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生物の「かたち」を測る

研究ノート

立田 晴記

 生物の「かたち」は個体の持つ遺伝情報の発現に加え,その個体が発生,生長する環境から受けた影響の総和としてとらえることができる。異なる個体が全く同じ遺伝情報を持ち,生育環境も同一の場合,「かたち」は同一のものになるだろうし,遺伝,環境,もしくはその両者の要素が少しずつ食い違っていれば,各個体はそれぞれ異なる「かたち」を持つだろう。同じ生物種であっても,個体によって少しずつ様々な特徴が異なっているのは上述の理屈で説明がつく。また興味深いことに,遺伝,環境が異なることで生じた生物の「かたち」の違いは,その生物の行動をしばしば規定してしまう。ある昆虫のグループでは,体の大きさが主に幼虫時にどれだけ栄養を摂取したかという環境要因によって決まっており,体サイズに応じて個体の活動時刻が全く異なっているという例が知られている。また形態の微細な差異は活動周期の変異と関係するだけではなく,利用可能な餌資源を制限することがある。有名な例を挙げると,ガラパゴス諸島に分布するフィンチのくちばしの形状により利用可能な餌資源の種類が異なっており,不意に訪れる干ばつ等の環境変動により餌の種類と量が大きく変化することで,その都度生存に有利になるくちばしの形状が異なる。この例は,くちばしの形状が個体の適応度(生存か死か)と密接に結びついていることを示すだけではなく,くちばしの形状に気候変動に伴う自然淘汰が働くことで,生物集団の平均的な形態の特徴に変化が生じることを示唆している。くちばしの形状が遺伝的な基盤を持ち,次世代に伝わる形質であるならば,こうした淘汰圧により生物集団全体の特徴は時を追って変化していくだろう。フィンチのくちばしに限らず,自然淘汰による生物形態の進化は上と同じ原理で説明される。生物の「かたち」を解析する形態学はさまざまな学問分野と接点を持つ。生物のかたちを定量化する分野である「形態測定学(morphometrics)」では近年急速に方法論の整備が行われ,分類学や進化学をはじめ,発生学や医学における変態メカニズムや骨格形成,ダウン症候群などの遺伝病に関する研究例,さらに古生物学では絶滅してしまったアンモナイトが形態形成に必要な物理パラメータを設定することで絶滅時に生じた殻の形態異常の要因を推定する等の成果が出されている。また形態形成に関与する遺伝子座の位置と形態変異の関係が統計遺伝学的手法を組み合わせることで探る研究も近年開始された。このように形態測定学における道具は他分野の技術や知見を組み合わせることで,極めて有効に活用することができる。

生物の「輪郭」の定量化

 形態測定学は大きく2つに大別される。1つは「数値分類学(numerical taxonomy)」や「表型学(phenetics)」に端を発し,距離変量に対する多変量統計学に基づく「伝統的形態測定学(traditional morphometrics)」であり,もう1つは数学の多様体論を含む幾何学や物理学の「連続体力学」を基礎に置く「幾何学的形態測定学(geometric morphometrics)」である。近年急速に方法論の整備が進んだのはとりわけ後者の分野であり,前者の方法では不可能であった「かたち」の変化方向の視覚化や,実際のデータに基づき計算されたパラメータの一部を変化させて仮想的な生物の「かたち」を復元し,パラメータの生物学的な意味を考察するといった研究が可能になった。

 ここで私が行ったクワガタムシの外部形態の解析結果の一部を紹介したい。材料はノコギリクワガタProsopocoilus inclinatus (写真)という,2次林でよく見かける種を使い,変異が著しい大あごの形状を解析した。クワガタムシの本を見ると,雄では大アゴ(クワガタムシの大アゴはカブトムシの雄に見られる「ツノ」とは異なることに注意!)のタイプが幾つかに分けられるとか,タイプ間の差異は明瞭ではなく,連続しているという記述を見かける。誰でも知っているクワガタムシだから,さぞかしいろいろな研究が進んでいるのだろうと思っていたところ,一部の古い文献を除き,大アゴをはじめとする外部形態変異を詳細に解析した例はほとんど無かった。また幾つかの図鑑を改めて読んでみると,雄は体も大きく目立つので,様々な特徴が詳細に描写されているのだが,雌の外部形態についての記述はほとんど無い。成程,雌は種が違っても同じような形をしているので,雄と比べれば迫力不足で,魅力が薄いのは理解できる。しかし性染色体を除き,遺伝的基盤は雌雄で共通していることを考えれば,形態的な幾つかの特徴は雌雄で類似していてもおかしくはない。そこで発生学的に相同な形質の「かたち」を詳細に比較することで,雌雄間で共通している特徴が何であるのか調べるため,本研究を着手した。

ノコギリクワガタの写真
写真 雌にアプローチするノコギリクワガタ雄。

 通常,生物の外部形態を測定する時,物差しやノギスといった点と点の間の距離を計測する道具が良く用いられる。しかしこれらの道具は形態をできるだけ正確に定量化するという目的にはあまり有効ではない。クワガタムシにしても,雄の大アゴは種やサイズによって大きく湾曲すること,また大アゴには内歯と呼ばれる細かい突起がいくつもあり,それらの数や形状にも変異性が存在することが分かっている。したがって,アゴの先端から付け根までの直線距離を測定するだけでは,湾曲の程度や内歯の構造を詳細に解析することができない。そこで「幾何学的形態測定学」の一手法である「楕円フーリエ解析(elliptic Fourier analysis)」を使い,大アゴの2次元的な輪郭を定量化した。フランスの数学者フーリエは,どんな曲線でも周期関数を組み合わせたフーリエ級数展開式により記述できることを示した。とりわけ1次元のフーリエ解析は音声波形解析等でしばしば用いられ,「楕円フーリエ解析」は閉曲線(面)の記述に有効であるとされる。一般に,フーリエ級数の調和数を増加していくにつれ,「かたち」の微細な変化を記述することができる。図1はノコギリクワガタ雄の左大アゴについて,調和数と再現された「かたち」の関係を示したものであり,フーリエ係数を増加させるに従って形態の微細構造をより正確に記述できることが分かる。また図2には,雌雄の左大アゴについてフーリエ解析を行い,各個体のフーリエ係数をデータのばらつきが最大化されるような面(多変量解析の1手法である「主成分分析法」により計算される)に投影した結果を示す。これらを眺めると,雄では湾曲度の強い個体が1つの小さなクラスターを形成しており,その他のものがもう1つの大きなクラスターを形成する。大きな方のクラスターは湾曲の程度が少ない大アゴが連続的に変異することを示しているが,密度等高線にくびれが認められることから,解析標本数を増加させることで,クラスター内の形態的差異がより明確に見えてくる可能性がある。また発生学的に相同な器官でありながら,雌大アゴの変異パターンは雄と大きく異なっていることもわかるだろう。

フーリエ解析結果の図
図1 ノコギリクワガタ雄左大アゴに関する楕円フーリエ解析
調和数が増加するごとに複雑な形状の記述が可能になり,写真をトレースした原図に近づいていくのが分かる。この例では調和数30でほぼ原図通りの形状を再現できた。
座標付けのグラフ
図2 標準化フーリエ係数の座標付け
(主成分分析:PC1,PC2はそれぞれ第1,第2主成分であり,カッコ内の数値は全分散に対する各主成分の寄与率を示す)
別途求めた点の密度等高線,および雌雄それぞれ数個体についてフーリエ解析にて再現された大アゴを重ねて表示している(いずれも調和数=30)。A,Bはそれぞれ雄左大アゴ,雌左大アゴの結果を示す。

環境研究への応用

 生物の「かたち」は環境を計測する指標として活用することができる。例えば生物集団の遺伝的な劣化(有害遺伝子の蓄積,遺伝的均一化など)と表現型の関係を探る研究や,環境中の有害物質等による形態異常の発現に関与する感受性遺伝子の効率的に探索するという研究がすでに開始されている。将来的にはある形態的特徴をみることで,生物集団の「健全性」を評価する,あるいは有害物質が生物集団に与える影響について形態的特徴を指標にモニタリングするといった環境管理に関する研究はもちろん,「かたち」を解析することで環境中に存在する有害物質を判定する,また生物集団の繁栄・衰退を予測するといった技術を確立できるかもしれない。地球環境を理解し,現在生じている問題を解決するために,生き物の「かたち」を測定し,解析することが意外と役に立つのでは,と私は思っている。

 最後に,ここで紹介した研究の一部は,溝田浩二(宮城教育大学),秋元信一,藤本克文(北海道大学)の各氏との共同研究により進められたことを付け加えておく。また四方圭一郎氏(飯田市美術博物館)からは表紙のクワガタムシの写真を提供していただいた。ここに改めて御礼申し上げる。

(たつた はるき,化学物質環境リスク研究センター)

執筆者プロフィール:

4月に国立遺伝学研究所から現在の職場に移って参りました。意図せずして飛び込んだ環境リスク研究という新たな分野でどうやってこれまで習得した知識を生かしていくか四苦八苦しながら思案中です。もともとトレッキングや自然観察が好きで,いつの間にか趣味を職業にしてしまいましたが(人生最大の失敗!),これからも自然との付き合いを忘れないように生きていきたいと思っています。