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(前)化学環境部長 相馬 光之

 四月から静岡に単身赴任し,週末に茨城県守谷の自宅に帰る生活を始めている。静岡は東京駅からは180km,新幹線の「ひかり」を使うと一時間で着ける。守谷から東京までの距離はその1/3ほどだが,この間一時間以上もかかってしまう。しかし,新幹線や飛行機を利用できる部分で,いかに所要時間が短縮されても,旅する距離の長さによる隔たりの感じは残るものである。自分の巣から離れる感覚がもたらすのであろう。この小文には,これとは逆の「戻る」感覚に近い「懐かしさ」について,新幹線のなかで思い浮かぶにまかせたよしなしごとを書きつけることをお許しいただきたい。

 昨年の暮れ,山口の大学を訪れた帰路の飛行機から,眼下に瀬戸内の海と島々がくっきりと見えた時から楽しみにしていた眺めが二つあった。ジェット機が紀伊半島の上を越えて遠州灘に入ると,これからなじみの深くなると思われる静岡の代表的な川々が左下方に展開し,その長い輝きが期待のひとつを満たしてくれた。飛行機はさらに富士山を望みながら駿河湾を横切り伊豆半島の上を飛ぶはずだ。伊豆半島は私が小学生時代の大部分を過ごし,ほとんど故郷と思っているところである。嬉しい予想違いで飛行機は伊豆半島の南端をかすめ,私達家族がそのほとりで暮らした下田湾を真下に見ることができた。湾央の小さな島と今では陸続きの二つの島影もはっきりと認められた。伊豆のこの地を思う時よくあるように,海を見おろす坂道の,草にふちどられた様子を,あの木々の下あたりかなどと思いうかべながら快い懐かしさにしばらくひたっていた。これと似た感懐は海外からの帰路,日本の陸地が見えたときや,日本でなくても,しばらく雲以外には何も見えなかった機上から陸や海が見えたときにも湧いてくるのを経験する。宇宙から地球全体を眺めたらどんな感慨をもつのか実感してみたいものである。

 数年前から自分が惹かれる,環境研究の対象への親近感や,小さくてもそれに答えを見つけたときの嬉しさが,懐かしさやその快さにつながるものと意識するようになった。懐かしさとは自分を育てあるいははぐくんだものの引力のもたらすものと言ってもよいと思う。環境科学の方法は,とりあげた問題と関連の深い学問分野からすると応用的といえるであろうが,そのことは環境から科学(あるいは科学する心)への問いかけが根源的であること,また環境への科学的関心が素朴な,始原的なものを含むこととは矛盾しない筈である。人が成長の過程ではじめて抱く科学的疑問は環境に向けられることも,ここで始原的と呼んでみた環境と科学の関係の一面が懐かしさにつながっている一因と思っている。環境と科学のこのような関係を環境の研究者を含む多くの研究者が意識するようになると,この国の科学研究の姿も変わってくるのかもしれないなどと考えているのだが,どうだろうか。研究の対象を懐かしさの感覚で選べるという確信はないが,これからの自分の研究のひとつの指針としていきたいと考えている。

 懐かしさとは歳を経た者の思いと言われてしまうと困るが,私の場合,懐かしさの原形は成長期にでき,それから関係する場面が何回か夢に現れてイメ− ジとして定着していったように思う。だから,それぞれの場面は,必ずしも現実の経験通りではなく,それが懐かしさにまつわる楽しさでもあり,あやうさでもある。

 新幹線での往復の実感は遠近の組み合わせ四通りのいずれに収れんしていくのだろうか。

  何事か此世にへたる思ひ出を問へかし人に月ををしへむ

西行

(そうま みつゆき,現在:静岡県立大学教授)

執筆者プロフィール:

1979〜1996,国立公害研究所,環境研究所の計測技術部,化学環境部に勤務。四月から静岡県立大学生活健康科学研究科で水質土壌環境研究室を担当。