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流域の開発と環境保全−メコン河流域のダム開発−

亀山 哲

 流域の開発と環境保全ということを考えるとき、「ダム」という言葉が出てくると一気に議論が難しくなります。一般にダムは、「水資源の有効利用」と「減災のための治水」を目的として建設されます。しかし、この河川横断構造物はその性質上、河川をせき止め、流域内の一定量の水を人為的に制御するという特徴があります。この結果、河川の分断が生じて生物の移動が妨げられるなど、自然本来の生態系に支えられた生物生息環境が変化するというのがその大きな理由です。

 では同じ流域の中で「自然環境の保全や再生」・「治水(減災)」・「持続的な水資源利用(電力生産を含む)」の三つをうまく調和させるには、どのような方法論があるのでしょうか?これはメコン河流域に限らず本当に難しいテーマであり、単純に答えが見つかるものではありません。その理由の一つは、自然環境・減災・資源利用のバランスをいかに取るべきか?という合意形成の過程にあります。なぜならこの議論では、同じ流域内においても、歴史的背景や地域特性また社会経済状況の変化などによって、あまりにも多様な意見が存在するためであると考えられます。

 我々のチームでは過去5年間、メコン河流域の各地において、流域開発の生態系影響評価について仕事を継続してきました。アジア最大の国際河川であるメコン河(流域には上流から、中国・ミャンマー・ラオス・タイ・ベトナム・カンボジアの6ヵ国が含まれます)を前に我々が直面してきた、流域の開発(特にダム建設)と環境保全について以下解説したいと思います。

 最初に、メコン地域での「自然環境」と「治水」について説明します。この地域では、日本や先進国では水害として懸念される洪水に、流域住民が非常に上手に対処しています。まさに、アジアモンスーン地域の風土が生んだ文化や知恵が凝縮されているかのようです。地域住民の多くは、主に6月ごろから始まる雨季の出水にあわせて稲を栽培し始め、季節ごとに捕れる魚を重要な糧としています。

 メコン河には非常に多様な種類の淡水魚(多くは回遊魚)が生息していますが、彼らの生活史を全うする上でも河川の季節氾濫は非常に重要な鍵となります。特に氾濫期間は彼ら回遊魚にとって移動分散の時期にあたります。この時期の初め、親魚は産卵のため、支流や氾濫源の水域に移動します。そして氾濫期の終わりには、稚魚が孵化した場所から河川に移動します。また一方、増水の影響を避けるために村人の住居は高床式が多く、古い集落はほぼ間違いなく地形上冠水リクスの少ない場所に位置しています。これは標高データを用いた年間の氾濫解析をして判ったことです。つまり、メコン河に生息する水生生物の再生産を安定的に支えるという意味で、河川氾濫は非常に重要な季節的イベントであり、住民は長年にわたりその水産資源を上手に利用する住空間を築いてきたわけです。要約すれば、環境と治水は切り離せる概念ではなく、長い歴史の中で自然に融合してきたと言えるでしょう。

 さて、もう一つの課題は、「水資源をどのように確保して利用するか」という部分です。メコン河流域の社会構造と流域人口は、第二次世界大戦とベトナム戦争という二つの変曲点を経て大きく変化しました。特に近年のメコン河流域は、単純な農産物の輸出地域や経済的な市場だけではありません。アジア有数の加工貿易拠点、社会インフラ投資地域としても非常に大きな変革期を迎えています。

 このような背景の中「ダムによる電力」を政府や企業側の人間が強く求めるのは自然の流れです。石油・石炭共に輸入に頼らねばならず、逆に水資源の豊富なこの地域では、水力発電への依存が必然的に高くなります。また同時に大規模なダム開発は、国際機関からの融資の獲得、先進国との共同事業の推進、地域経済への利益還元という複雑な利害関係の上に計画されてきました。

 メコン本流のダム開発は1990年代以降、上流部の中国雲南省から始まりました。2008年段階におけるメコン河本流におけるダム開発の概要を表1に示します。メコン上流部に建設されたこれらの一連のダム群は、複数基のダムが河川縦断方向に配置されていることから、現地では「メコンカスケード」と呼ばれています(図1)。このダム群の中で最初に建設されたダムは、1993年に完成した漫湾ダム(写真1)です。その後2003年、2番目のダムとして大朝山ダムが竣工しました。現在は、3基目となる小湾ダムが2001年に建設開始されており、計画では2012年に完成予定です。中国政府の方針(2008年時点)では、この地域のメコン本流に8基のダムを建設する予定です。また、メコン本流の下流域にもダム建設の予定があり、2009年のMRC( Mekong River Commission;中国以外の流域内5ヵ国で構成された国際機関)の報告によると、11基のダム建設計画が現在進行中です。

表1 メコン河本流のダム開発計画(2008 年時点における情報)
表1 メコン河本流のダム開発計画 (2008 年時点における情報)(拡大表示)
図1 メコン河上流域の本流に建設予定のダム群(メコンカスケード)
図1 メコン河上流域の本流に建設予定のダム群(メコンカスケード)(拡大表示)
写真1 メコン河本流に最初に建設された漫湾ダム(1986-1993)[2006年12月25日;撮影亀山哲]
写真1 メコン河本流に最初に建設された漫湾ダム(1986-1993) [2006年12月25日 ; 撮影亀山哲]

 大規模なダム開発による生態系影響は大きく次のようにまとめられます。
1) 水生生物の移動経路の分断。
2) 上流と下流での流況(水の流れる状態)の変化。
3) 物質の滞留による送流状況の変化。
4) 河川水温の変化(下流への放水水位に応じて上昇もしくは低下)。

 近年ではこれらへの対策として、魚道の設置や試験放流、また堆積物の除去などが行われています。しかし長期的な視点に立った場合、コスト的な面からも持続的な手段とは言い難いという側面もあります。特に、私が研究対象とした漫湾ダムはメコン河本流に最初に建設されたダムであり、建設後の影響が予測しづらく、また下流への影響が他の国にも及ぶ可能性が大きいなど、重要な国際環境問題として捉えられています。実際に我々が行った研究結果では、ダム開発以後、下流のチェンセンという場所における年最大流量の低下、さらに雨季から乾季にかけての減水時期の遅れなどを確認することができました。

 急激に開発の進むメコン河にかかわらず、流域管理においては、ある意味で一般的な最適解が存在しないと捉えることもできます。合理的な管理方法が流域ごとに異なることも事実です。しかし流域管理者や流域住民は、最適な施策が実現しにくいことを認識しつつも、膨大な情報と多様な選択肢を前に、その時代・その場に応じてより好ましくかつ実行可能な判断を常に行わなければなりません。近年Adaptive Management(日本語では順応的管理)というアプローチがとられ始めたのにはこのような背景があります。

 流域管理に関わる研究者は現象の解析・予測者であり、政策決定者ではありません。常に中立的立場に自分をおいて正確なデータを取得し、緻密な分析と高精度な予測を行い、合意形成に役に立つよりレベルの高い判断材料を提供する責任と義務があると言えるでしょう。私たちも地道な調査研究を通して、東南アジアや国内の流域生態系を見守っていくつもりです。

 

(かめやま さとし、アジア自然共生研究グループ 
流域生態系研究室主任研究員)

執筆者プロフィール

亀山 哲

 「運動は一つに絞らず多種目。本は小説より伝記。」という教えを受けて育ちました。(意味は未解明)いろんな場所で身体を動かすことを楽しんでいます。得意スポーツ、好きなスポーツ、ド素人のスポーツ。種目は様々ですが、人との交流が一番の楽しみです。自分の研究スタイルとどこか似ているような気がします。追伸;ここだけの話し「釣り好き」です。