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20年前の環境情報部,そして,今の環境情報センター

大島 高志

 この7月,環境情報センター(以下,センター)への異動を知らされ,正直に言ってビックリした。筆者は,1977年から2年間センターの前身である環境情報部に勤務したことがあり,環境情報の仕事を再び担当することになったからである。20年ぶりの研究所は,いわば“浦島太郎”のようなものである。まず,人の顔を見てもその顔立ちはかすかに記憶はあるが,名前を思い出すことができない。また,組織再編により各研究部の名称も変更されたが,つい昔の名称を口に出してしまう状況である。

 しかし,何よりも大きく変わったのはコンピュータ・システムであろう。1977年当時,当所には大型汎用コンピュータとしてHITAC 8450が設置され,その周辺にはカードリーダー,ラインプリンター,磁気テープ装置等が並んでいた。コンピュータ室では,ラインプリンター等の騒音の中で,コンピュータの赤や緑のランプが点滅するのを眺めながら“自分の処理は何時終わるものやら”とつぶやいていたものである。このようなコンピュータ・システムは,当然,環境情報データベースに係る業務のあり方も規定していた。当時は,1つの機関が“環境情報のナショナル・センター”として,利用者のニーズを考慮しつつ,膨大な量の情報を体系的に収集・整理・蓄積し利用プログラムを開発し,それらの情報を利用プログラムを通じて提供するという発想であった。そうした中で,“情報の加工者である自分達は,いかに利用者のニーズを把握するのか,また,いかに情報の作成者が意図したことをデータベースに反映させるのか”等々悩むことも多かった。

 20年を経過して,当所のコンピュータ・システムも大きく変貌した。おりしも,去る3月には当所のコンピュータ・システムは更新されたところである。かつての大型コンピュータの機能は今やパソコンで対応できる状況になり,より高度な科学計算には所内ネットワークを通じてスーパーコンピュータが対応するようになった。おかげで,コンピュータ室には研究者の人影はなく,管理要員が1〜2名いるだけである。一方,環境情報データベースに係る業務にも革命的な変化が起きた。インターネットの普及により,極端な話1人1人がホームページを作成し,広く一般の人に情報を提供できるようになった。つまり,1機関がナショナル・センターとして巨大なデータベースを構築する必要はなく,無数の個人が分散型データベースを構築し相互に利用できるようになったのである。センターが業務を委託している(財)環境情報普及センターのEICネットも,そうした分散型データベースの一翼を担うものである。

 このような状況においては,情報の作成者と加工者は同一者(提供者)になるので,両者の間のギャップは解消され,センターはコンピュータ・システムの管理を行い,EICネット等の環境情報を提供する場のルールを作ることが主要任務となろうとしている。しかし,センターの役割とはそれだけだろうか。依然として,提供者と利用者の間のギャップは残されているように思われる。つまり,最新鋭のコンピュータ・システムを整備して山ほど情報を提供すれば,それで,利用者のニーズを満たすことができるのだろうか。今や,利用者として一般国民までも考慮しなくてはならない中,的確な情報をタイミング良く提供するために,センターとしては情報の提供者と利用者を結びつける役割が重要ではないかと思う。センターは,利用者の問い合わせに対応し,より適切なコンピュータ・システムの利用方法や所要の環境情報の効率的な探し方等をアドバイスし,一方,提供者には提供すべき環境情報のあり方を示す位の力量が必要とされるのではないかと思う。センターには昔とは様相が異なるものの,大きな課題が残されている。

(おおしま たかし,環境情報センター長)

執筆者プロフィール:

1975年環境庁入庁。以来,大気保全,水質保全,環境影響審査,環境情報,公害健康影響調査等を担当。本年6月まで,JICA 専門家として北京の日中友好環境保全センター勤務。