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柴田 康行

 本年4月に化学環境研究領域長を拝命しました。有機フッ素系化合物の特別研究や旧軍化学兵器関連物質の分析などいくつかの仕事を引きずりながら領域のマネージメントにも取り組むこととなり,何も進まないうちにあっというまに半年余りが過ぎ去った感があります。その間,少しずつ考えてきたことについて,私自身の問題意識を中心に話題を提供し,責務に代えさせていただきたいと思います。

 環境研究では新たな分析手法の開発,確立が重要な課題の一つですが,その目的は大きく分けて,(1)化学物質汚染等,人間活動の環境・生態系・人の健康への影響把握,(2)環境・生態系自体のより深い理解,の2つに分類できると思われます。分析における重要なテーマは事象を「定量化」し,事態の危険性などを量的に評価するための基礎データを示すことにあります。環境モニタリングにおける汚染物質の分析はその典型例で,濃度測定結果をもとに環境基準の達成状況を把握し施策の有効性を評価したり,排水基準を上回る排出に対して削減を図るなどの施策がとられます。こうした場合,分析精度,信頼性の確保が極めて重要であり,より精度,信頼性の高い分析手法の開発,確立とともに,環境標準試料の作成を含む精度管理のための一連の手続きを確立する必要があります。一方,基準を決めるためには,毒性情報に加えて発生源から人あるいは野生生物にいたる化学物質の環境動態の定量的な理解も必要で,これも環境分析の重要な目的の一つです。

 また,人間活動による環境・生態系・人への影響を定量的に把握するための分析手法の確立も重要な課題です。たとえば野生生物への汚染物質暴露の影響を解明したい場合,特定の汚染物質の体内濃度がわかっても,その生物にとってどのようなリスクを伴うのかは,十分な毒性情報が無い限りなかなか判断ができません。その場合に,実験動物での研究結果等をもとに毒性発現に対応した指標(バイオマーカー)を見つけて分析することで,実際の野生生物ごとに感受性の差,暴露状況の危険性等をある程度定量化して示せる可能性がでてきます。あるいは毒性発現機構の鍵となるステップを使って,類似の毒性を有する化合物を探したり化合物間の毒性の強さの違いを定量化して表示することも可能になります。こうしたバイオマーカー分析,あるいはバイオアナリティカル手法は,毒性発現機構あるいは生物の毒物に対する応答機構を理解し,その機構を分析手法として利用するもので,近年盛んに研究されています。

 さらに,環境システムそのものを理解し,その応答をモデル化して定量的な予測結果を施策に反映させるための分析手法の開発も必要です。地球温暖化に関わる全球的炭素循環の定量的理解はその一例といえます。また,信頼性の高いモデルを作り環境変動のより正確な将来予測を行う上で過去の環境変動の詳細な解明は極めて重要ですが,そのために生物由来の鉱物中元素比や同位体比,あるいは底質中の生物起源物質アルケノンなど,周囲の環境条件によって変化し,過去の環境変動の解明に役立つ様々な指標(プロキシ)が開発され,測定されてきています。同位体比や元素比はまた,対象とする物質,化合物の発生源の特定,定量的な寄与の見積もりにも重要な因子です。

 このように環境研究の推進,環境行政施策の実施に必要な定量的な数値の提出を目的として分析手法の開発を進めること,これをつきつめて考えれば,対象となる人や生態系,あるいは環境を「システム」としてとらえ,把握することがその根底にあり,上述の(1),(2)の区別は実は同じコインの表裏を見ていることにもなります。化学環境研究領域では元素,同位体,化学物質,バイオマーカー等の分析が主たる研究対象となりますが,そのなかで「システムを測る」ために何が不足し,どのような分析手法の開発,あるいは分析手法の体系化が必要かを絶えず念頭におきつつ,研究を進めることが重要と考えているところです。

(しばた やすゆき,化学環境研究領域長)

執筆者プロフィール:

大学院で酵素の反応機構を学び国環研に就職して20年余,いつの間にか海底コアの分析による環境変化の研究などにも手を染めるようになりました。研究所に入って以来何度も耳にする「環境研究者は深い根と広い間口をもつT字型,π字型の人間になるべし」という言葉に感化されて間口だけはずいぶん広がった感じですが,ちょび髭のような根っこをたらしつつ,水面を風任せで流れる浮き草状態はなかなか解消されません。