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2013年6月28日

環境を測る

特集 環境汚染物質と先端化学計測

柴田 康行

 かつて、航海に欠かせない道具の一つに測鉛がありました。綱の先に鉛の重りをつけ、海に投げ入れて海底の深さを測る道具です。先端のくぼみに油脂をぬって投げ込み、くっついてきた砂や貝殻などから海の底の状態を知って、周辺の海の成り立ちや付近の海岸の様子を推測することもできました。一本の綱の先にぶらさげた重りの上げ下げだけで、昔の舟人は見えない海の中の様子について必要な情報を探りながら、港を目指して航海を続けました。今でも測るという言葉を聞くと、少年時代に親しんだ海洋冒険小説に登場する、測鉛を投げるシーンが思い浮かびます。

 今日では、様々な気象データを受け取り、レーダーやソナーの信号で周辺海域の状態を探りながら、衛星からの電波を受けて位置を絶えず確認しつつ、精密な海図に従って昔よりはるかに安全に航海を行うことができます。それでも、ほかの船舶や不意の漂流物、時々刻々と変わる海況等に的確に対処するために、五感を常に最大限働かせながら周囲から様々な情報を受け取って、安全な航海を心がけなければなりません。

 私たちの住む環境をどう維持していくかについても、同じことが言えます。一人の人間にとっては無限の大きさを持つように思えるこの地球も、ロケットで打ち上げた探査機から眺めれば、広大な宇宙に浮かぶ青くはかない一つの球体にすぎません。その表面のごく薄い大気の層に覆われた地表に、70億人の人間が、多様な生態系とともに広がって生活しています。科学技術の進展に伴い快適で安全な社会生活を営めるようになってきた一方で、人類の生活の場を提供する地球表層の生物圏の存続が危ぶまれるほどに、人間活動が大きな力を持ち影響を与えるようになってしまいました。そのことが意識され、人間の営みが自分たちを含む生態系に深刻な影響を与えることのないよう、人間活動の影響や環境の変化の様子を監視しながら、様々な取り組みが行われています。

 取り組みを進める上で、まずは現実の環境がどうなっているか、何が問題か、何が原因か等を明らかにすることが必要です。さらに取り組みの結果環境の状態がどう変わったかを調べ、さらなる取り組みが必要かどうかを判断することも重要です。そのためには、環境の状態や人間活動の影響を「測る」ための様々な環境計測手法が必要となります。温暖化などの地球規模の環境問題から工場周辺の汚染問題まで、様々な規模、種類の環境問題に対処するための環境計測手法の柱作りを目指して、環境計測研究センターでは先端環境計測研究プログラムを推進しており、その中で、(1)人為起源、自然起源を問わず様々な化学物質を網羅的に分析する新たな手法の開発、(2)物質の動きや環境・生態系の状態を追跡/評価できる、よい目印となる指標(トレーサー)の開発、(3)広い範囲の環境や生態系の状態を把握できる、衛星等を使った新しい遠隔観測手法の開発、の3つの研究を進めています。

 環境問題の中でも、化学物質の適正管理は重要な課題の一つです。新しい化学物質を開発したり、重金属の特徴的な性質を利用することで、私たちの生活はより安全に豊かになってきました。その一方で、水俣病やイタイイタイ病など、時に重篤な公害問題も引き起こされてきています。農薬や、プラスチックなどを燃えにくくする難燃剤をはじめ、人間が目的をもって製造、使用している化学物質の数は数万種類にも上るとされます。それらの中には便利な性質を利用するため使われているうちに、毒性が見つかって製造禁止に至ったり、悪影響が懸念されるようになった化学物質もけっして少なくありません。拡大する一方の化学物質利用の陰で、監視すべき化学物質の数も増え続けており、これらを迅速、的確に監視して、影響が出る前に警鐘を鳴らすことが求められます。これまでにも毒性等が懸念される化学物質が出るたびに、新たな環境分析手法が開発されてきました。しかしながら、従来の考え方に基づく手法では、あらかじめ測定対象に想定したものしか測ることができません。監視物質の増加にともない、分析法も屋上屋を重ねたような状態になってきています。今後も増え続けるであろう監視対象物質により的確、迅速に対処するため、プログラムの課題の一つとして環境中あるいは生体中に存在する化学物質を一斉に網羅的に測定できる、新しい分析体系の確立を目指して研究を進めており、本号ではその概要をご紹介します。

 本プログラムの成果が、惑星「地球号」の進路を決める上で、必要な情報を的確に提供できる21世紀の測鉛となることを願っています。

(しばた やすゆき、環境計測研究センター上級主席研究員)

執筆者プロフィール

研究所に入って30年余りの研究生活を送る間、セレンやヒ素などの無機元素から始まって、放射性炭素の環境研究への応用、残留性有機汚染物質、特にフッ素系界面活性剤に関する研究等、様々な研究で計測手法の開発と応用を行ってきました。出身学科(生物化学科)を反映してか、対象は生物試料が大半です。とはいっても対象は広く、海藻、植物・動物プランクトン、魚類、軟体動物、甲殻類、サンゴ、鳥類及びその卵、実験動物、さらには人の血液や尿、へその緒なども分析してきました。最近ではトンボを使った環境モニタリング手法の開発にのめり込んでいます。