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監事 冨浦 梓

 最近なんとも考えさせられるドキュメンタリー風の本を読んだ。著者は冷戦時代のスパイ小説で名を馳せたフリーマントルである。研究者の多くの方々は大変多忙でこんな本は読むことはないと思うので,要約してみると次のようになる。

 南極のある観測施設と連絡が途絶えてしまい,調査に行ってみると,観測隊員全員が老人化して死亡している。屍体を持ち帰って研究している過程で調査に行った人が次々に老人化して死んでしまう。理由はどうやら地球温暖化によって凍結されていた微生物が復活してきたのではないかと推測される。米,英,仏,ロの四カ国が秘密裏に研究するが,次第に事実を隠蔽できなくなり,ついにアメリカ大統領は産業界の反対を押し切って地球温暖化防止規制の実施を表明せざるを得なくなる。最後になんとも不気味な結末が待ち受けているが,環境と科学,政治,経済,市民,正義と陰謀(ご多分に漏れず色と欲望がどろどろと渦巻いている)などなどが絡み合って地球温暖化防止展開し,物語として今日的であると同時に環境問題の複雑さ,権力と環境問題の猥雑さを余すことなく描ききっているところはさすがにフリーマントルであると感嘆せざるを得ない。

 いうまでもないが,環境問題は人と社会,政治と経済,科学的予測と検証を三つの軸として複雑に関連し合う。環境研究は人と社会や政治と経済に影響されることなく存在し,両者に適切な行動の論拠を提供しなければならない。もはや成長の限界ではなく生存の限界を意識せざるを得ない今日,環境問題は人を対象にするのでは十分ではなく,生きとし生けるもの全てを対象に考えなければならないし,SARS(重症急性呼吸器症候群)やエボラ出血熱のようにフリーマントルの描く恐怖が明日起こったとしても不思議ではない。環境研究はことが起こって対策を講ずるのではなく,事前的であり予測的でなければならず,それゆえに環境研究者の責務は重い。かく言うのは簡単であるが,何の確証もなく予測をしても世を惑わすことになり兼ねず,確証を待っていれば後手に回ってしまう。今ここにある危機を解決する研究が重大であることは論を待たないが,将来に禍根を残さない研究もまた重要である。おそらく将来の問題は現在の延長線上にはなく,現在の問題の解決と同時に将来の問題を発見することこそが深刻なのである。片や問題の解決に全力を挙げ,片や現在の問題とは素性の異なる問題の発見に力を注ぐ,このどう着をどう決着するのか,これこそが研究所を挙げて考えなければならない第一の課題であろう。

 それにつけても研究者は多忙に過ぎる。無為は人をあらゆる方向に追うが,多忙は人の自由な思索を束縛する。今必要なことは,逆説的に過ぎるかも知れないが,無為ではないのか。いろいろと思索をめぐらす中に一つの方向が見えてくるかも知れず,それを中心にしていくつかの物語-あえてシナリオとはいわない-を自由に描き,将来の問題発見研究と現在の問題解決研究を習合(syncretize:synthesize different tenets and principles=異なる主張や原理を統合すること)させることができるかも知れない。現在の研究を単に継続することは安全であり,研究の枠外に出ることは冒険であるが,研究者が冒険者にならないのなら研究者の看板を下ろしたほうがよい。研究者が保守的にならないためには外から自分を見なおす無為な時間が必要ではないだろうか。

 註:欧米にはロバート ラドラム,トム クランシー,ブライアン フリーマントルをはじめ,時の話題を巧みに小説にし,社会の人々に警鐘をならすミリオンセラー作家が多い。日本では水俣病を告発した水上勉の「海の牙」,石牟礼道子の「苦界浄土」以来この種の小説にお目にかかったことがない。難しい話を展開するより環境問題を小説化する作家が現れないものであろうか。いかがですか皆さんミリオンセラー小説家になって見ませんか。ご用と御急ぎのない方の参考までに冒頭に引用した本は,「シャングリラ病原体」,ブライアン フリーマントル著,松本剛史訳,新潮文庫である。

(とみうら あずさ)

執筆者プロフィール

鉄を作って47年,日本学術会議会員9年,両方とも去る7月にお役ごめんになりました。趣味はイタリア料理,歴史,そして鉄への愛と恋。環境研への愛と恋は熟成してきましたが,環境への愛と恋は今しばらくのご猶予を。