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2011年12月28日

環境化学物質によって次世代に継承される健康影響とエピジェネティック変化の解明

【シリーズ先導研究プログラムの紹介: 「小児・次世代環境保健研究プログラム」 から】

野原 恵子

 人の一生の中で、胎児期やそれに続く乳幼児期といった、いわゆる発達期は、環境中の化学物質の悪影響を特に受けやすい時期であると考えられています。近年、子どものアレルギーや肥満、多動性障害などが増加し、その原因として環境化学物質にさらされるなどの環境からのリスクが増大しているのではないかという懸念が国際的に高まっています。そのような背景から、我が国でもこれまでにない大規模調査である「子どもの健康と環境に関する全国調査」、通称「エコチル調査」が開始されました(本誌vol.29、No.4をご参照ください)。さらに胎児期の悪影響は、小児期の健康だけでなく、成人後に現れる疾患と関連することも指摘されています。英国の疫学者であるバーカー博士らが、出生体重が低いほど成人後の心疾患による死亡率や2型糖尿病の罹患率が高いという結果を1990年前後に報告した後、同様の疫学研究結果がアメリカやヨーロッパでも報告されました。これらの知見から提唱された、成人後の健康状態が発達期に決定されるというDOHaD(Developmental Origin of Health and Disease)仮説は、発達期の重要性をクローズアップしています。

 このような背景から、私たちは「小児・次世代環境保健研究プログラム」の中のサブテーマとして、発達期における化学物質の曝露が健康に及ぼす影響とその機序(メカニズム)を、動物実験において明らかにする研究を行っています。人の健康に影響を及ぼす因子は数多くあり、親への影響が子どもに現れるような場合もあります。その中から特定の環境化学物質の悪影響を見いだすことはたやすくなく、その証明には実験的研究が必要となります。また同じ量の化学物質が環境中にあっても、誰もが同じ症状を示すわけではなく、現れる影響は場合によって異なります。どのような場合にどのような影響が出るかを理解するためには、実験的研究によって影響の機序を明らかにすることが必要です。

 化学物質の妊娠中の母親への曝露によって胎児に影響が出る機序として、最近の研究から「エピジェネティクス」という機序が重要であることが報告されています。エピ(epi-)は「外」や「追加」といった意味を持つ接頭語です。従来遺伝子の機能は主にDNAの塩基配列に基づいて考えられてきましたが、これと対照的に、エピジェネティクスは「DNAの塩基配列に依存しない遺伝子機能の調節機構」です。具体的には、遺伝子の働きがDNAの塩基配列ではなく、主としてDNA塩基へのメチル化修飾や、DNAが巻きついているヒストンタンパクへのメチル化、アセチル化修飾などの、いわゆる「エピジェネティック修飾」によって調節されるという仕組みです(図1)。

図1
図1 エピジェネティクスによる主な遺伝子発現の調節機構

 母親が化学物質を取り込むことによって胎児も化学物質に曝露されますが、その結果胎児の遺伝子に不可逆的なエピジェネティック修飾変化が起こり、それが疾患に関与することが最近の研究で示唆されています。そのようなエピジェネティックな修飾変化の蓄積が後発的に成人期に病気を引き起こす可能性も示唆され、エピジェネティクスは上述のDOHaDの機序としても大きく注目をされています。さらにはエピジェネティックな修飾変化が次の世代に受け継がれ疾患に関与するという研究結果も報告されています。

 私たちのサブテーマでは、古くから農業に使用され、また工業の副産物として生産されてきた無機ヒ素化合物を一つの研究対象としています。無機ヒ素化合物は現在半導体産業においても盛んに利用されています。また近年、中国や台湾、インド、バングラデシュをはじめとした世界各国で、地質由来の無機ヒ素が井戸水に混入し、その飲水が原因で角化症などの皮膚症状や癌が発生しており、その患者数は世界で数千万人にも及ぶことが発表されています。

 2003年にアメリカのグループが、自然発癌をおこすC3Hという系統のマウスの妊娠中の母親に無機ヒ素を飲ませると、生まれた雄の仔が成長後に肝癌を高率に発症することを報告しています。さらにこの癌の増加の機序としてエストロゲンレセプター(ER)α遺伝子のエピジェネティック変化が関与することが報告されました。私たちの追試では、癌の増加を確認することはできたのですが、その原因として示唆されたERα遺伝子のエピジェネティック変化は認められませんでした。すなわち、この結果は無機ヒ素による発癌増加の原因が他にあることを示しています。そこで現在のプログラム研究では、無機ヒ素の胎児期曝露による発癌増加の機序について、さらに研究を進める計画です。

 また私たちが平成22年度までに行ってきた研究では、無機ヒ素の胎児期曝露によって仔の行動に変化がでることや、仔が成長後に2型糖尿病の前段階様の症状を示すことも見つけています。特に行動変化については、マウスを集団で飼育しながら個別のマウスの行動をモニターできるIntelliCageという装置を使って、高次脳機能への影響を迅速に、また精緻にスクリーニングするための学習行動試験法の開発も行い(写真1および図2)、行動柔軟性に影響が出る可能性を見いだしています。これらの知見や手法を使って、今後は無機ヒ素をはじめとするいろいろな化学物質の脳機能・行動への影響や肥満、糖尿病様症状などへの影響解析とその機序の研究を行っていく計画です。

写真1
写真1 研究本館III棟化学物質管理区域内の動物飼育室に設置された集団型全自動・記憶学習測定システムIntelliCageと行動解析用のコンピュータ。
通常は飼育棚内に設置し、外部からの影響を極力受けない条件下でマウスの行動を24時間自動的に記録している。
図2
図2 IntelliCage システムを利用した学習試験法Behavioral sequencing task の概要:
IntelliCage システムでは、ケージの4隅に「コーナー」と呼ばれる小部屋があり、内部には給水ボトルにアクセスできる穴(「ゲート」)と、マウスが鼻で押すことができるスイッチが設置されています。このスイッチと連動させてゲートの開閉状態を制御することができるため、あるコーナーでスイッチを押すとゲートが開いて水が飲めることを記憶させる「空間学習」を施すことができます。各コーナーでは、マウスが「いつ」「どのくらいの間」訪れたか、また「水を飲んだ時刻」や「どのくらいの量の水を飲んだか」を常時記録することができます。Behavioral sequencing task では、まず4つのコーナーのうち、水を飲むことが可能な2つのコーナーの場所を学習させ(A)、学習が成立した後に違う学習課題を与えて(B)、新たな課題にどのくらい順応するかを調べることで行動柔軟性を測定します。

 さらに、上記の研究で化学物質の発達期曝露による影響を見いだした場合、その機序としてエピジェネティクスの関与や、エピジェネティック変化の誘導機序を、各種手法を使って検討し明らかにしていく計画です。

 このプロジェクト研究の成果は、人の健康に悪影響を及ぼす可能性がある化学物質に関する情報を提供し、エコチル調査において、どの化学物質に注目して曝露量の測定や調査を行うかという実施計画を策定する際の科学的根拠となります。

(のはら けいこ、環境健康研究センター
分子毒性機構研究室長)

執筆者プロフィール:

野原恵子の顔写真

環境研に勤めて長くなりますが、いつからか「環境研ブランド」という言葉を聞くようになりました。どのような文脈で使われるかは場合によって違うようですが、私たちのグループも環境研ブランド作りに貢献する確実な研究成果をだしていきたいと思います。その他の問題は、自分の健康環境問題(運動不足)です。

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