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全地球規模での炭素循環研究 −温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)の役割−

【シリーズ重点研究プログラム: 「地球温暖化研究プログラム」 から】

シャミル・マクシュートフ

 米国スクリップス海洋研究所のC.D.キーリング博士は,化石燃料の使用により大気中に放出される炭素のおよそ半分が陸上の植生や海洋によって吸収されることを大気中の二酸化炭素の観測とその同位体比の測定結果から明らかにしました。1年間におよそ1ギガ(10の9乗)トンの炭素が陸上の植生により吸収されることが分かっていますが,さらに長い期間における吸収・排出量の変動やその地理的な分布はいまだ謎のままとなっています。

 大気中の二酸化炭素濃度と地球の平均気温の上昇は,水不足などによる影響を受けない限り植物の光合成活動を促進し,森林による炭素吸収量を増加させると考えられています。このため,北半球北部の亜寒帯に広がる針葉樹林や赤道付近の熱帯雨林などの生態系が,平均気温や二酸化炭素濃度の変化に伴い,大気中の炭素の主要な吸収源としてどの程度機能しているのか注目されています。生態系別の炭素収支を知るために,森林内に設置された鉄塔やチャンバーを用いた観測から得られた二酸化炭素の吸収・排出量データが用いられていますが,長期的な変動は観測値の短期変化の中に埋もれてしまうため,数十年といったスケールの気候や環境の変化による炭素収支の変動をこれらのデータから明らかにするのは大変困難な作業となります。また,実観測データは観測地の生態系をおおよそ代表していると言えますが,生態系は地域により特徴が大きく異なるので,その結果をさらに広い領域へ適用する際には注意が必要となります。

 森林での吸収・排出量の直接観測に平行して,1980年代には大気観測ネットワークが設立され,世界各地における二酸化炭素濃度の観測データが収集・蓄積されました。このデータからは二酸化炭素の時空間分布に関する多くの知見が得られ,これをきっかけに大気輸送モデル(コンピューターによる大気シミュレーション)を駆使した全球規模での炭素収支研究が行われるようになりました。大気輸送モデルが緯度別の炭素収支解析に使われるようになると,北半球の中緯度帯が主要な炭素の吸収源であることが徐々に分かってきました。それに続いた研究では,インバースモデル解析(詳しくは環境問題基礎知識を参照)とよばれる手法を用い,世界を数十(亜大陸レベル)の地域に区切りその各区画での炭素の平均的な吸収・排出量が算出されるようになりました。しかし,各研究から得られた計算結果にはばらつきがあり,ヨーロッパ,アメリカ,中国といった地域の推定吸収量に大きな違いが見られました。これはそれぞれの研究に使用された大気輸送モデルの違いにもよりますが,多くは計算に使用した観測データを提供している地上観測ネットワークの地理的な偏りと,測定頻度の低さ(およそ2週間に一度)に由来していると考えられます。この地上観測の空白域を埋めるために,北米,ヨーロッパ,日本,中国などでは国内観測ネットワークの拡張を行っています。

温室効果ガス観測技術衛星 「いぶき」 からのデータ

 インバースモデル解析が地域別炭素収支の研究に使われ始めると,人工衛星からの観測データは地上観測点が乏しい地域での炭素収支の推定精度向上に大きく貢献するという研究報告がされました。衛星観測データは地上観測データに比べ精度では劣りますが,多くの地域を網羅することができ,観測数さえ十分に得ることができれば貴重な情報となります。

 これに伴い,二酸化炭素やメタンを宇宙から測定する技術の開発が始まり,欧州宇宙機構ESAではENVISAT衛星搭載のSCIAMACHYセンサー (2002年より運用),米国NASAではOCO衛星 (2009年2月打ち上げ失敗),日本では衛星 「いぶき」(GOSAT)の開発・打ち上げ(同年1月)へと繋がりました。

 GOSATは約666kmの高度から二酸化炭素とメタンの測定を全球規模で行っています。すでに運用中のSCIAMACHYに比べ,GOSATのセンサーはより高いスペクトル分解能と空間分解能を持っています。また衛星の軌道投入や,軌道上でのセンサー初期検査における問題も少なかったことから,より精度の高い二酸化炭素とメタンのデータが得られるものと期待されています。GOSATプロジェクトでは,二酸化炭素・メタンの濃度データの提供のみならず,将来は全球64地域で月ごとの二酸化炭素吸収・排出量の推定を行い,一般に公開します。

期待される成果

 衛星打ち上げ前には,インバースモデル解析から炭素収支を推定する際に,GOSATの観測データが吸収・排出量の不確かさの低減にどの程度貢献し得るのかの推定研究が行われました。フランスの研究グループは,全球を3度×3度(緯度×経度)の格子に細分した領域の多くで不確かさがおよそ3分の1になると報告しました(図1)。

図1 GOSAT観測データの利用により予想される吸収・排出量の不確かさの低減率
 シェバリエら(2009)より引用。濃い色になるほど(黄→青→赤)不確かさが低減される。不確かさの初期値を5g/m22/dayとして計算。格子サイズ:3度×3度(緯度×経度)。

GOSATプロジェクトで使われるインバースモデル解析のシステムについて

 GOSATプロジェクトで利用する大気輸送モデルとインバースモデルは,以前より地上観測データを用いた炭素収支の年々変動の研究に使用されていたモデルをもとに,GOSAT観測データを用いて計算を行うために改良を施したモデルです。

 大気輸送モデルのシミュレーション能力は,使用する気象解析データの時間と空間の解像度に大きく左右されるため,高解像度の気象解析データの利用を現在検討しています。また,より精度の高い輸送計算を行うための大気輸送モデルも開発しています。

 従来のインバースモデル解析では,地上に百数十ある観測点での,およそ2週間に一回の測定データを使用していましたが,GOSATは3日で全球を網羅しデータを取得するため,このインバースモデル解析のシステムでは大量のデータを扱う能力が求められます。そのため,従来の手法に代わる手法を適用し,コンピューターにかかる計算負荷を低減する計画です。

 インバースモデル解析を行う際には,世界の各地域における二酸化炭素吸収・排出量のおおよその値(先験データとよばれています)が必要です。そのためGOSATプロジェクトでは,インバースモデル解析のシステムの開発とともに,観測結果や統計に基づいた吸収・排出量の先験データを作成しています。陸域炭素収支の先験データには生態系モデルの計算結果が,また海洋-大気間の収支先験データには,海洋輸送モデルを用いた計算結果がそれぞれ用いられます。化石燃料の燃焼による人為的排出量の先験データは,人工衛星によって夜間に観測される地表面の光の強さと,発電所などの大規模施設の排出量統計をもとに作成された高解像度のデータで,これに年々の変動を考慮したデータの準備を進めています。

 インバースモデル解析システムの性能のテストや調整には,過去25年分の地上観測データを使用する予定です。GOSAT観測データを用いた二酸化炭素吸収・排出量の推定値の公開は,衛星打ち上げより2年後の2011年以降を予定しています。

(しゃみる・まくしゅーとふ,地球環境研究センター 主席研究員)

 〔翻訳:髙木宏志,監修:横田達也〕

執筆者プロフィール

シャミル・マクシュートフ

 1990年にロシアより来日,科学技術庁フェローとして国立環境研究所に入所。2000年まで日本・シベリアでの温室効果ガス観測業務に携わる。その後海洋科学技術センターにて温室効果ガスモデル解析業務に従事。2005年に国立環境研究所の職員として戻り,現在GOSATプロジェクトで大気輸送モデルの研究を担当している。日本語の読み書きはやや苦手だが,聞くのと話すのは大丈夫!