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修行先からみた国立環境研究所

論評

渡邉 信

 昨年の12月初め頃,独立行政法人化に向けての組織再編も終わって,再編後の研究実施体制を検討するまでの暫しの惰眠をむさぼっていたとき,突然総合科学技術会議へ併任を命ぜられ,12月17日からの当時の科学技術庁への併任を経て1月6日より総合科学技術会議に着任した。それ以来10ヵ月の月日を経て,国環研の多くの方々の多大な協力を得て,どうにか環境分野の推進戦略を作り上げることができた。ここにご協力をいただいた皆様に深い感謝の意を表明したい。

 私が何ゆえ,総合科学技術会議への常勤的併任を引き受けたのか,その理由を一口では言い切れないものがあるが,全く新しくできた総合科学技術会議のまっさらなところに絵を書いてみたいという気持ちがあったことは確かである。しかしながら,実際仕事を開始してみると,暗闇の中で絵を書くようなものであった。慣れない行政的ライン化の中で研究者の志を実現していくことは生易しいものではないことを思い知らされている。にもかかわらず,挫折もせず,ここまで希望をもちつづけることができているのも,国環研の全面的なバックアップ,関連各省の行政官,特に環境省の行政官の方々の理解と協力,総合科学技術会議の有識者議員の方々の理解と協力があったからこそだと思う。総合科学技術会議にきてよかったことは,自分だけの力でできたと思っていたものすべてが,多くの方に支えられていたことが実感としてわかったことである。こんな浅はかだった人物が国環研を論評することなど,とてもできるわけはないが,なぜか国環研や環境省を益々好きになってきており,その理由を考えてみることで論評に変えさせていただきたいと思う。

 まず第一に,旧国研の中で国環研ほど自由闊達な議論が許されている研究所はないということである。もし,現在,自由闊達な議論ができないと感じている研究者がいるとすれば,それは自らが「しない」から「できない」のであると思う。総合科学技術会議においては,私ですらも相手の立場も考慮しつつ発言しているつもりであるが,国環研で20年以上もの研究生活の中でいつのまにか身についた自由闊達な思想が,時々思い切った発言となり,それがまた聞き手にとって軽快な印象を与えることもあるようである。歴代の所長をはじめ,先輩諸氏の努力が国環研のすばらしい「校風」を作り上げてきたと自信をもって言える。若手・中堅の研究者はこの「校風」を大事にし,守ってほしい。

 第二に,自由闊達な議論が許されているだけでなく,研究費が他の旧国研と比べて,研究者数のわりにめぐまれているということである。しかし,これは何らの努力もなく,天からさずかったものではない。国公研から国環研への組織改革,地球環境研究総合推進費の設立,そして今度の独法化での組織再編等を研究者自らが行政官とともに主体的に行い,かつ研究所設立以来我が国の環境研究の中心でいつづけていることは並大抵の努力ではできない。この努力の結果がアカデミックフリーダムを保ちつつ,相対的にめぐまれた研究費となっていると思う。

 第三に,科学技術基本計画では産学官連携が謳われているが,これは今にはじまったことではなく,昔から言われていることである。国環研には,大学との連携の強化と環境省との連携の強化の2つの流れが見られるが,産との連携の流れはほとんど見えない。私はそれが非常によい研究所の雰囲気をつくってきたと思う。短期的な成果が求められる産業界との連携をさぐるよりも,研究者の創造性を大事にし,さらに一層それを発揮できるような環境作りをすべきであろう。高いハードルを設定し,それでも連携をもとめてくる産業界を相手にするようにすればよい。ノーベル化学賞をとった野依教授も同じようなことを言っていた。大学は,創造力のない産業界と連携しても意味はなく,創造力のある研究者を育てられるように大学院教育を改革し,産業界に送り込むことが本当の連携であると。国環研は創造性のあふれる研究者が集まる研究所に進化していく可能性を持っている。国環研は,大学との連携をさらに一層進めるべきであろう。管理部門は,大井前所長がもう一息で実現できるところまでもっていった大学とのコンソーシアム構想を完成すべく,頑張ってほしい。

 第四に,現在の国環研をプロジェクトや研究領域のリーダーとして引っ張っている研究者の年代は,50歳代である。ほとんどは20~30歳代に国環研に勤め,育ってきた人材であり,各環境研究の分野の中心となっている方も少なくない。その半分近い数の人材が3~4年後には定年となり,さらにその3~4年後には多くが定年となる。したがって,この10年で国環研として大きな世代交代の時期となる。その時の中心となる人材は今の若手・中堅の研究者である。総合科学技術会議にきて外から国環研をみると,将来の国環研を支える人材は,若手・中堅の研究者層に間違いなく育っていることがわかる。理事長等研究所幹部はこのような人材を的確に見極め,集中的な資源投資を行いつつ,いい意味での競争を喚起し,国内の他機関や国外機関にも修行に出し,大事に育ててほしい。

 最後になるが,国環研のすばらしいところは,国環研の研究者と環境省の行政官との間で遠慮のない議論ができることである。これは大学と文部科学省の間すら,実現していないことである。また,これは環境省のよいところでもあろう。貧乏な親ではあるが,子供に忌憚のない発言を許すところは尊敬すべき親である。時々,貧乏に負けて悩みの多い行動をとることもあり,縁をきりたくなった方も少なくないと思われるが,それでも大学以外の他省の研究所に移る人はほとんどおらず,なんとなくいつのまにか多くの国環研の研究者に愛されてしまった親でもある。これからも何度も親子喧嘩を繰り返し,国環研は創造性のあふれる研究所へ,環境省は清貧な省へ進化していくことを切望する。

 以上がとりあえず考えることができた国環研と環境省を益々好きになってきた理由である。辛口の論評を期待していた方には,申し訳ない内容となっているが,今の私の正直な気持ちを述べさせていただいた。

(わたなべ まこと,総合科学技術会議参事官(環境担当),生物圏環境研究領域長)

執筆者プロフィール

昭和23年東北の春浅き3月に,四方山に囲まれ,町中を阿武隈川が流れる丸森町(宮城県)に生まれる。昭和53年10月に国立公害研究所に入所。当時の上司は渡辺正孝・現水土壌圏環境研究領域長。国公研から国環研への組織改革では井上元・現地球環境研究センター総括研究管理官とともに研究企画官を併任した。その時の上司は浜田康敬・現理事。平成9年より生物圏環境部長で,独法化後の組織再編で生物圏環境研究領域長と生物多様性グループリーダー。しかしながら,総合科学技術会議の参事官を併任することとなり,領域長とグループリーダーの仕事は椿上席研究官が行っている。感謝。