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柏木 順二

 この7月1日,環境省から出向し,国立環境研究所で仕事をさせていただくことになった。異動の内示を受け,ふと頭に浮かんだのは,「どんな仕事をするんだろう。」,そして「国環研はどんな所だったかな。」という疑問であった。というのも,私個人としては,国環研の研究者の何人かの皆さんには審議会や検討会の委員としてお世話になっているものの,いわば組織としての国環研とはこれまでほとんど関わりを持ってなかったからである。

 私の場合,研究所との出会いは今から20数年前の昭和53年に遡る。私が役所に就職した年で,初任研修の施設見学の一つとして訪れたのが国立公害研究所であった。その時は,私もまだ環境庁に入ったばかりで,公害研の何たるかを理解する余裕もなく,緑の多さや低層のユニークな形の建物群を記憶に留めた程度であった。その後は何故か,研究所とはほとんど接点のないまま仕事をする状況が続き,ようやく最近になって,国環研の研究者の方々と本格的に仕事上のお付き合いをさせていただくようになったというのが,これまでの私と研究所との関わりについてのあらましである。こうして見ると,いかにも疎遠な関係のように見えるが,これまでも何人かの研究者の方々とはお話する機会もあり,その際環境への思いや人柄には惹かれることが多く,私の心の中では研究所への親近感を持ち続けてきたように思う。

 特に,昨年惜しくも他界された森田恒幸さん(国環研・元 社会環境システム研究領域長 兼 地球温暖化の影響評価と対策効果プロジェクトリーダー(平成15年9月4日逝去))の存在は大きかったと思う。私が最初に配属された課の隣の課に,森田さんが公害研から出向しておられた関係で,森田さんと幸運にも知り合うことができた。両課は当時アセスメント法案の作業を共同で行っていたことから,森田さんは私の課に顔を見せることが多く,その際新人である私にも声を掛けるなど親切にしていただいた。また,森田さんとは一緒にサイパンに海外旅行にも行った。現地球環境局長の小島さんを含め3人の間で話が持ち上がり,これからは国際派を目指すべきと,初めての海外旅行に出かけた。わずか4泊5日のツアーではあったが,忘れ得ぬ楽しい思い出となっている。さらに森田さんの思い出としては,今から考えると森田さんが亡くなられる5年ほど前になるが,十数年ぶりに国環研で偶然出会い,その際に森田さんから昔と変わらぬ励ましの言葉をいただき,非常に嬉しく思ったことである。結局それが森田さんにお会いした最後となった。連日心身共にすり減らしながら仕事に打ち込んでいた様子など当時の私には思いも及ばず,森田さんに対し何らの言葉も掛けられなかったことは悔やまれてならない。森田さんには到底及びようもないが,その期待に少しでも応えられるよう頑張っていきたいと思っている。

 国環研に着任してから早2ヵ月が過ぎようとしている。最初の仕事は独立行政法人評価委員会への対応であり,これまでの仕事では関わったことのない財務諸表について説明することとなった。また,国環研内部のいくつかの定例的な会議にも出席させていただいた。異動してきたばかりでいささか大変ではあったが,結果的に国環研を理解する早道になったように思う。この間の若干の感想としては,環境政策あるいは環境省との連携が極めて重要になっているとの印象を強く抱いたことである。国環研は毎年度業務実績の評価を受けることになるが,特に研究業務の評価については具体的な政策への結実や貢献ということが今後強く求められていくものと思われる。一方で,環境政策あるいは環境省の側でも,地球温暖化,生物多様性,内分泌攪乱化学物質等昨今注目を集めている分野はもとより,水質保全等のいわば伝統的な公害行政分野においても生態系保全等へと新たな政策展開が求められるようになってきており,いずれの場合も政策の基礎となる科学的な基盤の強化が益々重要になっている。そのような状況を考えると,環境政策と環境研究との結びつきはなお十分ではなく,環境省と国環研の連携をさらに強化する必要があるように思われる。今後国環研について理解を深めつつ,そのあるべき姿も考えながら業務に邁進していきたいと考えているところである。

(かしわぎ じゅんじ,総務部長)

執筆者プロフィール:

自宅がある板橋から筑波へ毎日2時間掛けて通勤。「毎日が小旅行」も楽ではありません。先日のこと,帰りの電車のドアが開くと同時にさきイカの臭いがぷうんとしたのにはびっくりしました。目下このような環境の変化に慣れるのと,殊の外長い通勤時間をどう有効に活用するかが課題です。