ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

生物多様性を守るもの−技術力か洞察力か

椿 宜高

 平成2年度から地球環境研究グループ野生生物保全研究チームの総合研究官を務めていたが,昨年の12月,生物圏環境部上席,地球環境研究グループ上席,野生生物保全研究チーム総合研究官を兼ねることになった。客観的に言えば,少し広い視野で環境問題を考える立場に立った訳だが,これまでの考え方や人生観が急に変わるものでもないし,変えるつもりもない。ただ,私の戯れ言に耳を貸してくれる人が増えたような気はするので,責任が少し重くなったという自覚は生まれつつある。

 そこで,そのプレッシャーが大きくならないうちに,最近考えていることを書いてみたい。それは,こういうことである。これまで野生生物保全研究チームを率いてきて,いつも心に引っかかっていた問題がある。このチームはその名の通り,野生生物の保全を目標にすべく設置された研究チームである。しかし,はっきり言って,野生生物を保全するのは難しいことではない。本気で保全する気があるのなら,ターゲットにする生物(群)を決め,十分な面積の生息地をしっかり守ってやり,監視のための時間と労力をほんの少しだけかければいいのだから。このことは植物でも動物でも同じことである。どのくらいの面積が必要か対象生物の生活様式を考えて,絶滅が当分ありえない位の生息地面積を確保することが最も重要なポイントである。それでも絶滅してゆく生物は,人間がいくら努力しても絶滅してしまうだろう。それまでも人類の責任と考える必要はない。

 難しいのは,野生生物の絶滅を加速する原因となっている人類の経済活動をコントロールすることである。そのために研究者に何ができるだろうか。経済活動は野放しにしておいて,野生生物の絶滅を防ぐために小手先の技術開発を行っても,その効果はたかが知れている。それは,風邪をこじらせた病人に医薬を与えて事足れりとするのにも似たやり方である。重要なのは,風邪を引かない基礎体力づくりであるはずだろう。それと同じようなことが野生生物にも言えるのではないだろうか。生物多様性減少の問題においては,研究者自身が洞察力を高めること,さらにその洞察力から生まれる結論の宣伝普及に務めることが重要で,それが生物多様性を救う最も効果的なやり方だろうという気がする。

 「本気で保全する気があるのなら」と書いたが,実は,これが生物多様性保全の核心なのではないだろうか。これまでの生物多様性減少の問題への取り組みは,人類の様々な経済活動が自然環境に与えてきた悪影響を指摘するにとどまり,生物多様性の減少が人類の存続にとってどのような意味があるのかという,逆方向の影響についてはあまり発言してこなかったのではないか。また,それは何故なのか。このような問いかけから,これからの生物多様性研究の方向が生まれてくるのではないだろうか。

 ところで,人はなぜ生物多様性が重要だと感じるのだろうか。生物多様性の価値は次の4種類に分類できそうである。

 (1)直接的経済価値(生物資源としての価値)
木材供給地としての熱帯林,まだ利用価値のわからない動植物,遺伝子組み換えのための遺伝子資源などを含む。

 (2)間接的経済価値(生態系サービス機能)
CO2 シンクとしての森林,海洋の気候調節機能,干潟の水質浄化機能など。

 (3)文化的価値(人類の文化を育んだ歴史的価値)
芸術,祭り,教育,文学,歴史観への影響など。

 (4)倫理的価値(人類の進化を導いた歴史的価値)
美意識,情緒,倫理観などに人間の進化の過程で自然(他の生物)から受けた影響。遺伝的背景を持つとも言われる。

 並べた順番は,その価値が市民権を得ている順になっている。生物資源としての価値は,ほとんどの人が認める価値であろう。生態系サービス機能としての価値も,研究者が(乱暴な計算も多いが)価値をお金に換算してみせることで,少しずつ市民権を獲得しつつある。しかし,人類が抱いている危機感は,本当にこのような経済価値の消失だけから来るものだろうか。多くの人は,経済価値に加えて,これとは異質な,しかもかなり大きな危機感を抱えているような気がしてならない。言い方を変えると「生物多様性には人類の精神が拠り所とする基盤のようなものが含まれているのではないか」,そういう本能的感覚が普遍的に存在しているという気がするのである。これが,生物多様性の持つ文化的価値あるいは倫理的価値ということになるだろう。現時点では,これらの非経済価値は人間の経済活動のブレーキとなる程には力強くないが,少なくとも文化的レベルでの価値ももっと評価してやらないと,生物多様性はズルズルと後退を続けるような気がしてならない。

 人間の活動が生物多様性を脅かしていることは,ほとんどの人が認識している。生物多様性がいろいろな意味で人間の生存の基盤になっていることも何となく理解しているし,人間活動と生物多様性が対立関係にあるものだということも多くの人がわかっている。しかし,問題を経済学的なトレード・オフの関係と捉えて妥協点を求めようとすれば,それが解答可能となるのは,生物多様性の価値を経済通貨によって評価した場合だけになる。直接・間接の経済的価値の場合はそれでいいとして,生物多様性の文化・倫理的価値をどう評価したらいいだろうか。強引に何でもかんでも経済通貨に置き換える方法を探すべきだろうか。そうではなくて,人間活動を経済学だけで割り切るのはもう終わりにして,人類の存続と心の豊かさをめざした新しい哲学を模索すべきではないか。21世紀は心の時代と言われているが,その実現のために生物多様性の果たす役割は大きい。

(つばき よしたか,生物圏環境部上席研究官)

執筆者プロフィール

 1990年名古屋大学から国立環境研究所に転任。地球環境研究グループ野生生物保全研究チーム総合研究官を担当。1997年12月から生物圏環境部上席研究官。地球環境研究グループ上席研究官,野生生物保全研究チーム総合研究官を併任。
<趣味>日曜大工,釣り,料理,カラオケ,バドミントンなど多彩だが,どれも中途半端。愛読書は最近これというものがなく,強いてあげれば塩野七生あたりか。