ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

成層圏における脱窒の役割 −極域春期オゾン破壊に及ぼす影響−

研究ノート

杉田 考史

 記憶に新しいところでは,今年(2002年)の南極オゾンホールの規模は例年に比べ小さく,オゾン層(2001年8月号参照)回復の兆しであろうか,といったことがメディアに取り沙汰されました。メディアのオゾン層への関心は相変わらず高いことが伺えます。オゾン層の長期的な変動要因は様々で,自然起源としては例えば太陽活動度の周期的変化などが挙げられます。一方,人為起源としては,いわゆるフロンガス,正確に言うと,クロロフルオロカーボン(CFC)などの放出が最も重要です(もちろん,メタンCH4,亜酸化窒素N2Oなどの人為的放出も重要です)。このCFCなどが成層圏に運ばれることでオゾンを直接に破壊する活性塩素ClOxが発生します(図1)。

概念図
図1 冬期から春期にかけての成層圏(高度20km付近)の化学過程と対流圏温室効果気体との関係の簡略化した概念図
青,赤,そして緑の気体は各々光化学寿命が非常に長いもの,非常に短いもの,それらの間のものを示す。PFCはパーフルオロカーボンのこと。簡単のため成層圏でハロンhalonから生成する活性臭素BrOxについては触れていない。

 冬期の南極では,極渦(きょくうず)と呼ばれる南極大陸をすっぽり覆うような大きな大気の流れが生じます。この中で塩素Cl2が蓄積され,大規模なオゾン破壊が春期に進行します。一方北極では,南極ほど極渦がしっかりしていないため,下部成層圏の気温は平均的に10度くらい高く,北極オゾンホールと呼べるほどのオゾン破壊はこれまで起きていません。ではなぜこれほどまでに気温の違いが重要なのかというと,ちょうど冬期極渦内の最低気温付近において“雲“が生じ得るからなのです。これを極成層圏雲(PSC)と呼びます。このPSCを構成する液相あるいは固相の粒子表面を介した異相反応(不均質反応)によって,直接にはオゾンを破壊しない塩化水素HClや硝酸塩素ClONO2などの気体が塩素Cl2などのオゾンを破壊しやすい気体に変換されます(塩素は太陽光の照射によって容易にClOxになります)。従って,大規模なオゾン破壊が生じるか否かは,PSCがどれだけ発生するかが基本的に重要です。

 みなさんの興味は,ではこの先オゾン層はどうなるの?ということかと思います。簡単に答えてしまうと,南極オゾンホールの規模は50年後くらいには1980年以前のオゾン量にまで回復し,また北極では今後南極オゾンホール並みのオゾン破壊が生じる可能性は低いだろう,と現在の知見では考えられています。そのことを検証するために,今後も正確かつ高い精度でオゾンやその生成消滅に関連する化学成分を監視し続けることが必要です。また,オゾン破壊のメカニズムについては分からない部分が今も多く,そのための研究が継続されています。この研究ノートでは,その一つであります成層圏の脱窒過程とそのオゾン破壊への影響についてお話したいと思います。

 脱窒と聞くと普通は土壌中などの細菌の活動によって硝酸イオンNO3や亜硝酸イオンNO2がN2Oや窒素N2まで還元され,気体となって大気へ出ていく過程を思い浮かべることでしょう。しかし,ここで言う脱窒過程というのは全く違う過程のことを言います。その説明から始めます(図1参照)。

 まず,成層圏における反応性のある窒素酸化物NOxは一体どこからやってくるのか?というと,それは対流圏で放出される亜酸化窒素が成層圏まで移流され,そこでの過酷な酸化環境のもと,エネルギーの高い酸素原子により壊され生じます。NOxはその場の太陽光の強さやオゾン,活性種(ClOxや水酸基HOxなど)の濃度に従い,より高次の酸化物となります。具体的には,気相硝酸HNO3やClONO2などです。極域の冬のように日が当たらない環境下では,専ら硝酸の形をとります。そこで極渦内の気温が低下し,例えば高度20kmでマイナス80度程度になると,専ら水と硝酸からなる液相または固相のPSC粒子が生成します(個々の粒子サイズはサブミクロンから10ミクロンくらいです)。運がよければ日の出,日没時に地上からでも成層圏の雲として目視できます(筆者が北極に行ったときには残念ながら見られませんでした)。それで,このPSC粒子は時として直径15ミクロン程度にまで成長し,重力に耐え切れず,1日当たり1~2kmの速度で落下することがあります。それによって,その場の硝酸濃度は”不可逆的に”減ってしまいます。この不可逆的な硝酸などの窒素酸化物種の損失のことを脱窒(Denitrification)と呼んでいます。一方,落下先の高度10数kmにおいては,PSC粒子の蒸発・昇華によりその場の気相硝酸濃度が増加します。

 さて,この脱窒が及ぼすオゾンへの影響ですが,これもややこしい話になります。一度脱窒によって気相硝酸が減ってしまったところから話を始めます。そのような空気が季節の進行につれて太陽光に当たり始めると,通常ですと気相硝酸の光解離によって,NOxが増えてゆくのですが,硝酸がないためにNOxが,少ない状態が続きます。この状態がポイントです。なぜかと言うと,春期極域の下部成層圏では,ClOxがオゾン破壊の主要な成分であり,逆にNOxはClOxと反応することで,準安定なClONO2を形作るからです。図2にあるように,NOx濃度の低い状態が続くとClOxが高濃度のままとなり,その結果,オゾンの破壊も大きくなる,というからくりです。このような定性的なモデル計算に基づく研究は1990年代の始めから行われてきました。では,実際にそのようなことが観測されているのか?というと,実は意外にも2000年の冬から春にかけて,北極域で行われた航空機観測結果から初めて定量的に明らかにされました。その結果,7割の脱窒が生じていた場合と4割の脱窒が生じていた場合の空気を比べると,前者の方が1.5倍ほどオゾン破壊速度が大きいことが分かりました。これまでなぜ,このような解析が行われなかったのかと言うと, 1.過去に北極で行われた冬から春にかけての連続航空機観測の年はPSCがほとんど発生しなかった 2.過去に南極で行われた航空機観測結果からは未だこのような解析が行われていない 3.数少ない硝酸測定を含む衛星からの観測では高度分解能が足りない,あるいは極域の連続観測ではないこと,などが理由として挙げられます。

概念図
図2 成層圏の脱窒過程がオゾン破壊に与える影響を示す概念図
実線は脱窒が冬の間に生じなかった場合の活性塩素ClOx,窒素酸化物NOx,そしてオゾン濃度の時間変化。点線は大規模に脱窒が生じた場合。

 1996年11月から約8ヵ月間にわたり,極域成層圏のオゾン,硝酸などの化学成分を連続測定したILAS(改良型大気周縁赤外分光計)は高度分解能の良いセンサであること,また,1997年の北極の極渦が5月初めまで持続したことなどから,脱窒とオゾン破壊の関係について調べるために絶好の機会を与えてくれていただろうと考えました。筆者らが初期的な解析を行った結果,2000年の北極と同様に,より脱窒規模の大きな空気ほど,オゾン破壊速度が大きいことを初めて衛星観測から見いだすことに成功しました。さらに解析を進めて,オゾン破壊速度の違いが,単に冬期に生じた脱窒の影響だけで説明できるのか?あるいは,脱窒後の低温による付加的なClOxの増加があったためなのか?といったことを現在考慮中です。ILAS程度の高度分解能を持ち,また多成分の測定が可能な極域連続観測センサであれば,今後もオゾンと脱窒の関係を定量的に把握することが可能であることを実証したという意味でこの研究は重要です。今年の12月に打ち上げが予定されているADEOS-II衛星搭載のILAS-IIセンサからのデータに対する期待も高まります。京都議定書で取り上げられているような対流圏の温室効果気体の増加は成層圏気温を低下させるであろうと考えられており,将来頻繁に北極でもPSCが発生し,脱窒が生じるようであれば,事はそう簡単ではないかも知れません。

(すぎた たかふみ,成層圏オゾン層変動研究プロジェクト)

執筆者プロフィール

学位取得後,宇宙開発事業団・地球観測利用研究センターのポスドクなどを経て,1998年10月入所。この号が出る頃にはILAS-IIが地上800kmを無事周回していることを切に望む。趣味:主に女性ヴォーカルものの音楽(最近全然やれてないが),下手くそなバドミントン。