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2012年6月29日

大気中の粒子状物質が空間学習能力に及ぼす影響

【研究ノート】

TIN-TIN-WIN-SHWE

はじめに

 これまでの疫学研究により、粒子状物質による大気汚染と様々な健康影響のリスクとの関連が示唆されています。粒子状物質の中で、粒子の直径が100nm(1nmは10-9m)以下の粒子が超微小粒子、50nm以下のものがナノ粒子と呼ばれています。ナノサイズの粒子は、酸素分子より反応性の高い活性酸素種を生成しやすいため、粒径が比較的大きい粒子に比べて毒性が強いことが報告されています。ディーゼル排気微粒子(DEP:diesel exhaust particle)は大気中の粒子状物質の主要な構成要素であり、ディーゼル車から直接放出されたほとんどの粒子の直径は、1μm(1μmは10-6m)より小さいナノサイズのものです。ナノ粒子を含んだDEPは、肺機能、免疫システム、生殖機能、および脳発達過程に悪影響を与えることが報告されています。しかし、DEPに含まれたナノ粒子成分が学習行動と学習形成に必要な神経回路に与える影響については、まだ不明な点が多く残されています。そこで私は、模擬ナノ粒子としてカーボンブラックナノ粒子(CBNP:carbon black nanoparticle)を用いて、ナノ粒子の生体影響と空間学習能力に関する研究を行いました。

ナノ粒子曝露に関する研究

 まず、ナノ粒子の生体影響を調べるため、CBNPをマウスの気管内に投与し、肺での影響を調べたところ、肺に炎症が認められました。また、粒子が縦隔リンパ節へ移行しており、肺においてサイトカインの一種で炎症に関与するケモカイン遺伝子の発現等も引き起こされることがわかりました。また、CBNPのマウスへの鼻部投与が嗅覚情報処理に関わる脳の組織である嗅球に炎症を引き起こすこともわかりました。更に、CBNPと細菌の細胞壁構成成分で炎症を誘導することが知られているリポタイコ酸を同時にマウスに点鼻投与すると、マウスの嗅球で神経伝達物質濃度や炎症性サイトカイン遺伝子発現が、CBNP単独で投与したときよりも増加することもわかりました。これらの結果から、ナノ粒子は肺と嗅球に悪影響を与えることが明らかになりました。

記憶と海馬

 次に、ナノ粒子を多く含んだディーゼル排気(NRDE:nanoparticle-rich diesel exhaust)曝露が記憶・学習能力および脳内での記憶関連遺伝子発現に及ぼす影響を調べることにしました。その影響のお話をする前に、予備知識として少し記憶の話をさせていただきます。

 神経細胞は、シナプスと呼ばれる他の神経細胞との結合部で神経伝達物質と呼ばれる物質を放出することで、他の神経細胞に情報を伝達しています。記憶は、このシナプス領域での情報の伝わりやすさが変化するという生理的な変化とそれを支える分子的な変化を基盤として形成されると考えられています。物の位置や場所を覚える空間学習に必要であることが知られている海馬という脳の領域では、神経伝達物質としてグルタミン酸、神経伝達物質を感知する物質としてグルタミン酸受容体が存在し、両者が主に情報伝達を担っています。後者に関しては特に、NMDA(N -methyl-D-aspartic acid)受容体という名前のグルタミン酸受容体が、空間学習能力とその能力の背景となるシナプスでの情報の伝わりやすさの変化に重要であると考えられています。

 動物実験で空間学習能力を調べるためには、「モリスの水迷路試験」という試験法がよく用いられます(図1)。この「モリスの水迷路試験」ではミルクの入ったプールの中でマウスを泳がせます。このプールの中には水面下にマウスが避難できる隠れた踏み台が1カ所おかれていますが、マウスはおぼれたくないのでこの場所を一所懸命に探索します。その探索を何度か繰り返すことで、マウスは避難できる場所を覚えてその場所にすぐに向かうことができるようになります。この捜す過程が如何に早くできるようになるか(「訓練習得トライアル」といいます)を調べることにより、マウスの空間学習能力が推測できます。そのような「モリスの水迷路試験」を用いて、NRDE曝露されたマウスの空間学習能力を調べました。

ナノ粒子を多く含んだディーゼル排気(NRDE)曝露の空間学習能力への影響

 清浄空気を吸入させた対照群のほか、中濃度、高濃度、粒子が入っていない除粒子曝露群を設定し、NRDEの3カ月曝露が、動物の空間学習能力と記憶関連遺伝子発現に及ぼす影響を検証しました。NRDEの曝露には国立環境研究所の曝露チャンバーを用いました(図1)。その結果、高濃度のNRDEを曝露された群のマウスでは、隠れた踏み台に達するまでの時間が長く、曝露濃度依存的に空間学習能力が低下していることが分かりました(図2)。NRDE曝露の影響が運動能力に及んで水迷路の成績を悪くしている可能性を排除するため、泳ぐスピードの違いを測定しましたが各群で違いはありませんでした。また記憶能力に異常を来す原因として、海馬のNMDA受容体を構成する分子の一つNR2Aサブユニットが異常に活性化され、遺伝子発現が増加するという、記憶を形成する分子の発現異常が起こっていることが明らかになりました。このような結果から、NRDE曝露によりその粒子成分が、嗅球あるいは全身循環を介して脳へ到達し、神経毒性や認知機能低下を誘導するという仮説を立てて研究を進めているところです(図3)。

図1
図1 曝露チャンバーとモリス水迷路試験
図2
図2 マウスのプラットホームまでの到着パターン
粒子濃度が高くなるにつれて、プラットホームを捜しあてるために泳ぐ距離が長くなっている。一方粒子を除くと回復する。
図3
図3 ナノ粒子を多く含んだディーゼル排気の影響メカニズムの仮説

ディーゼル排気ガス由来二次生成有機エアロゾルに関する研究

 以上のような研究を経て、現在は新たにディーゼル排ガス由来二次生成有機エアロゾル(SOA :Secondary Organic Aerosol)に関する研究に取り組んでいます。気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子をエアロゾルといいます。浮遊粒子状物質は、生成する過程から一次粒子と二次粒子に分類されます。一次粒子は、土壌粒子などの自然発生源の粒子や工場、自動車などから排出される人為的発生源の粒子です。二次粒子は、ガス状物質が紫外線を浴びることによって二次的に生成されるもので、二酸化窒素や二酸化硫黄など自動車から発生する物質からも生成されます。大気中で一次粒子のガス成分が酸化するとSOAが形成されます。SOAは、気候変化を引き起こすだけでなく、視力低下に関連するなど健康に悪影響を及ぼすことが報告されています。最近の培養細胞や実験動物を用いた研究によると、石炭火力発電所からのSOAを含んだ排気が肺と心臓に酸化ストレスを引き起こすことが示唆されています。しかしながら、SOAの脳神経系に及ぼす影響はまだ不明です。そこで、一次粒子DEPにオゾンを加えたSOAモデルを用いて、一次粒子で認められた記憶関連遺伝子、炎症性サイトカイン、神経栄養因子、酸化ストレスマーカー等の発現変化を指標として、ディーゼル排ガス由来SOAのマウスの脳や肺に及ぼす生体影響を評価する研究を行っています。

今後の展望

 近年、免疫-アレルギー系、内分泌代謝系及び中枢神経系の機能異常の症状を示す健康被害が増加しています。その原因の一つは空気中の環境化学物質である可能性が考えられています。これまで私は、空気中の化学物質に対する感受性が個人差や年齢に応じてどのように変化するのかを調べるモデルとして、特にマウス系統や脳発達期に着目して、中枢神経-免疫系への影響について研究を行ってきましたが、未だ不明な部分も少なくありません。今後は、粒子状大気汚染物質に対して最も感受性が高い時期と考えられる発達期に着目して更に研究を進めたいと考えています。特に、影響メカニズムのより深い理解と影響評価バイオマーカーの開発を目標としています。化学物質の毒性発現メカニズムを理解することは、適切な治療法の開発に役立つものと考えています。また、化学物質の健康被害から次の世代を守るためには、肺機能、免疫系バランス、学習行動、内分泌代謝酵素及びホルモンレベルの異常を早期に発見する新しいバイオマーカーの開発が必要であると考えています。

(ティンティンウィンシュイ、環境健康研究センター
生体影響研究室)

執筆者プロフィール:

TIN-TIN-WIN-SHWE

私の母国はミャンマーです。ミャンマーは東南アジアにおいて、観光リピート率が非常に高い国としても有名です。魅力あふれる観光地が点在し、一度訪れた人は、二度、三度と訪れてしまうでしょう。機会がありましたら、私の故郷の自然に恵まれた神秘の国ゴールデンランドミャンマーをぜひ訪ねてみて下さい。

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