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街の谷,風は流れる

研究ノート

上原 清

 地球を取り巻く大気の厚みは,地球をりんごにたとえれば,その皮程度の厚みくらいしかないということを子供のころに聞いたことがある。その大気の最も地面に近い1kmくらいの薄い層を大気境界層といっており,その中では風速や気温が激しく変化することが知られている。大気境界層内の流れは古くから多くの先輩たちによって調べられ,その知識はたとえば煙突から出された煙の拡散予測や,高層建築物などの耐風設計などに役立っている。

 我々の日常生活にもっとも関連の深いのは接地層といわれる地上数十m以下の部分であり,その中の風速や気温はさらに激しく変化している。我々は,建物に囲まれた谷間や様々な地上の凹凸の間をながれる,非常に乱れた風の中に暮らしている。木枯らしや南風などに季節を感じたり,ビル風にかさがあおられたりして風を感じることもあるが,日ごろは特に風を意識しない。しかし,風は我々が気づかぬうちに大型トラックが出す黒煙も,台所換気扇の排気も運び去り,窓からは新鮮な空気を送り込んでくれる。風は街を常に換気しているのである。時には,汚い煙を運んできて迷惑することもあるが,我々の日常生活の中で風の果たしている役割は実に大きく重要である。

 その割に,最も身近なところを吹く風のことはよくわかっていない。その理由の一つは,地上付近の風の流れは非常にゴチャゴチャしていて扱いにくいからである。実際に街の中で風を観測しても,非常に複雑な現象の断片的な情報しか得られないため,現象の全体像を把握しにくい観測になりやすいのである。

 しかしこのようにひどく乱れた流れも,特定の時間・空間のものさしを当ててみると意外に規則的ではっきりした構造を持っていることがわかったりする。風洞とは,風によって起こる現象を縮小して,時間・空間的に現象をきれいに切り取って調べる実験装置である。写真は沿道大気汚染の濃度分布を調べるために,風洞の中に実在都市の縮尺模型を置いた様子である。国立環境研究所の大気環境風洞ではこのような事例研究や,単純な形状の模型を使った基礎研究が行われている。先年終了した特別研究では,都市における沿道の高濃度大気汚染の発生メカニズム研究の一環として都市の建物に囲まれた谷間,いわゆるストリートキャニオンの中の風と大気汚染物質の流れを調べてきた。以下に,その成果の一部を紹介する。

 建物の谷間の風と大気汚染物質の流れはおよそ図のようになっており,道路で排出される自動車の排ガスは谷間にできる大きな渦のために逆流して,風上側の建物近くに運ばれる。大気汚染濃度は等高線で示すように道路の風上側で高く,風下側では低い不均一な分布になっている。こうした濃度のかたよりは,まさに,汚染物質が風によって運ばれ希釈される過程で生じるが,このエネルギーは上空を流れる風から供給される。図a)にはストリートキャニオンの中央上端,道路周囲の建物とほぼ同じ高さで測定した瞬間風速のばらつきが示されている。原点からそれぞれの点までの距離が瞬間的な風の強さを,方向が風向きを表している。このように,道路の真ん中の高いところで風を計ると,短い時間の間に上に向かう風と下に向かう風が激しく交差するのが観測される。そしてよく見ると,下から上に向かうときに風が弱く,上から下に向かう風は強いことがわかる。地面近くの遅い流れが上空に出て,その代わりに上空から速い流れが降りてくることによって上空の風のエネルギーが地面近くまで伝えられるのである。

 実はこうしたエネルギーのやりとりは大気のあらゆる場所で行われているが,その量は大気の安定度<sup>1</sup>に強く依存している。図b)は大気安定度が安定のとき,すなわち逆転層ができているとき<sup>2</sup>の風の流れであり,図c)には大気安定度が不安定<sup>3</sup>のときの流れが示されている。安定の場合,点の広がりからわかるように上下に向かう風の強さが低く押さえられている。これは,地面の近くで気温が低く重い空気がよどんでいるために,上下方向の運動が制限されるためである。逆に不安定のときには地面の近くで暖められ軽くなった空気が上昇し,対流によって上空の運動エネルギーがたくさん地上に伝えられて風速が高まる。日中の強風が夜になって弱くなることがあるが,これも大気安定度の影響であることが多い。

 我々の身の回りの風はさまざまに変化してとらえどころがないが,地道な実験の積み重ねによってその姿が徐々に明らかにされつつある。これらの知見によって沿道の高濃度大気汚染を解決に導き,空気のきれいなまちづくりに役立つよう努力している。

1 高さ方向への空気の動きやすさ。気温の鉛直分布によって生じるが,大気汚染物質の拡散に強く影響する。
2 晴れて雲がない夜間にできやすい。
3 日中,日射で地面が暖められているとき。

実験の様子の写真
写真 250分の1都市模型を用いた事例研究
概念図
図 建物の谷間の風と大気汚染物質の流れ

(うえはら きよし,地域環境研究グループ都市大気保全研究チーム)