていると考えられます。源流域は、現在でも牧畜を中心とする未開発地域であるため、過去30年間、ほとんど変化が生じていないと考えられます。

4.結論および今後の展望

 本研究では、1980年から2010年までの30年間の長江流域の窒素負荷発生量の時間空間変化を解析しました。その結果、中国の経済活動の地理的な変化に応じて、負荷の発生構造や地理的な分布が変化してきたことが示されました。また陸水や海域環境に対する汚濁負荷削減などの流域管理においては、農畜産業部門からの汚濁制御に最大の関心を払うべきであることが定量的に示されたと思います。また前節では触れませんでしたが、過去30年間の長江流域全体の施肥による負荷発生量は約3倍に増加しました。一方、農作物による窒素固定量の増加は僅か1.2倍でしかありません。つまり、農作物の収量は、施肥の増大に見合うほどには増加しておらず、効率的な施肥によっても汚濁流出の抑制が可能と考えられます。また近年危惧される現象として、四川盆地、漢川流域、ハ陽湖盆地、洞庭湖盆地および長江デルタ地域における大気からの窒素沈着の増大が挙げられます。全流域を対象とした解析では、過去30年で大気からの窒素沈着は約3.7倍に増加していると算定されました。その削減は、中国での深刻な大気汚染の解決ばかりでなく、水環境の改善にも繋がると考えられます。

 今後、中国の水需要・汚濁負荷発生量の将来予測に対して、これまでに開発してきた流域の水物質循環モデルや本稿でご紹介した負荷発生量の評価手法を組み合わせて適用し、長江流域の汚濁負荷発生や東シナ海への負荷流出に関する将来予測を行う計画です。

(おう きんがく、地域環境研究センター 主席研究員)

執筆者プロフィール

王勤学

アジア各地で益々深刻になってきた様々な環境問題の解決に向けて、自分の無力さに心が苦しんでいます。日本社会に深く根づいた自然共生の理念と高い技術力をうまく融合することによって、何らかの対策を生み出せないかと考える日々です。

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