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大学への誘(いざな)い?

東京農工大学教授 細見 正明

 国立環境研究所から大学へ移る研究員が多く,四六会の名簿も充実してきた。優秀な人材ばかりが流出していくとすれば問題であるが,人事の刷新という観点からすれば,新陳代謝が活発で組織としてもバランスがとれることになり,推奨すべきことかもしれない。かくいう私自身も9年前に大学へ転出した。大学へ移る魅力は一体何か?

 9年前に戻って考えてみると,とりたてて職場の人間関係や給料などに不満があったわけでもないし,研究を通じて環境問題の解決になんらかの貢献を果たしているという自負もあった。強いていえば,研究スタイルが箱庭的で専門性に欠けると指摘されてきたことへの反発や研究費の問題ぐらいか。特に,研究費という点からすれば,その当時,研究員1人当たりの経常研究費が30万円程度で,あとは所内外のプロジェクトに参画して稼いでくるというのが研究所の方針であった。海外旅費のみならず,国内旅費についても工面するのが困難であった。私自身2度休暇をとって海外での国際会議に出席したことがある。もちろん,個人の費用で。

 その当時,大学に転出していた諸先輩から,大学には奨学寄付金という制度があるという話を伺った。それに基づいた委任経理金は,各個人が管理している研究費で,旅費や消耗品などの費目がなく自由に支出でき,かつ,単年度決済ではなく越年することもできる(要するに貯金ができ,場合によっては利子もつく)など,まことに研究者にとってありがたい予算であること,そうした予算は各先生方が個人の資質や能力に基づいて稼ぐことができるということもわかった。

 さらに毎年入ってくる新しい学生と接することで気分転換がはかられること,就職は(その当時はバブルの頃で)学生の売り手市場で心配する必要はない,などの夢を与えられた。

 一方,大学の問題としては,3K(きたない,狭隘,きつい),さらに危険を含めて4Kが指摘された。

 では,その後の9年間をどのように総括すればよいのか?まず,3Kないし4Kについては,大学間の格差はかなり歴然としている。私の研究室などを案内された時には,「オエー・・」と心の中で絶叫しそうな環境であった。しかし,こういった環境から出発すれば,環境改善に向けて様々なアイデアがでるではないかと思い留まった。実際に学生も熱心で,こちらの財布の大きさを察してか,生物反応槽をPETボトルをじつにうまく再利用して組み立ててくれ,感激させられたこともあった。学生と共にアイデアを絞り出し,苦しみ,そして楽しむことは幸せ至極である。何よりも良いことは,多くの教官にとって研究テーマを自分で自由に選べることである。大義名分もなく,現在の実験装置などを含めた資産の範囲で,しかも個人的な興味で,研究テーマを設定することができる。赴任した時には,「予算もない,部屋も小さい状況の中ではそれに適したテーマを設定すればいいんです。」と暖かい忠告をいただいた。実際には,国立環境研究所時代の研究テーマから大きく変更していった。最大の理由は,学生が受けてきた化学工学という教育内容(私の場合,化学工学を専攻してきたわけではない)を踏まえて,将来の就職機会をより広げるためであり,しかも研究費を稼ぎやすくするためである。

 研究費については,バブルの頃からすれば奨学寄付金は少し減少したとされているが,科研費や民間との共同研究費,受託研究費,大型プロジェクトなどにより,本学工学部ではほぼ一定した外部資金を稼いでいる。ちなみに,助手も含めた教官1人当たりの外部資金獲得額は,約340万円である。教授,助教授,助手といった1研究分野(昔の小講座)では,平均1000万円で,文部省からくる研究費をあわせると,1300万円になる。

 独立行政法人化されると,こうした獲得額と給料との比較がより厳しく要求されよう(別の見方をすれば,税金を支払う側からみて,ほんとうにその研究は必要なのか?あなただったら認めるのか?をより厳しく問われるようになろう)。大学では,その差額分を教育で穴埋めせざるを得ない状況にある (当大学工学部では,研究費とは別に自分の給料を賄える教授は,10%程度と予想している)。

 特に,少子化が進み,大学に毎年新しく入学してくる学生を当てにするのが困難で,いかに学生を獲得して,大学の存在基盤を確立するかがもっとも重要な課題になりつつある。そのためには,研究大学を指向する大学と教養教育や基礎教育を重要視する大学,高度専門技術者を育成する大学など,高校生に対して魅力ある特色を出していく必要がある。その意味で,教育は非常に重要な手段であるが,研究を志す者にとっては,非常に「無駄な?」時間と労力を要する。いや,教育が重要であるという教官もいるが,教育をどのような基準で評価すればよいのか,あいまいである。その点,研究指向の場合,論文数や外部資金獲得額などの具体的な数値で評価される。したがって,どちらかというと,これまでは教育よりも研究を重要視してきた。

 しかしながら,少子化や独立行政法人化にみられるように大学をとりまく状況は一変している。これからはどうなるのか?ここ数年で答えを出していかなければならない。ちなみに,私が属する化学システム工学科では,本年度からJABEE(日本技術者教育認定機構)の試行学科として作業をはじめた。 JABEEは,統一的な基準に基づいて大学のエンジニアリング教育プログラムの評価認定を行い,国際的に通用するレベルを確保することを目的に設立されたものである。これにまともに対応すると研究に配分できる時間はかなり減少すると思われる。講義に対しては学生の評価のみならず,第三者も評価するので,大変である。成績評価も第三者がみてもリーズナブルなものとなるよう,文書化して透明性を確保するようにしなければならない。

 FD(Faculty Development )と呼ばれるように,今や教官が講義のやり方を学ぶ時代である(実際にこうした訓練は受けてこなかった)。私の経験では1/3法則と言っているが,通常の講義をすると,教室の前方に1/3の学生が真剣に取り組み,中央部に1/3の学生が無味乾燥的に時間を潰して,後方には1/3の学生が内職か,積極的に居眠りで出席点のみを期待している。そのような学生に対して,どのように教育していくべきか答えを出せないでいる。

 なぜ,教育が重要なのか?それは,大学の評価が卒業生の資質でされるからである。卒業生の資質の評価基準は就職である。買い手市場の今,学生の就職係を経験してみると,バブルの頃がいかに恵まれ過ぎていたか,9年前の誘いは夢であったのか,と後悔することもある。

(ほそみ まさあき)

執筆者プロフィール:

東京農工大学工学部化学システム工学科教授