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イノベーションと環境研究

巻頭言

理事長 大塚 柳太郎

 イノベーションという言葉が頻繁に聞かれるようになりました。昨年から施行された第3期科学技術基本計画のスローガンとして謳われている,「科学の発展と絶えざるイノベーションの創出」が大きな影響を与えているのはまちがいありません。

 イノベーション研究の始祖ヨーゼフ・シュンペーターは,イノベーティブな「振る舞い」(activity)をしなければ「相も変わらぬ」(stationary)状態がつづいてしまうと警告を発したことで知られています。最近では,米国の国際的優位性を21世紀にも維持するための戦略を示した“Innovate America”(2004年12月に公表された,通称パルミサーノ・レポート)が,日本の各界に大きな衝撃を与え,今日の状況の引き金になったといえます。ところで,シュンペーターの考えはイノベーションの実行者の典型としてアントレプレナー(entrepreneur:起業者などと訳されます)を想定していたことからも,経済を変革(発展)させる理論を目指したものですし,パルミサーノ・レポートは米国の経済・産業面での国際競争力を高める戦略におけるイノベーションの役割を明確にしたものです。

 それに対して,内閣府の総合科学技術会議や日本学術会議などが行っているイノベーションの議論は,科学技術あるいは学術の総体を対象にしています。総合科学技術会議が強調するメッセージの1つは研究活動の円滑化・活性化で,大学や研究機関の硬直化した組織・制度の見直しや,国全体での制度的隘路の是正などを取り上げています。科学技術の発展とそれへの社会の期待が加速化しているなかで,制度面や組織面の革新がともなわないケースが多いからです。

 国環研も,「絶えざるイノベーション」を目指して,これからも今まで以上に努力する必要があります。その際,国環研のイノベーションには,環境研究を行う機関ならではのアイディアがあってもいいでしょう。その1つは,生態系の保全に重要で,新・生物多様性国家戦略でもキーワードとして用いられている順応的管理(adaptive management)に通底する発想です。生態系の保全を目指す試みのように,イノベーションはよりよい状況をもたらすとの慎重な予測に基づいてなされるわけですが,予測がはずれる可能性を完全には否定できません。順応的管理の考え方は,このような事態をも想定しながら常にフォローアップ(モニタリング)をつづけ,問題が生じれば再調整するというものです。

 総合科学技術会議が強調するもう1つのメッセージは,成果のさらなる創出・社会還元です。環境研究は,その成果をよりよい環境の維持・創出に役立てることをとおして,社会のイノベーションに貢献できます。このことが,環境研究に最も期待されている社会還元でしょう。

 問題は,社会のイノベーションに貢献するはずの研究成果が社会にいかに受容されるかです。社会が受容するインセンティブを高めるには,「事実の正確な把握」と「信頼性の高い予測」に裏打ちされた「望ましい状況に至る道筋」が,わかりやすく提示されることです。これらは「有用な技術開発」とともに,国環研が追及している研究目標と重なりあっています。あえて言えば,「望ましい状況に至る道筋」にかんするヴィジョン・シナリオ研究などの比重を高めることでしょう。

 このように考えてくると,「絶えざるイノベーション」は環境研究にとって身近なものであり,私たちは環境を重視する社会のイノベーションに貢献しやすい立場にあるといえます。

 

(おおつか りゅうたろう)

執筆者プロフィール:

東京大学(医学系研究科)名誉教授。専門は人類生態学。国環研に移り2年が経過し,研究の真っ直中にいたときの感覚を忘れはじめ,これはまずいと思いを新たにしているところです。ところで,国環研の第2期中期計画の方針と概要については,本誌25巻1・2号の巻頭言(それぞれ,私と西岡理事が執筆)で紹介したとおりですが,1年経った今,活動が軌道に乗りはじめたことに対し皆様に深く感謝しています。