ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

南極レポート(第1回:「プロローグ」)

【海外調査研究日誌】

中島 英彰

 2006年11月28日,万感の思いを込めて,私は成田空港から機上の人となりました。ああ,これでもう1年4ヵ月の間,日本に帰ってくるのは無いんだという思いと,17年ぶりに見る南極の大自然に思いを馳せて…

 前回私が南極を訪れたのは,第31次南極地域観測隊(1989~1991)でのこと。丁度昭和が平成に変わって,バブルがはじけた年に日本を出発しました。今回私が参加するのが第48次観測隊ですので,今を遡る事はるか17年前のことです。複数回南極を訪れる人は数多いですが,再訪の間隔としては長い方ではないかと思います。当時の私は26歳。大学院の博士課程を休学して,臨時的に大学の助手の身分(当時は,国家公務員の立場でしか南極観測隊に参加できなかった)を付与されての観測隊参加でありました。越冬隊の中でも3番目の若さ。大人社会の右も左もわからぬわがままな若者は,1年の越冬期間中に,人生の先輩諸氏からさまざまなことを教えていただきました。おかげで,当時の越冬メンバーとは今も年数回の飲み会等で親しくさせていただいています。まさに,「同じ釜の飯を食った」仲間。家族同然の付き合いです。

 帰国後助手を予定通り解任され大学院生に戻った私は,南極のデータをもとに博士論文を完成。就職も研究の延長線上で何とかかないましたが,その職場は残念ながら南極観測とは直接関係のない職場でした。しかし,南極から帰ったその時から私の心の中には,1つの消えない蝋燭の炎がともっていました。いつか機会があったら,ぜひまた南極の地に帰ってくるのだと。

 そして,その後の紆余曲折を経て,今回第48次南極観測越冬隊に晴れて参加することができました。ここまでくるためには,仕事上のいろいろなハプニング(ILAS-IIを搭載した人工衛星ADEOS-IIの停止)や環境研の上司,南極観測を担当する国立極地研究所教官との折衝等,長い道のりがありました。でもそれらすべてを終え,今私は南極の地に立っています。17年ぶりの南極昭和基地は,観測系の建物こそ以前とそんなに変わっていませんが,居住系の建物はずいぶん立派になっていて,ちょっと浦島太郎状態です。それでも,50年間続いた日本の南極観測の中心にある基地という風格が漂っていました。

 日本から南極に達するまで,数年前までは11月中旬に晴海から砕氷艦「しらせ」に乗り込み,オーストラリア・フリマントルを経て,約1ヵ月半の船旅でした。それが最近では,11月末に我々は成田からオーストラリアまでは飛行機で移動し,そこから約3週間の船旅で昭和基地に到着します。船での「赤道祭」を体験できなくなったのは,ちょっと残念な気もいたします。そして,我々第48次隊においては,2006年12月19日と20日の両日に分けて,観測隊員は昭和基地沖にある砕氷艦「しらせ」から昭和基地にヘリコプターで輸送されました。その後,多くの燃料・資材・観測物資・食料等が,昭和基地に約1ヵ月かけて空輸及び氷上輸送されますが,この部分に関しては前に私が越冬した17年前と基本的に変わってはいません。

 昭和基地に着いたとはいっても,翌年の2月1日の越冬交代までは,まだ前次隊(第47次隊)が管理する昭和基地に住まわせてもらう立場の身であります。「レイクサイドホテル」とは名ばかりの,「夏季隊員宿舎」の2段ベッド・4人部屋・間仕切り無しのスペースに押し込まれ,来る日も来る日も「夏作業」という,基地管理・維持のための建設・土木作業に借り出されます。おかげで,コンクリート打ち,クレーン作業,ケーブルラック構築のための高所作業,ヘリポート作成のための土方作業など,日本にいてはまず体験できないような仕事をこなすことになりました。観測系の隊員はもちろんそのほとんどがこのような作業に関してはしろうとですが,最近では「KY(危険予知)活動」といって,朝一番にその日の作業で事前に想定される危険を皆で出し合い,その対策を考えるという事故防止のための処方箋が南極観測隊には行き渡っており,1ヵ月半に渡る過酷な作業の間にも,大きな事故は1つも起こらなかったことはさすがでした。

 今回の夏作業中,普段の南極観測隊ではあまりない出来事がありました。それは,南極観測50周年を記念して,日本から3人のVIPが,飛行機を乗り継いで昭和基地を訪れたということです。

 その3人とは,宇宙飛行士の毛利衛さん,作家の立松和平さん,登山家で医師の今井通子さんの3人です。毛利さんらは昭和基地に約1週間滞在し,我々南極観測隊員と交流を深めました。みなさん,結構南極を気に入っていただいたようです。3人がヘリコプターで帰路に着くときは,観測隊もVIPも,みな涙ぐんでいたほどです。交歓会の際,3人と昭和基地で撮った写真を添付します。私の顔がむさくるしいのは,夏作業期間中ですのであしからず。今は,もう少しすっきりしています。

 次回の南極レポートでは,昭和基地の紹介と,観測の立ち上げ風景等について紹介する予定です。お楽しみに。

毛利衛さんと筆者
立松和平さんと筆者
筆者と今井通子さん

(なかじま ひであき,
大気圏環境研究領域主席研究員)

執筆者プロフィール:

国立環境研究所に来て丁度10年目の年に,つくばから南極に脱走計画を企て,現在南極昭和基地に雲隠れ中。17年前にこちらに来たときは,電報が主な通信手段で,FAXや電話は高嶺の花だったが,今は普通にインターネットもつながる状況に愕然。インフラの進歩のすごさに驚きつつも,氷山やペンギン・オーロラ等昔と変わらぬ大自然を満喫し,新たな研究展開の萌芽に向けて,英気を養っております。